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夫余【ふよ】

世界大百科事典 第2版

ふよ【夫余 Puyŏ】
古代,中国の東北方面から朝鮮半島東北にかけて存在したとされる部族名,国名。扶余とも書く。民族の系統についてはツングース系ともいわれるが定説がない。《三国志》の魏志東夷列伝の記すところでは匈奴と俗を同じくするとしている。夫余の名称は早くから中国の史書に見えるが,三上次男は彼らが部族国家の体をととのえたのはほぼ前2世紀末ころと推測している。その根拠地についても異説が多いが,池内宏は現在の松花江流域の阿勒楚喀Alchuka付近を比定している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

夫余
ふよ
古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名。夫余の名称は中国では先秦(しん)以来史書に現れるが、後漢(ごかん)時代初めて中国に遣使朝貢し、玄菟(げんと)郡の支配に属した。3世紀前半、魏(ぎ)の明帝が丘倹(かんきゅうけん)を高句麗(こうくり)に遠征させたとき、夫余王は改めて玄菟太守の王(おうき)に服従した。のち歴代中国王朝に朝貢したが、隣国高句麗の強大化によって領域を失い、有名な好太王によってその一部東夫余国を征服された。『三国史記』によれば、5世紀末、高句麗の文咨明(ぶんしめい)王時代に、夫余は国王以下ことごとく高句麗に降伏して併合されたことになっている。
 夫余族の当初の根拠地については諸説あるが、池内宏は黒竜江省の阿勒楚喀(アルチュカ)(現、阿什河)付近を比定している。この地はハルビン南東約30キロメートル、のちに女真(じょしん)の発祥地とされている所である。夫余の習俗、国制などについては『三国志』の「魏志東夷伝(とういでん)」が詳細に記録しているが、注目すべきことは、馬加、牛加、狗加などと六畜の名称を冠した四大豪族が国王のもとで各地を支配していたらしく、その社会は身分秩序もきわめて厳しく、婚姻の習俗はすこぶる匈奴(きょうど)に類似していたという。また、彼らの宗教の形態は原始シャーマニズムの要素が濃厚に見受けられる。夫余の建国伝承は高句麗、百済(くだら)のそれと共通点が多いので、民族の系統を推定するうえで重要な史料とされている。なお後世の「勿吉(もっきつ)」はこの夫余族の流れを引くものという説もある。[村山正雄]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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