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天津条約【てんしんじょうやく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

天津条約
てんしんじょうやく
Treaty of Tientsin
(1) アロー戦争の際に中国の清朝が 1858年6月 (清,咸豊8年5月) ,ロシア,アメリカ,イギリス,フランスとそれぞれ別個に天津で結んだ条約。これらの条約で清は,外交官の北京駐在,牛荘,登州,漢口,九江,鎮江,台湾,淡水,潮州,瓊州,南京の開港,外国人の内地旅行権,外国船舶の内河航行権,イギリス,フランスへの賠償金の支払い,キリスト教布教の自由などを認めた。翌年ロシアとアメリカは批准を交換したが,イギリス,フランスは批准交換の使節の入京に際して紛争を生じたところから,再び連合軍を送り,60年北京を攻略して清を屈服させ,批准の交換を完了した。 (2) 1885年 (日本,明治 18年。清,光緒 11年) ,甲申政変 (→京城事変 ) によって朝鮮出兵した日,清両国が朝鮮での勢力均衡のため天津で結んだ条約。内容は,両国の朝鮮からの撤兵,朝鮮の兵士教練,自衛策の進言,今後の派兵時の相互照会などで,4月 18日 (旧暦3月4日) に調印された。清代表は李鴻章,日本代表は伊藤博文。会談は,暴挙兵士の処分,賠償金要求 (日本居留民殺害,公使館焼去の責任など) で難航したという。天津で結ばれた条約はこのほかにも 85年の清仏講和条約をはじめ多数ある。

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デジタル大辞泉

てんしん‐じょうやく〔‐デウヤク〕【天津条約】
アロー戦争の結果、1858年に天津で、国とロシア・アメリカ・イギリス・フランスとの間で結ばれた四条約。清国内の旅行の自由、キリスト教の信仰・布教の自由、港市の開港などを内容とした。
甲申事変の結果、1885年、天津で伊藤博文李鴻章(りこうしょう)全権大使として結ばれた日清間の条約。両国軍の朝鮮撤兵や、将来における派兵の際の相互通告などを内容とした。
清仏戦争の結果、1885年、天津で清・フランス両国の間で結ばれた講和条約。フランスのベトナム支配権が確認された。

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世界大百科事典 第2版

てんしんじょうやく【天津条約 Tiān jīn tiáo yuē】
19世紀後半,天津において中国と諸外国とのあいだに結ばれた条約の総称。清朝政府は,諸外国との条約の交渉,調印が朝廷のある北京でなされることを嫌い,極力天津において行おうとした。また,1870年(同治9)以降には北洋大臣李鴻章が天津にあって交渉の任についたため,多くの天津条約が調印された(表参照)。内容は多様であるが,なかでも58年(咸豊8)6月26日,イギリス・フランス連合軍の威嚇の下に,清国欽差大臣桂良,花沙納とイギリス全権J.B.エルギン(1811‐63)との間に結ばれた〈英清天津条約〉全56条は,以降の不平等条約の原型となった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

てんしんじょうやく【天津条約】
アロー戦争の結果、1858年に清と英・仏・米・露との間に結ばれた条約。外交使節の北京常駐、内地旅行、開港場の増加、キリスト教の公認などを定めた。
1871年に結ばれた日・清両国間の通商条約。 → 日清修好条規
朝鮮の甲申政変に関連し、1885年に日・清両国間で結ばれた協定。朝鮮からの日・清両軍の撤兵を約し、将来における朝鮮への出兵の条件を定めた。
清仏戦争の結果、1885年に清・仏両国間に結ばれた条約。清は、ベトナムがフランスの保護国であることを承認。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

天津条約
てんしんじょうやく
中国の天津で、清(しん)国と諸外国の間で結ばれた条約の総称。(1)最初の天津条約は、アロー戦争(第二次アヘン戦争)に関連して、1858年6月に、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスの順にそれぞれ結ばれた四つの条約である。すべて片務的最恵国待遇条項が規定されているから、一体をなすものともいえる。もっとも広範囲な対イギリス条約のおもな内容は次のとおりである。〔1〕外交使節の北京(ペキン)常駐、〔2〕内地旅行と揚子江(ようすこう)沿岸開港場への自由往来、〔3〕新たな貿易規則と関税改正のための会議の開催(これによってアヘン貿易が合法化された)、〔4〕開港場の増加、〔5〕キリスト教布教の自由。ほかにイギリス、フランス両国に対し、合計600万両の償金支払いなど。イギリス、フランスとの条約は、60年、両国連合軍の北京占領後、北京協定と同時に批准交換された。
 このほかのおもな天津条約には、(2)1871年、日清(にっしん)両国が相互に対等の立場にたち、領事裁判権を互いに認め合って結んだ「日清修好条規」、(3)朝鮮での甲申(こうしん)政変に関連して結ばれ、両国軍隊の朝鮮からの撤兵、将来の出兵に際しての相互の通告などを約した1885年の日清天津協定、(4)清仏戦争に関連して、1885年にフランスと結んだ天津条約(ベトナムがフランスの保護国であることを承認した)があるほか、(5)1860年代に、ドイツ、ポルトガル、デンマーク、オランダ、スペインと、70年代にペルーと、80年代にブラジルと結んだ条約がある。[小島晋治]

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精選版 日本国語大辞典

てんしん‐じょうやく ‥デウヤク【天津条約】
一八五〇年代末から八〇年代にかけ、清国が結んだ条約のうち天津で調印されたものの総称。
[一] アロー号事件(第二次アヘン戦争)の結果、一八五八年に英・仏・米・露四か国との間に結ばれた条約。中国におけるキリスト教の信仰・布教の自由、外国人の中国内の旅行の自由、漢口・南京の開港などを定めた。
[二] 明治四年(一八七一)、日本との間で締結された修好条約。日本が結んだ最初の平等条約。日清修好条規。
[三] 清仏戦争後の一八八五年にフランスとの間に結ばれた条約。
[四] 明治一七年(一八八四)、朝鮮でおきた独立党クーデター(甲申事変)の事後に関してその翌年日本との間で結ばれた条約。四か月以内の日清両軍の朝鮮撤退、軍事教官派遣停止、将来における出兵の際の相互事前通告を定めた。

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