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大覚寺統【だいかくじとう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大覚寺統
だいかくじとう
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位の継承権と所領の相続をめぐって争った2つの皇統の一つ。亀山,後宇多天皇の流れで,後深草,伏見天皇持明院統と対抗。後宇多天皇が上皇となってから京都の北西郊の大覚寺に住んだのでこの名がある。鎌倉幕府は両統を交互に皇位につけるようはからったが,大覚寺統の後醍醐天皇建武中興が失敗し,足利尊氏が持明院統の皇族をいただいて京都に君臨してからは,大覚寺統は南朝として大和の吉野山にこもった。元中9=明徳3 (1392) 年両統の合体後,南朝方のものは,合体条件が履行されていないとして再びこの皇統の皇族を奉じてしばしば乱を起したが,その都度,室町幕府により鎮定された。

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デジタル大辞泉

だいかくじ‐とう【大覚寺統】
鎌倉後期から南北朝時代、持明院統と皇位を争った亀山天皇の系統。鎌倉幕府の干渉により一時は交互に皇位に就いたが、南北朝時代、吉野に南朝を立て、元中9=明徳3年(1392)北朝と合体。後宇多上皇大覚寺に住んだことによる名称。→持明院統

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世界大百科事典 第2版

だいかくじとう【大覚寺統】
鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて皇位継承をめぐって争った二つの皇統のうち,亀山天皇の系統をいい,南朝につらなる。後深草天皇の系統を持明院統とよぶのに対し,亀山天皇の皇子後宇多上皇が嵯峨の大覚寺を再興して〈大覚寺殿〉と称したことから,この皇統を大覚寺統とよぶ。後嵯峨法皇の死(1272)後生じた皇位継承をめぐる争いに加え,皇室領荘園の領有をめぐる抗争から天皇家は二つに分裂し,鎌倉幕府の斡旋で両統から交互に皇位につく,いわゆる両統迭立を原則として,鎌倉時代後半を通じ両統の勢力均衡が保たれつつ対立がつづいた。

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大辞林 第三版

だいかくじとう【大覚寺統】
鎌倉末期、亀山天皇に始まる皇統。後宇多天皇が譲位後、嵯峨の大覚寺に仙洞を置いたのでいう。持明院統と皇位を争い、後醍醐天皇が建武中興ののち吉野に南朝を建てたが、1392年、北朝と合体。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

大覚寺統
だいかくじとう
鎌倉中期に分裂対立した二皇統の一つ。亀山(かめやま)天皇の子孫の皇統をいう。後宇多(ごうだ)上皇が京都嵯峨(さが)の大覚寺で院政をみたのに始まる。幕府の干渉のもとに、後宇多天皇以後、持明院(じみょういん)統と交替で両統から皇位を継ぎ、幕府討伐、建武(けんむ)中興政治もこの皇統の後醍醐(ごだいご)天皇によって行われた。足利尊氏(あしかがたかうじ)が持明院統を擁して北朝を建てたのに対し、大覚寺統は南朝として対立し、後村上(ごむらかみ)天皇以後、長慶(ちょうけい)、後亀山(ごかめやま)と続いて、1392年(元中9・明徳3)ひとたび北朝と合体した。しかし合体条件が実行されなかったので、ふたたび分裂した。その後、南朝は大和(やまと)地方の山間に命脈を保ち、その遺臣がしばしば乱を起こして勢力の回復を企てたが成功せず、ついに将軍足利義政(よしまさ)によって滅ぼされた。[多賀宗隼]

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精選版 日本国語大辞典

だいかくじ‐とう【大覚寺統】
〘名〙 亀山天皇とその子孫の皇統。亀山天皇の長子後宇多天皇が譲位ののち、大覚寺を在所としたところからいう。また亀山天皇の兄、後深草天皇の一統を持明院統という。鎌倉幕府の干渉で両統は交互に天皇を立てた(両統迭立)。後醍醐天皇の建武中興のときから、この皇統は南朝を称した。後亀山天皇のときに北朝の後小松天皇との間で南北朝合体が行なわれた。大覚寺殿。

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