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大楽源太郎【だいらくげんたろう】

防府市歴史用語集

大楽源太郎
海防僧として知られた月性[げっしょう]に学び、尊王攘夷志士としての活動のほかに、台道に西山書屋[せいざんしょや]を開いて若者達の教育にあたりました。大村益次郎[おおむらますじろう]が襲われた事件などへの関与を疑われ、逃げた先の久留米で暗殺されました。

出典:ほうふWeb歴史館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

大楽源太郎 だいらく-げんたろう
1832-1871 幕末-明治時代の武士。
天保(てんぽう)3年生まれ。長門(ながと)(山口県)(はぎ)藩士。京都で梅田雲浜(うんぴん)らと尊攘(そんじょう)運動をおこなう。高杉晋作の下関挙兵に応じて忠憤隊を組織。明治2年大村益次郎暗殺事件に連座して閉され,脱走したが,明治4年3月16日潜伏先の久留米(くるめ)で暗殺された。40歳。本姓山県。名は奥年。字(あざな)は弘毅。号は西山。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

だいらくげんたろう【大楽源太郎】
1834‐71(天保5‐明治4)
幕末,長州藩の志士。長州藩寄組児玉氏の家臣山県家に生まれ,大楽家を継ぐ。名は奥年,号は西山,源太郎は通称。梅田雲浜ら尊王攘夷派志士と行動を共にし,安政の大獄で萩に幽閉された。禁門の変(1864)に参加し,また佐波郡宮市に忠憤隊を組織し,のち私塾西山書屋を開いた。1869年(明治2)の諸隊脱隊騒動に参加して敗走し九州で再起を図ったが,潜伏先の久留米藩によって暗殺された。【井上 勝生】

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

大楽源太郎
だいらくげんたろう
(1832―1871)
幕末維新期の長州藩尊攘(そんじょう)派の志士。山県(やまがた)信七郎の子で、周防国(すおうのくに)吉敷(よしき)郡台道(だいどう)村(山口県防府(ほうふ)市)に生まれ、大楽家に入る。名は弘毅(ひろたけ)、奥年。源太郎は通称。西山と号した。近くの佐波(さば)郡右田(みぎた)(防府市)の私塾で儒学を修めたが、おりからの藩の尊攘運動の高揚に加わり、東奔西走した。佐波郡宮市(みやいち)に忠憤隊(ちゅうふんたい)(諸隊の一)を組織、1865年(慶応1)この解散を命ぜられるや、宮市に開塾、ついで翌年台道村に西山書堂を開いて子弟の教育にあたった。1869年(明治2)、政府の国民徴兵制に反対し、兵部大輔(ひょうぶたいふ)大村益次郎(ますじろう)の暗殺事件に関係ありとして幽閉されたが脱走した。ついで藩の脱隊騒動を指導したとして探索を受け、翌年九州日田県の農民一揆(いっき)を指導し逃走中、久留米(くるめ)で暗殺された。[小林 茂]
『『続防府市史』(1960・防府市) ▽内田伸著『大楽源太郎』(1971・風説社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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