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大日本史【だいにほんし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

大日本史
だいにほんし
水戸藩主徳川光圀が着手した歴史書本紀 73巻,列伝 170巻,その他合せて 397巻。明暦3 (1657) 年に編纂を開始,1906年完成。光圀死後も継続し,享保5 (1720) 年本紀 73巻,列伝 170巻が江戸幕府に献上された。その後も編纂事業は継続され,一時停滞したこともあったが,寛政年間 (89~1801) 再興され,文化7 (10) 年旧稿本の修訂の成った成稿本が朝廷に献上された。紀伝のほかにも志,表の編纂も行われ,幕末混乱期を経て,明治に入って全部完成した。皇統を明らかにし,南朝正統としたことなど,大義名分を主張する点で,尊王思想の育成に大きな役割を果した。また,本書で神功皇后皇位から除いたこと,大友皇子弘文天皇として皇位に加えたこと,南朝を正統としたことを,その三大特筆という。

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デジタル大辞泉

だいにほんし【大日本史】
江戸時代の歴史書。397巻。徳川光圀(とくがわみつくに)の命により、明暦3年(1657)水戸藩が史局を設けて編纂(へんさん)に着手、明治39年(1906)完成。神武天皇から後小松天皇までの歴史を漢文紀伝体で記述。南朝を正統とし、幕末の勤王思想に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典 第2版

だいにほんし【大日本史】
水戸藩で編纂し,明治維新後も水戸徳川家で事業を継続して,1906年に完成した漢文の日本史。神武天皇から南北朝時代の終末すなわち後小松天皇の治世(1382‐1412)までを,中国の正史の体裁である紀伝体により,本紀73巻,列伝170巻,志126巻,表28巻の4部397巻(別に目録5巻)で記述している。この事業に着手したのは2代藩主徳川光圀で,1657年(明暦3)に江戸駒込の藩邸に史局を設け,72年(寛文12)にこれを小石川の上屋敷に移して彰考館と命名し,ここに佐々宗淳,栗山潜鋒,三宅観瀾,安積(あさか)澹泊ら多くの学者を集めて,編纂に従事させるとともに,佐々らを京都,奈良など各地に派遣して,古文書・記録など史料の採訪に努めた(なお光圀隠居後は水戸でも編纂が進められ,のち1829年(文政12)には彰考館は水戸に一本化された)。

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大辞林 第三版

だいにほんし【大日本史】
歴史書。1657年水戸藩主徳川光圀の命により着手、1906年(明治39)完成。三九七巻。神武天皇から後小松天皇までの歴史を漢文の紀伝体で編述。神功皇后を皇位から除き、大友皇子を弘文天皇とし、南朝を正統とした三点は三大特筆といわれ、その大義名分論史観は幕末の尊王思想に大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

大日本史
だいにほんし
水戸第2代藩主徳川光圀(みつくに)(義公)が、全国から多くの歴史家を招いて編纂(へんさん)した大部の日本史書。漢文体。全397巻、目録5巻。幕府の『本朝通鑑(ほんちょうつがん)』と並んで江戸時代の二大史書とされる。光圀が修史の志をたてたのは1645年(正保2)18歳のときといわれ、翌年から学者を京都方面に派遣して古書の収集を始めた。57年(明暦3)2月振袖(ふりそで)大火の直後、江戸の水戸藩駒込(こまごめ)屋敷に史局を開き、修史事業を始めた。これが『大日本史』編纂の始めである。ときに光圀は30歳、まだ世子の時代で、当然、初代藩主父頼房(よりふさ)の許しを得てのことであったろう。
 その史局が初めて彰考(しょうこう)館と命名されたのは1672年(寛文12)で、光圀45歳、父の跡を継いで藩主となってから11年目にあたる。これ以後、数名から10名程度だった史館員は倍増し、のちに多いときは60名にも達しているから、史局が小石川(こいしかわ)の本邸内に移されて命名されて以後、修史事業は本格的になったと考えられる。佐々宗淳(さっさそうじゅん)、栗山潜鋒(せんぽう)、三宅観瀾(みやけかんらん)、安積澹泊(あさかたんぱく)ら当時有数の学者を動員している。彰考館は光圀が引退後の1698年(元禄11)その大部分が水戸城内に移転され、以後、水戸、江戸の両地に置かれたが、第9代藩主斉昭(なりあき)(烈公)時代に江戸は廃止された。
 中国の史記に倣って紀伝体の体裁をとった『大日本史』は、本紀(ほんぎ)73巻、列伝170巻、志(し)126巻、表(ひょう)28巻に、神武(じんむ)天皇から南北朝の終期に至る歴史を記述している。光圀在世中は本紀と列伝が脱稿した程度で、志・表をあわせて397巻、目録5巻が完成したのは1906年(明治39)水戸徳川家の手によるものであった。『大日本史』の特色は史料を尊重し、京都、奈良、吉野、紀州方面をはじめ、中国、九州、北陸の一部、東北地方などに館員を派遣し史料収集にあたらせたことである。また本文では「六国史(りっこくし)」以外の史料については出典を明記している。内容では三大特筆といわれるもののうち、思想的に影響のあったのは、従来の常識を破って南朝を正統としたことである。この編纂事業を中心におこり、後世大成された学風を水戸学という。光圀と斉昭には「和文大日本史」の計画もあった。[瀬谷義彦]
『『大日本史』全15巻(1911・吉川弘文館) ▽『大日本史』全17巻(1929・大日本雄弁会)』

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精選版 日本国語大辞典

だいにほんし【大日本史】
歴史書。三九七巻。水戸藩主徳川光圀の命により、明暦三年(一六五七)藩に史局を設立して編纂事業が行なわれ、明治三九年(一九〇六)に完成した。神武天皇から後小松天皇までの歴史を「史記」にならって漢文の紀伝体で記す。本紀・列伝・志・表などからなり、史観は朱子学による大義名分論をとり、幕末の尊王論に影響を与えるなど、思想的位置が大きい。神功皇后を皇位から除き、大友皇子を弘文天皇とし、南朝を正統としたのを三大特筆とする。

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