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大同【ダイドウ】

デジタル大辞泉

だい‐どう【大同】
だいたい同じであること。「小異を捨てて大同につく」
一つの目的のために多くの者が一つにまとまること。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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だいどう【大同】[地名]
中国山西省北部の炭鉱・工業都市。近郊に雲崗石窟(うんこうせっくつ)がある。人口、行政区153万(2000)。タートン

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だいどう【大同】[年号]
平安初期、平城(へいぜい)天皇嵯峨天皇の時の年号。806年5月18日~810年9月19日。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

大同 だいどう
1731-1786 江戸時代中期の僧。
享保(きょうほう)16年生まれ。浄土真宗。僧樸にまなび,道心ふかく,その行儀は真宗律とよばれる。本願寺派の筑前(ちくぜん)(福岡県)教法寺の住職となり,筑前学派をきずく。詩文をよくし,亀井南冥(なんめい)らとまじわった。天明6年4月死去。56歳。筑前出身。号は玄澥。著作に「陳善院僧樸年譜」「玄澥余稿」など。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

だいどう【大同 Dà tóng】
中国,華北地区,山西省北部の鉱工業都市。省直轄市だが雁北地区の行政機関所在地でもあり,大同県ほか6県を管轄する。人口260万(うち市部116万。1994)。北は外長城線を境に内モンゴル自治区に接し,海河水系の永定河の上流である桑乾河(そうかんが)の支流の御河に沿う。周辺は中国有数の大炭田で,京包(北京~包頭),同蒲(大同~孟塬),大秦(大同~秦皇島)の3鉄路が通じる。歴史的都市でもあり,古来,北方の遊牧民族に対する防衛拠点で,軍事上の要地として知られていた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

だいどう【大同】
大筋において同じであること。 「小異を捨てて-に就く」
目的を同じくする者が一つにまとまること。
〔礼記 礼運〕 中国で、公平で平和な理想的社会を表す語。

出典:三省堂
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だいどう【大同】
中国、山西省北部にある都市。河北省と内モンゴル自治区とを結ぶ交通の要衝。大同炭田を控え機械・セメントなどの工業が盛ん。西郊に雲崗うんこうの石窟がある。タートン。

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だいどう【大同】
年号(806.5.18~810.9.19)。延暦の後、弘仁の前。平城へいぜい・嵯峨さが天皇の代。

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日本の元号がわかる事典

だいどう【大同】
日本の元号(年号)。平安時代の806年から810年まで、平城(へいぜい)天皇、嵯峨(さが)天皇の代の元号。前元号は延暦(えんりゃく)。次元号は弘仁(こうにん)。806年(延暦25)5月18日改元。平城天皇の即位にともない行われた(代始改元)。平城天皇は桓武(かんむ)天皇の皇子で、廃太子された叔父の早良(さわら)親王(桓武の弟)に代わって皇太子となり、桓武の崩御にともない即位した。天皇は朝廷の政治・財政改革に取り組んだが、在位3年目の809年(大同4)、病気のため弟の嵯峨天皇に譲位して太上天皇(上皇)となり、旧都・平城京に移り住んだ。しかし、嵯峨天皇との対立が起こって朝廷が分裂し、翌810年(弘仁1)には薬子(くすこ)の変(平城太上天皇の変)へと発展した。

出典:講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

大同
だいどう / タートン
中国、山西(さんせい)省北部の地級市。管轄下に同名の県もある。永定河(えいていが)の上流桑乾河(そうかんが)や、その支流御河(ぎょか)が黄土高原を侵食してつくる盆地(桑乾盆地、大同盆地)の北西部に位置する。4市轄区、7県を管轄する(2016年時点)。人口339万2000(2014)。市の北は万里の長城を境にして内モンゴル自治区と接する。
 モンゴル高原の遊牧民族の産する皮革、羊毛などの物産の集積地として発展し、現在も北京(ペキン)、太原(たいげん)、内モンゴルをつなぐ京包線(北京―パオトウ)、同蒲(どうほ)線(大同―華山(かざん))の交差点にあるほか、京原線(北京―原平(げんへい))も通るなど、交通の中心地である。また、大同県には2006年開港の大同雲崗(うんこう)空港がある。中華人民共和国の成立以後は山西省の石炭生産の中心地となり、全国でも有数の産出量を誇る。優良な炭質と豊富な埋蔵量が特長で、世界最大の石炭取扱量を誇る秦皇島(しんこうとう)港との間に石炭輸送鉄道の大秦線も敷かれており、石炭輸送の拠点となっている。そのほか石炭関連工業や食品工業が発展しており、山西省第二の工業都市である。[秋山元秀・編集部]

歴史

古来、北方遊牧民族と漢民族との接触地帯にある要衝の地で、漢民族の勢力が安定しているときは、中原(ちゅうげん)や華北の地を守る最前線の拠点となったが、国内が乱れると、まず北方民族が侵入し、彼らの拠点をつくる地となった。この性格を示すように、万里の長城も大同の北を走る外長城と別に、南にもう1本、内長城(前者を辺墻(へんしょう)、後者を次墻(じしょう)とも称する)が築かれている。
 漢代には辺縁の雁門(がんもん)郡に属し平城(へいじょう)県が置かれた。しかし後漢(ごかん)末に国内が乱れると、北方民族の一つである鮮卑(せんぴ)の占拠するところとなり、晋(しん)の永嘉(えいか)年間(307~312)に鮮卑の一部族である拓跋(たくばつ)部がここに南方侵入の拠点をつくってしだいに勢力を拡大した。やがて国名を魏(ぎ)(北魏)とし、盛楽(せいらく)(現在の内モンゴル自治区ホリンゴル付近)を北都、平城を南都として華北一帯の諸部族国家を併合し、398年平城を国都(代都)と定め、他地方から多くの住民を移住させ付近の開発に努めた。以後、孝文帝が494年に洛陽(らくよう)へ都を移すまで、中国北部の政治の中心地であった。その後もしばしば南下を図る北方異民族の跳梁(ちょうりょう)する地となり、とくに北京に都が置かれた時代には西北防御の要(かなめ)であった。明(みん)代には大同五衛などの軍事施設が設けられて、大同はその中心となり、前述の二重構造の長城が築かれたのもこのころである。市街も明代に増築され強固な城壁に囲まれている。
 北魏の都であったとき、市の西、武周(ぶしゅう)山の山麓に開削された雲崗石窟(せっくつ)は、中国三大石窟の一つとして有名で、2001年世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。そのほか遼(りょう)・金(きん)時代の華厳宗(けごんしゅう)の中心であった華厳寺、唐代創建の善化寺、北魏時代に建てられた懸空(けんくう)寺などがある。[秋山元秀]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

だい‐どう【大同】
[1] 〘名〙
① だいたい同じであること。
※史記抄(1477)一〇「此に善隣国宝集を引たは、前の官務の説に合せんためなり。其内に小異もあれども大同ぞ」 〔後漢書‐董卓伝〕
② 世の中が天地の大道と同化すること。天下が平和に栄えること。また、その世。
※懐風藻(751)秋日於長王宅宴新羅客〈背奈王行文〉「嘉賓韻小雅、設席嘉大同
※集義外書(1709)三「又実に道を尊て少は行といへども、聖賢の跡のみ見て、其故をしらず、時・処・位の至善を弁へず、人情・時変に通ぜず。一流とはなるべきか、大同の基本ならず、これをなん浅とはいふべからむ」 〔礼記‐礼運〕
③ 多くの者が一つにまとまること。
※西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉一二「公正にして偏頗ならず、衆異を合せて大同となし」
[2]
[一] 平安時代、平城(へいぜい)・嵯峨両天皇の代の年号。延暦二五年(八〇六)五月一八日に天皇即位により改元、大同五年(八一〇)九月一九日弘仁元年となる。出典は「書経‐洪範」の「汝則従、亀従筮従、卿士従、庶民従、是之謂大同」。
[二] 中国、山西省北部の商工業都市。河北、山西両省と内モンゴル自治区を結ぶ交通の要地を占め、古来遊牧民族に対する防衛の拠点で、北辺屈指の軍事都市であった。西郊雲崗石窟、南西に炭田がある。タートン。

出典:精選版 日本国語大辞典
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