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大内弘世【おおうちひろよ】

防府市歴史用語集

大内弘世
 大内義弘[おおうちよしひろ]の父で、南朝[なんちょう]に属していました。この頃は一族で南朝・北朝[ほくちょう]それぞれに分かれていましたが、大内弘世が周防[すおう]国を平定しました。さらに長門[ながと]国の厚東[ことう]氏を攻めて、長門国も支配下に入れました。その後、北朝にねがえり、周防・長門両国の守護[しゅご]に任ぜられました。

出典:ほうふWeb歴史館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

大内弘世 おおうち-ひろよ
?-1380 南北朝時代の武将。
大内弘幸の子。周防(すおう)(山口県)大内村の領主。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で足利尊氏に対抗する足利直冬(ただふゆ)に味方して南朝方となり,同族で周防守護の弘直をおさえた。のち幕府と和解し周防,長門(ながと),石見(いわみ)の守護となる。本拠を山口にうつし大内氏繁栄の基礎をきずいた。康暦(こうりゃく)2=天授6年11月15日死去。幼名は孫太郎。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

おおうちひろよ【大内弘世】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

大内弘世
おおうちひろよ
(?―1380)
南北朝時代の武将。周防(すおう)、長門(ながと)、石見(いわみ)国守護。父は弘幸(ひろゆき)。幼名孫太郎。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)において足利直冬(あしかがただふゆ)方に属した弘世は、対抗していた同族の弘直(ひろなお)を1354年(正平9・文和3)ごろ屈服させ、大内氏一族の統率権を得た。ついで北朝方の長門守護厚東(ことう)氏を追放し、長門を掌握した。63年(正平18・貞治2)のころ弘世は細川頼之(よりゆき)の調停に応じて幕府方に転じ、周防、長門両国の守護職を得た。66年には石見守護に補任(ぶにん)され、71年(建徳2・応安4)には九州探題今川貞世(いまがわさだよ)(了俊(りょうしゅん))を助けて九州の南軍を討ったが、翌年8月の大宰府(だざいふ)攻略後、貞世と意見があわず帰国した。弘世はまた本拠を大内村から山口に移し、京都文化の移入を図るなどして大内氏発展の基礎を築いた。墓所は正寿院(山口市大内御堀、乗福寺)にある。[外園豊基]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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