Rakuten infoseek

辞書

壬午軍乱【じんごぐんらん】

大辞林 第三版

じんごぐんらん【壬午軍乱】
1882年壬午の年に、朝鮮の首都漢城(ソウル)で起きた事変。親日的な閔妃ミンビ政権の軍制改革に反対して大院君が軍隊を動かしたもので、日本人軍事教官殺害、日本公使館焼き打ちに発展したが失敗した。この結果済物浦さいもつぽ条約が結ばれたが、その後清国が朝鮮支配を強化した。壬午事変。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

じんごぐんらん【壬午軍乱】
1882年(壬午の年)7月に朝鮮の首都漢城(ソウル)で起きた軍人暴動。1873年に大院君(興宣大院君)から閔(びん)氏に政権が移ると,軍隊の待遇は悪化し,新たに新式軍隊の別技軍が設けられて優遇された。その結果,旧式の軍人たちの不満が給米の不正支給によって爆発し暴動となった。大院君はこの暴動を利用して,閔氏政権の転覆と日本公使館の襲撃を図った。彼は,1880年代に入って開始された閔氏政権の開国政策を覆し,鎖国攘夷政策に戻そうとしたのである。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

壬午軍乱
じんごぐんらん
1882年朝鮮のソウルで、日本の侵略と閔(びん)氏一族の腐敗、売国政策に対して立ち上がった軍人たちの反乱。日本では甲申政変とあわせて京城事変といったこともある。1876年の江華条約(日朝修好条規)以来、日本をはじめとする外国資本主義国が朝鮮を侵略、李朝(りちょう)封建体制の危機は深まり、民衆の生活苦は倍加していった。時の権力者である閔氏一族は1881年に日本の要請で軍制を改め、日本陸軍少尉堀本礼造を軍事教官に招き、両班(ヤンバン)の子弟を中心に別技軍という新式軍隊を組織した。これに対し旧来の軍隊の兵士たちは、俸禄(ほうろく)米も13か月も支給されないままであった。82年7月にやっと1か月分の俸禄米が支給されたが、腐っていたり、砂が混ざっていたりした。ここで兵士たちの不満は爆発、武器をとって立ち上がり、一隊は閔氏一族の大官たちの邸宅を襲い、さらに内殿に侵入して閔妃(びんひ/ミンピ)を殺害しようとした。閔妃は宮女に変装し王宮を脱出、忠州に逃れた。他の一隊は日本公使館を襲撃、これを焼き払い、堀本礼造らを殺害した。公使花房義質(はなぶさよしもと)は命からがら長崎に逃げ帰った。ソウルでは大院君が政権につき反乱を収束。一連の改革を行おうとしたが、清(しん)国の介入で失敗、清国に拉致(らち)され、ふたたび閔妃が権力の座についた。日本はこの軍乱の後始末として同年8月済物浦(さいもっぽ)条約を締結。朝鮮から賠償金、駐兵権を獲得、開港場の権益も拡大させた。一方、清国もこれを機に同年10月、清韓(しんかん)商民水陸貿易章程を強要、朝鮮に対する内政干渉と経済的進出を強化していった。こうして朝鮮をめぐる日清の対立はいっそう激化した。[宮田節子]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社世界史事典 三訂版

壬午軍乱
じんごぐんらん
李氏朝鮮末期の1882年7月,漢城(現ソウル)に起きた保守派による反日クーデタ
閔妃 (びんひ) を中心とする政府が日本人将校を招いて新式軍隊を創設すると,引退中の大院君を中心とする保守派は政府に不満な軍隊をそそのかして蜂起させ,政権を握った。このとき日本公使館が焼かれ,日本人が殺傷されたため,日本は漢城に出兵した。清軍も大院君を捕らえて清国内に抑留し,閔氏政権(事大党)を復活させて清に従属させ,清の朝鮮に対する指導力が強まるいっぽう,日本は一時朝鮮から後退した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

壬午軍乱
じんごぐんらん
1882年7月,朝鮮でおこった反日的クーデタ
閔妃 (びんひ) 政権が日本にならって兵制改革を始めたとき,大院君一派の守旧派がこれに反対し日本公使館を襲撃。日本軍は出兵したが,清国の李鴻章工作で朝鮮との間に済物浦 (さいもつぽ) 条約を締結した。以後閔妃一派は清国に接近し日本の勢力は後退して2年後の甲申事変をひきおこす。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

壬午軍乱」の用語解説はコトバンクが提供しています。

壬午軍乱の関連情報

関連キーワード

ボアソナード早稲田大学スティーブンソンマーク・トウェーンワーグナージーモンディルクセンハルゼーフォンタネージプルーイン

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.