Rakuten infoseek

辞書

地頭【じとう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

地頭
じとう
鎌倉幕府によって設けられた職名。「地頭」という言葉は 10世紀初め頃から用いられ,平氏政権のもとでも荘園の地頭にその家人が補任されたが,これは私的,非公法的なものであった。これに対して,鎌倉幕府においては,源頼朝が大江広元の献策により,文治1 (1185) 年 11月源義経,行家追捕を理由として諸国に守護,地頭の設置を奏請し,勅許を得た。この文治勅許の地頭設置の範囲については,(1) 日本全国,(2) 畿内および主として西国に属する 37ヵ国,鎮西9ヵ国,計 46ヵ国,(3) 西国 36ヵ国,(4) 地域的限定はあるが確定しない,などの説があるが,荘園領主の反対によって翌年7月には,全国五百余ヵ所の平家没官領および謀反人跡に限定せざるをえなかった。承久の乱 (1221) の幕府側の圧倒的勝利の結果,京都方に味方した者の所領三千余ヵ所を幕府の支配下に入れ,その地頭職を恩賞として御家人に与えることによって,幕府の支配は全国に及ぶことになった。これらの地頭の種類は複雑多様で,荘,郷,保,村,名 (みょう) 地頭などのほか惣地頭,小地頭と呼ばれるものもあり,これらは本領安堵地頭,新恩地頭,臨時地頭に大別される。また得分率法の違いによって,本補地頭新補地頭に分けられる。地頭の権限としては警察権,裁判権,徴税権,下地管理権,行政権などがあるが,地域,時代によって相違がある。地頭の設置により荘園制の解体が促進され,南北朝,室町時代になると,地頭は荘園における元来の性格を失い,幕府に対しても地頭職補任,安堵などによって制度的には一応関係を保ったが,実質的には守護大名の被官となりつつあり,この傾向は時代が進むにつれて顕著となった。戦国時代には地頭,地頭職の名称もほとんどなくなり,江戸時代には一部の地域で代官のことを地頭と呼ぶ以外には,まったく名残りをとどめなくなった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

じ‐あたま〔ヂ‐〕【地頭】
大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。「地頭がいい」「地頭を鍛える」
かつらなどをかぶらない、そのままの髪の頭。地髪(じがみ)。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

じ‐がしら〔ヂ‐〕【地頭】
能で、地謡(じうたい)の統率者。横2列に並んだ後列の中央に位置する。狂言の地謡にもある。
能の大鼓小鼓の特殊な手配りの名称。舞の中で、テンポを速めるために用いられる。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

じ‐とう〔ヂ‐〕【地頭】
平安末期、所領を中央の権門勢家に寄進し、在地にあって荘園管理に当たった荘官
鎌倉幕府の職名。文治元年(1185)源頼朝が勅許を得て制度化。全国の荘園・公領に置かれ、土地の管理、租税の徴収、検断などの権限を持ったが、しだいに職域を越えた存在となり、室町時代には在地領主化が進行した。承久の乱以前のものを本補地頭、以後のものを新補地頭という。
江戸時代、知行取り旗本。また、各藩で知行地を与えられ、租税徴収の権を持っていた家臣。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

とっさの日本語便利帳

地頭
もとは平安後期の荘園の荘官。一一八五年、頼朝の命により荘園・公領の職として制度化され、荘内の管理・徴税・警備・司法に携わった。次第に領主として実権を握るようになり、「泣く子と地頭には勝てぬ」ということわざが示すような専横振りを発揮。幕府がこれを監察するため国々に派遣した地方官が守護。

出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」

防府市歴史用語集

地頭
 平安時代末から鎌倉時代末に荘園[しょうえん]や国司[こくし]の土地を支配するために置かれた職です。税の取り立てや治安維持などが主な仕事でした。

出典:ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

じがしら【地頭】
能楽用語。(1)地謡(じうたい)の統率者。謡い出しの間を計り,音高を定め,全体のテンポや位取りをリードしつつ謡い進める。謡は声楽とはいえ,旋律楽器の伴奏もなく指揮者もいないので,地頭の占める役割はきわめて重要である。昔は前列の向かって右端に位置したといわれ,黒川能などはその古態を踏襲しているが,現在は後列中央に位置する。通常は1列4名なので,観世金剛喜多三流は中央の右側,宝生金春(こんぱる)は中央の左側に位置する。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

じとう【地頭】
平安末期~鎌倉時代に特徴的な(しき)の一つ。
[鎌倉以前の地頭]
 地頭の語は〈地頭に臨む〉などの用法にみられるように当初は現地もしくは土地そのものの指称であった。後に転じてその土地を領有する在地の領主を意味するようになり,さらに12世紀半ばごろには特定の人または職を表現する用語として現れてくる。地頭ないし地頭職が国衙領に多く散見されるところから,荘園所職として一般化する下司職と対比し,これが国衙領的であるとの見解もある。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

じあたま【地頭】
かつらなどをつけていない、そのままの頭。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

じがしら【地頭】
能楽用語。
地謡じうたいの統率者。
大鼓・小鼓の手配りの名称。舞い事・働き事の中でテンポを速めるはたらきをする特殊な手配り。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

じとう【地頭】
平安末期、開発領主のこと。また、それが有力者に土地を寄進し、自らは荘園管理にあたった者。
鎌倉幕府の職名。荘園における下地したじ管理権・徴税権・警察権・裁判権を有し、領域内住民を支配した。1185年、源頼朝が制度化。承久の乱以後増加し、荘園領主を圧迫して領有を進めていった。 → 本補ほんぽ地頭新補しんぽ地頭
室町時代、の系統をひく在地領主。次第に守護の被官となった。
江戸時代、地方じかた知行を与えられた、大名の家臣または幕府の旗本。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

地頭
じとう
日本中世の在地領主の一類型、または荘園(しょうえん)・公領(こうりょう)ごとに置かれた鎌倉幕府の末端の所職(しょしき)をいう。[義江彰夫]

地頭の源流

地頭の原義は明治以来現地をさす語とされてきたが、近年では単なる現地にとどまらず、とくに紛争の生じる現場という意味を含むとの見方が強くなってきている。したがって、派生語としての人や職をさす地頭の語も、開発(かいほつ)在地領主一般をさすとする古典的見解にかわって、平安末期に複雑な領有関係の下で頻発する紛争を武力で解決する条件を備えた特殊な在地領主をさす語と解されるようになってきた。
 地頭は元来地頭人ともよばれ、12世紀前半ごろまず前記のような特殊な場で、前述のように独特な条件を備えた者として登場するが、やがてそのような場からなる荘園や公領で、この条件を生かして収取その他の職務を担う役人に組織されて地頭職(しき)という一所職となった。平家はその全盛時代の12世紀後半に、地頭を必要とする所領の増加に対応して積極的に地頭の設置を行った。しかしその方法は、荘園や公領の一所職として任命する従来のやり方を超えるものではなかったと考えられる。やがて平家支配の下で所領紛争、治安の紊乱(びんらん)が全国的に極限状態に達し、その下でそれらと結び付いた百姓一般の抵抗が活性化してゆく。[義江彰夫]

鎌倉幕府の地頭制度

鎌倉幕府の地頭制度は、平家の制度を前提とし、このような在地領主一般の地頭化の動きを踏まえて地頭を国家的制度に転化させる必要が生じてきたという状況下で成立した。すなわち、源頼朝(よりとも)は、まず1180年(治承4)の挙兵直後から武門の家人(けにん)への恩給として郡郷司(ぐんごうじ)、下司(げし)、公文(くもん)などのなかから地頭職を重視し、これを荘園・国衙(こくが)とは別個の次元から安堵(あんど)・補任(ぶにん)し、権益の保証と検察・収取の義務を与えた。これを基礎として平家滅亡後の1185年(文治1)11月源義経(よしつね)追討のために上洛(じょうらく)させた北条時政(ときまさ)を代理人として後白河(ごしらかわ)院と交渉させ、いわゆる文治(ぶんじ)勅許の一環として総追捕使(そうついぶし)(守護)、兵粮米(ひょうろうまい)などとあわせて地頭を朝廷公認の制度として幕府が組織することを認めさせた。
 この文治地頭勅許の内容については、明治以来長い論争の歴史があり、設置範囲を全国とみるか西国のみとみるか、設置された所領を平家没官領(もっかんりょう)のみとみるかより広く荘公一般とみるか、恒久的制度とみるか義経追捕までの制度とみるか、勅許された地頭のタイプを荘郷地頭とみるか国地頭(くにじとう)とみるか、権限内容を所領支配全般とみるか検察・収取など限定的にとらえるか、などの諸点について諸説が対立し、解決をみていない。しかし、これらの論争を経て、現在少なくとも、文治勅許によって地頭が国家的制度となり、幕府が国ごとに統轄する者を通して、前述の検察・収取の職権をもつ地頭を組織する体制をつくりだしたことは、疑いない事実として認められるようになった。設置範囲、所領類型、制度の恒久性などについては、13世紀初頭までの鎌倉幕府の歴史のなかでいずれも全国荘公一般を対象とする恒久的制度に発展したことを考えれば、そこへ至る段階の問題として処理できる。
 幕府草創期に前記のような形で登場した地頭制度は、13世紀初頭までの曲折を伴う漸次的拡大を踏まえて、1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱の幕府方の勝利によって飛躍的に設置範囲を広げる。すなわち上皇方の膨大な没官領に一律に地頭が設置され、これらは新補(しんぽ)地頭とよばれ、否定された上皇方の武士の所職の権益を受け継ぐか、それがなくとも最低限11町ごとに1町の給田(きゅうでん)、反別(たんべつ)5升の加徴米、山野河海所出物(さんやかがいしょしゅつぶつ)の国司領家(こくしりょうけ)との折半、犯罪人跡所領3分の1の収得など制限付きながら権益が保証された。この新補地頭に対する規準設定にうかがえるように、幕府は地頭の存在や機能を積極的に肯定・拡大しようとした反面、一貫して一定の枠内に封じ込め無制限な成長を抑止しようとした。それは、鎌倉幕府が朝廷や荘園領主勢力と妥協した武家公権であり、かつ地頭の無制限な成長が幕府の存立を揺るがすと判断された結果と解されている。[義江彰夫]

地頭の発展

しかし地頭は前記の枠内に収まる存在ではなく、幕府の抑制を踏み越えて鎌倉時代を通して一貫して所管荘公所領の全一的支配を志向し、地頭請(うけ)、下地中分(したじちゅうぶん)などを通して、全一的所領支配の制度的な足掛りをつくりだすようになった。こうして地頭は南北朝時代にはますます幕府の地方職員としての枠を超える者になっていったので、室町幕府は地頭を地方幕府行政の末端の役人として組織しないようになった。その意味で南北朝から室町初期に至る時代は幕府制度としての地頭の消滅期といってよいが、平安末期の発生以来の実態上の武力領主としての性格は、この間むしろ発展したとみるべきである。戦国・江戸時代においても、伝統的な開発領主の系譜を引き、検察力を背景として在地を領域的に支配しつつ大名の給人や軍役衆に連なる領主は、各地で地頭とよばれ続けた。
 地頭の中世社会のなかにおける位置については、荘園・公領や幕府の職の枠内の未成熟で制約された存在にすぎないという見方と、実態面を重視して中世領主の典型とする見解とがあるが、それらは制度と実態のいずれの側からみるかによって生ずるずれで、実際には両面をもっていたものとみるべきであろう。[義江彰夫]
『三浦周行著『続法制史の研究』(1924・岩波書店) ▽牧健二著『日本封建制度成立史』(1935・弘文堂) ▽中田薫著『法制史論集 第2巻』(1938・岩波書店) ▽石母田正著『鎌倉幕府一国地頭職の成立』(石母田正・佐藤進一編『中世の法と国家』所収・1960・東京大学出版会) ▽上横手雅敬著『日本中世政治史研究』(1970・塙書房) ▽大山喬平著『日本の歴史9 鎌倉幕府』(1974・小学館) ▽義江彰夫著『鎌倉幕府地頭職成立史の研究』(1978・東京大学出版会) ▽安田元久著『地頭及び地頭領主制の研究』(1985・山川出版社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

地頭」の用語解説はコトバンクが提供しています。

地頭の関連情報

他サービスで検索

「地頭」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.