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土居通増【どい みちます】

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

土居通増 どい-みちます
?-1336 鎌倉-南北朝時代の武将。
伊予(いよ)(愛媛県)の豪族河野氏の支族。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年得能通綱(とくのう-みちつな)らとともに挙兵,隠岐(おき)を脱出した後醍醐(ごだいご)天皇を兵庫にむかえる。南北朝の動乱では新田義貞(よしさだ)にしたがって足利尊氏軍とたたかったが,建武(けんむ)3=延元元年10月11日越前(えちぜん)愛発(あらち)の中山(福井県敦賀市)で戦死。通称は彦九郎。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

どいみちます【土居通増】

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

土居通増
どいみちます
(?―1336)
鎌倉末・南北朝時代初期の武将。通称彦九郎。伊予の豪族河野(こうの)氏の支族で通成(みちなり)の子。伊予権介(いよごんのすけ)、のち備中守(びっちゅうのかみ)に任ず。久米(くめ)郡石井(いしい)郷南土居(松山市)が本拠。『太平記』は「土居二郎(通治(みちはる))」「河野備後守(びんごのかみ)通治」などと載せ、『大日本史』もこれに従って実名通治をとっているが誤り。元弘(げんこう)の変では同族の得能通綱(とくのうみちつな)らとともに討幕に活躍。のち南北朝の対立となると河野氏宗家に反して南朝方につき、湊川(みなとがわ)の戦いにも参加したが、1336年10月、新田義貞(にったよしさだ)の北国落ちに随行する途中、越前(えちぜん)荒乳(あらち)の中山で風雪と敵襲のため戦死した。[杉橋隆夫]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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