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咸陽【カンヨウ】

デジタル大辞泉

かんよう〔カンヤウ〕【咸陽】
中国陝西(せんせい)省渭水(いすい)北岸にある工業都市紡績工業が盛ん。秦(しん)代の首都人口、行政区95万(2000)。シエンヤン。

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世界大百科事典 第2版

かんよう【咸陽 Xián yáng】
中国,戦国時代の前350‐前207年の秦の都。現在の陝西咸陽市の北東約10kmの窯店公社にある。城壁は一部を除き明確でないが,渭河をまたいでほぼ15km四方の範囲と推定されている。城内の北方高地は宮殿区で東西に多数の宮殿基址がある。そのうち1号と3号の両宮殿址が調査された。1号宮殿址は1974‐75年の調査で,牛羊村北方高地上にあり,中間に牛羊溝をはさんで東西に対称回廊で連なり,両側におのおの東西68m,南北45mの2層の版築土台を心とした木造瓦葺の3層の殿閣であったことがわかった。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

咸陽
かんよう / シエンヤン

中国、陝西(せんせい)省中部、渭河(いが)の北岸にある地級市。3市轄区、乾(けん)、三原(さんげん)など10県を管轄し、1県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。常住人口497万2400(2015)。戦国時代、現在の市街の東方に秦(しん)の孝公(在位前361~前338)が初めて都城を築いて以来、秦の国都として繁栄した。とくに始皇帝は天下を統一する(前221)と、全国の富豪12万戸をここに移住させ、また自分が破った諸侯の宮殿を模倣した宮殿をここに建造して、諸侯の妻妾(さいしょう)たちを住まわせたので、宮殿の数は270に上ったという。さらに始皇帝は、渭河の南岸にも阿房宮(あぼうきゅう)を造営し、閣道(かくどう)を渭河に渡して咸陽の宮殿と連絡させようとしたが、秦が滅びると、咸陽の宮殿、阿房宮ともに項羽(こうう)によって焼き払われた。このとき阿房宮は3か月間にわたり燃え続けたという。

 現在の市街は明(みん)代からのもので、化学や機械、食品加工、建築材料、製薬、紡績などの工業が盛ん。市街の北約13キロメートルに西安(せいあん)咸陽国際空港がある。

[關尾史郎・編集部 2017年7月19日]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

かんよう カンヤウ【咸陽】
[一] 中国の都市。陝西省中部、渭水の北岸にあり、西安の西北にあたる。秦の始皇帝が都を置き、漢代には、渭城と呼ばれた。咸京。
[二] 唐の都、長安(今の西安)のこと。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

咸陽
かんよう
Xiányáng
中国陝西 (せんせい) 省中部,渭水の北岸にある都市
秦の孝公がこの地に拠り,始皇帝は壮大な阿房宮 (あぼうきゆう) を造ったが,のち,漢の劉邦 (りゆうほう) に占領され,ついで楚 (そ) の項羽 (こうう) に焼き払われた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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