Rakuten infoseek

辞書

和泉式部日記【いずみしきぶにっき】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

和泉式部日記
いずみしきぶにっき
平安時代中期の日記。『和泉式部物語』ともいう。1冊。和泉式部が冷泉天皇第4皇子帥宮敦道 (あつみち) 親王と知合ってから親王邸に引取られるまで,長保5 (1003) 年4月から翌年正月までの 10ヵ月間の愛情の進展の経過を物語風に記したもの。三人称的な記述をしているので,他人の作とする説もあるが,内容からみて和泉式部自身の作とするのが通説。成立は親王が没した寛弘4 (07) 年以後まもなくと推定されている。両者の愛情が成立するまでにはかなりの曲折があり,幾多の危機と波乱とに直面するが,多彩な様相を示す贈答歌を核に,その過程をみごとに定着させている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

いずみしきぶにっき〔いづみシキブニツキ〕【和泉式部日記】
日記。1巻。和泉式部の自作とされるが、他作説もある。寛弘4年(1007)成立とする説が有力。長保5年(1003)4月から翌年正月までの、敦道親王との恋愛の経過を、歌を交えて物語ふうに記す。和泉式部物語。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

いずみしきぶにっき【和泉式部日記】
平安中期の日記。別名《和泉式部物語》。冷泉天皇の皇子帥宮(そちのみや)(敦道(あつみち)親王)との恋愛の顚末を,贈答歌を中心にしるしたもので,歌物語の一面をもつ。1003(長保5年)4月から翌年1月までの10ヵ月間の記事がその内容である。他作説(例えば藤原俊成説)もあるが,家集との関係および日記本文からみて,自作とすべきであろう。執筆は,07年(寛弘4)の帥宮の死以後1年の服喪期間に思い立ったものと思われる。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

いずみしきぶにっき【和泉式部日記】
日記。一巻。和泉式部作とされるが後人説もある。1008年頃成立か。敦道あつみち親王との恋愛生活をつづったもの。物語的構想で統一されている。和泉式部物語。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

和泉式部日記
いずみしきぶにっき
平安時代の日記。1巻。別名を『和泉式部物語』とも。和泉式部と帥宮(そちのみや)敦道(あつみち)親王との恋愛の経緯を歌物語風につづった作品で、1003年(長保5)4月から翌1004年1月にかけての記事が収められている。作者については、自作説、他作説とあって結論は出されていないが、家集中の和歌の詠風が「日記」本文の心理的基調と重なり合うことなどから、式部の自作である可能性が大きい。「日記」のなかには140余首もの和歌が含まれており、宮と式部の贈答歌のやりとりとその連なりが、この2人の愛の物語を進行させる原動力となっている。和歌をつなぐ地(じ)の文は、季節の折節を明らかにし、場面を説明することによってプロットの進展を促してはいるものの、2人の心理のくまぐまを語り尽くしてやまない和歌に比べると、あたかもその従属物のような感じがしないではない。「日記」は、故人となった為尊(ためたか)親王をしのびつつ1人無聊(ぶりょう)をなぐさめている初夏のある日、故宮に仕えた小舎人童(こどねりわらわ)が、弟宮帥宮から託された橘(たちばな)の花を届ける場面から書き起こされる。以下2人の愛が深まるにつれてしだいに不安と動揺にさいなまれ、いくたびとなく訪れる途絶の危機を乗り越えながら、ついには宮の邸(やしき)に迎え入れられるまでの10か月間のことが記されている。表面華やかにみえるこの恋も、内面では「つれづれ」をかみしめ、なぐさめる、言い知れぬ孤独感や空虚感に支配された世界であったことをうかがうことができる。この作品ではまた、女主人公である式部は三人称化されて「女」と叙され、式部の視野外の事柄にも筆の及んだ部分を有しているが、これらは、宮の没後、共有した日々を追懐し、その思い出を作品として形象化する際の作者の一種の擬装であったとも考えられる。孤独を分かち合い、折を心得た一組の男女の知性と感性の応酬を、「女」の側からみごとに描ききったところに、この「日記」の際だった特色を認めることができよう。伝本としては現在、(1)三条西本(さんじょうにしぼん)系統、(2)寛元(かんげん)本系統、(3)応永(おうえい)本系統、(4)混成本系統に属する諸本が知られている。[平田喜信]
『円地文子・鈴木一雄著『全講和泉式部日記』(1965・至文堂) ▽藤岡忠美校注・訳『日本古典文学全集 8 和泉式部日記』(1971・小学館) ▽野村精一校注『新潮日本古典集成 和泉式部日記・和泉式部集』(1981・新潮社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

和泉式部日記」の用語解説はコトバンクが提供しています。

和泉式部日記の関連情報

他サービスで検索

「和泉式部日記」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.