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原爆ドーム【げんばくドーム】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

原爆ドーム
げんばくドーム
広島市中区にある被爆によって大破した建築物。チェコスロバキアのヤン・レツルが 1913~14年に設計し,広島県物産陳列館として建設され,のちに産業奨励館となる。ドームをもった印象的な建物であった。 1945年8月6日,史上初めての原子爆弾投下によって,その爆風と熱のためにドームの鉄骨がむき出しになった。その形から原爆ドームと呼ばれている。「悲惨な思いがよみがえる」として取り壊すもあったが,1966年広島市議会は永久保存を決議した。保存工事費用は全額募金でまかなうこととし,当時の浜井信三市長が先頭になって街頭募金活動を行なった。保存工事は 1967年に完了。 1996年には「平和の象徴」として周囲の敷地 0.39haを含め世界遺産 (文化遺産) として登録された。

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朝日新聞掲載「キーワード」

原爆ドーム
1915(大正4)年、広島県物産陳列館(被爆当時は県産業奨励館)として完成。設計は旧上智大本館(東京)を手がけたチェコ人建築家ヤン・レツル。原爆は約160メートル南東の上空約600メートルで炸裂(さくれつ)し、当時館内にいた約30人が死亡した。復興が進んだ60年代、保存か撤去かをめぐって論争が起こったが、66年に市議会が保存を決議した。すさまじい被爆の痕跡を視覚的に残した世界で唯一の建物。
(2006-12-06 朝日新聞 朝刊 3社会)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

げんばく‐ドーム【原爆ドーム】
広島市の中心部、中区の太田川河畔にある、旧産業奨励館の焼け跡。昭和20年(1945)8月6日、米軍による世界初の原子爆弾投下を受けたときの残骸で、当時のままに保存されている。平成7年(1995)世界遺産(文化遺産)に登録された。

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世界遺産詳解

げんばくドーム【原爆ドーム】
1996年に登録された日本の世界遺産(文化遺産)で、広島市中心部の元安川の川沿いにあり、川をはさんだ南側に平和記念公園がある。元は、チェコ人の建築家ヤン・レツルによって設計され、1915年に竣工した「広島県産業奨励館」の建物で、中央に高さ25mのドーム部がある、地上3階、地下1階のレンガ造り。ネオバロック風のモダンな建物だった。1945年8月6日の午前8時15分、この建物の南東上空約580mで原子爆弾が炸裂。建物はすさまじい熱線に包まれ、その直後に猛烈な爆風に襲われて一気に崩壊したとされる。わずかに、中央のドーム部分を中心とした外壁を残し、建物の本体部分はほぼ全壊した。現在、残った建物は人類史上初めて使用された核兵器による負の遺産で、人類の平和を願うシンボルとしての価値が評価され、世界遺産に登録された。◇英名はHiroshima Peace Memorial(Genbaku Dome)

出典:講談社
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大辞林 第三版

げんばくドーム【原爆ドーム】
広島市中区の中心部、大手町の相生橋南側にある旧産業奨励館の焼け跡の鉄骨ドーム。爆心にあたり、当時の惨禍を伝える唯一の記念物として保存されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

原爆ドーム
げんばくどーむ
広島市中区の太田川河畔にある原爆被災を象徴する建物。旧広島県産業奨励館で、1945年(昭和20)8月6日、史上最初の原子爆弾はこの建物の南東50メートルの地点に落とされた。建物は1914年(大正3)に旧チェコスロバキアの建築家ヤン・レツルによって設計され、ドームがエキゾチックで印象的であった。原爆によりドームの鉄骨がむき出しになり、いつともなく原爆ドームとよばれるようになり、被爆都市広島のシンボル化した。その後ドームの風化が進み、市議会は1966年にドームの保存を決議した。当時の市長浜井信三は工事費の全額を募金でまかなうこととし、市長自身も東京で街頭募金を行った。募金目標の4000万円に対し、全国から6600万円余が集まり、保存工事は1967年に完成した。1989年10月2回目の保存工事が開始され、翌年3月終了した。募金は目標額を大きく超える4億円余も集まった。1996年(平成8)には、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産)。[北川建次]

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事典 日本の地域遺産

原爆ドーム
(広島県広島市中区大手町1-10平和記念公園内)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典:日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」
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原爆ドーム
(広島県広島市中区大手町1-10)
世界遺産」指定の地域遺産。
原爆ドームは1915(大正4)年に建設された広島県物産陳列館のことで、チェコの建築家ヤン・レツル(1880-1925)の設計。鉄筋コンクリート造り3階建、一部5階建(ドーム)。噴水池をもつ洋風庭園や、和風庭園も整備されていた。産業奨励だけでなく、会場を提供することで博物館・美術館の役割も果たし、広島の文化振興の場として大きな役割を担っていた。1921(大正10)年に広島県立商品陳列所、1933(昭和8)年からは広島県産業奨励館と改称された。1945(昭和20)年8月6日の原子爆弾により、爆心地から北西約160mの至近距離にあった建物は大破・全焼した。戦後、いつしかこの残骸が「原爆ドーム」と呼ばれるようになった。被爆後の状況をそのまま保存することを目的として1967(昭和42)年度に保存工事が行われた。その後も保存工事が行われている

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精選版 日本国語大辞典

げんばく‐ドーム【原爆ドーム】
(ドームはdome) 広島市中区にある建物。昭和二〇年(一九四五)八月六日の原子爆弾被爆地域の中心にあり、旧産業奨励館の残骸(ざんがい)で、当時の惨状を後世に伝えるために保存されている。世界遺産。

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