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原子論【げんしろん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

原子論
げんしろん
atomism; atomic theory
原子またはアトミスティクともいう。古代の自然哲学に現れ,時代とともに形式,内容を変えつつ,現代にいたる基本的な科学思想。ギリシアの哲学者レウキッポスを経てデモクリトスが大成した。レウキッポスの仮説についてはわかっていないが,デモクリトスは原子を仮定することによって物質は不変であるとするパルメニデスの考えを感覚体験と調和させ,物質界の多様性は等質な原子の結合の多様性に由来し,変化とは原子結合の変化にほかならないとした。プラトンやアリストテレスは連続論の立場からデモクリトスの原子仮説を否定し,原子論は古代ギリシア思想の主流になりえなかった。エピクロスはデモクリトスの仮説に若干の変更を加え,これを採用した。エピクロスの原子仮説は詩人ルクレティウスの『事物の本性について』によって後世に伝えられた。ほかに,アナクサゴラスの体系や,地水火風の4元素に万物の根をみたエンペドクレスのように質的に相異なる数個の原子を認める体系があった。 17世紀にいたり,R.ボイルは物質の本性は原子で,その種類は元素の種類だけ存在すると考えたが,19世紀初めには化学の実験的研究に基づいて J.ドールトンが原子の実在を主張した。次いで A.アボガドロは各種の物質の最小構成要素として分子を導入した。これを分子論という。分子論も広義には原子論に含まれる。その後,この考えは物理学へも導入され,J.マクスウェルは気体の性質を多数の分子集団の挙動の平均として説明し,また熱現象における不可逆性は多数の分子の集団である物質が巨視的には統計法則に従うことによって起ることを明らかにした。しかし 19世紀後半のエネルギー論は,物体の挙動は巨視的な量のみにより記述されるべきで,眼に見えない分子や原子を導入すべきでないと主張し,熱力学を武器として気体のみならず液体,固体の性質も明らかにし,両者の間に激しい論争が起った。 19世紀末には電子の発見もあって原子論のほうが有力になったが,その勝利が決定的となったのは,1908年 J.ペランがブラウン運動の観測によってアボガドロ数を決定したことが分子の実在を示す証拠とみなされてからである。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

げんし‐ろん【原子論】
世界は空虚な空間と無数の不可分な原子からなり、同種原子の離合集散に応じて感覚的物質が形成されるとする、古代ギリシャに始まる哲学説。19世紀になって、元素はそれぞれ一定の性質および質量をもつ原子からなり、化合物は原子が結合した分子からなるという説をJ=ドルトンが実証、現代原子概念の基礎をつくった。アトミズム。→原子説

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
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世界大百科事典 第2版

げんしろん【原子論 atomism】
物質を分割していくと,それ以上分割できない究極・最小の単位すなわち〈原子〉に到達する,という説を原子論の定義として採るとすれば,後述されるように古代インドにも原子論は認められる。しかし以下のような,ギリシア=ヨーロッパの原子論(アトミズム)の伝統のもつもう一つの論理的特徴はもたないと考えられる。ギリシア原子論ではレウキッポスデモクリトスという二人の名が結び付けられる。物質が〈粒子〉から成るとする考え方は,むしろギリシアに一般的であるが,デモクリトスの完成したといわれる原子論は次の基本的な特徴を備えている。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

原子論
げんしろん
atomism

自然はそれ以上分割できない微粒子(原子)と真空からできているという基本的自然観の一つ。自然の連続説に対する不連続説、目的論に対する機械論、観念論に対する唯物論の立場にたつ。紀元前5世紀の古代ギリシアでレウキッポスと弟子のデモクリトスが初めて唱えた。タレスらの一元論が、パルメニデスによって論理的批判を浴び、世界は均質で不変であると説かれたのち、現実の生成消滅を擁護するために考えられた多元論で、原子はパルメニデスの「有るもの」と同じく一様で不変の実質をもつが、大きさと形状のみが異なる。無数の原子が無限の空虚を動き、衝突により鉤(かぎ)ホックのように機械的に結合あるいは分離し、世界の諸変化が生じる。物体の差異は原子およびその配列の違いのみによる。こうした古代原子論は部分的変更(たとえば機械的結合のかわりにI・ニュートンによる力、多種の形状のかわりにJ・ドルトンの球状など)を受けながらも、一様な実質をもつ不可分・不変の原子という基本概念を維持し続けた。この説は観念論的元素説論者のアリストテレスによって反対され、古代ではエピクロスおよびその学派が道徳哲学の基礎として受け継いだだけであった。

 アリストテレス学説が風靡(ふうび)した中世イスラムおよびヨーロッパでも原子論は衰微したままであったが、微粒子概念はアリストテレス説にも潜在的に含まれており、スコラ学者たちは自然の最小粒子(ミニマ)についてさまざまに論じた。ミニマはそれ自体性質をもち、物体の変化は構成ミニマの内的変化によるものであり、原子とは異なるが、時代が下ると原子論との混交がおこった。ルネサンス期には人文学者たちによる古代原子論の翻訳や紹介の結果、粒子論や原子論が流行した。フランスの司祭ガッサンディによるエピクロス説の紹介(1649~)は、トリチェリの真空の発見(1643)もあずかって原子論の普及に力があり、R・ボイルらに強い影響を与えた。原子とマクロな物体の間に比較的安定な粒子集合を想定するボイルの階層的粒子構造説は、後の原子・分子説の先駆をなすものであった。

 一方、古代において原子論と対立した元素説も、化学反応の間にも変化を被らずに保存されるものがあると化学者たちが考え始め、原子論に接近していった。オランダのゼンナートの、四元素に対応した4種の原子あるいは粒子の想定はその現れである。

 しかし、元素説と原子論の完全な結合は、四元素説を払拭(ふっしょく)した近代的元素説の誕生後であった。1803年にイギリスのドルトンは、ラボアジエの諸元素に原子を、化合物に分子(複合原子)を対応させ、それぞれの相対重量を算出した。ここに初めて、異種原子の規定がほぼ実証的に重量によってなされたのである。この結果、哲学的傾向の勝っていたこれまでの原子論は、科学の名に値するものになり、ラボアジエの元素説とともに化学を一新し、実り豊かな成果をあげることとなった。スウェーデンのベルツェリウスは精確な原子量決定の努力を長年続けた。

 しかし、分子中の原子数を決定する一貫した根拠を欠いたため、倍数比例則などの傍証にもかかわらず、原子論への懐疑が化学者の一部にあり、原子量のかわりに当量を用いる者も現れた。単体における多原子分子の想定によって、ゲイ・リュサックの気体反応の法則と原子論とを調和させたアボガドロの仮説(1811)はこの問題を解決するはずであったが、実証性に欠けていると考えられた。この世紀に新しくおこってきた有機化学において、原子量が不確定なために、一つの化合物の分子式がさまざまに決められ混乱が生じた。この問題を解決するためにドイツのカールスルーエで開かれた国際化学者会議(1860)の閉会後に配付されたカニッツァーロの論文別刷はアボガドロの仮説に実証性を与え、ついに原子量問題に決着をつけた。この結果、すでに生まれつつあった原子価概念が明確になり、有機化学構造論の発展、J・L・マイヤー、メンデレーエフによる周期律の発見(1869)が引き続いた。後者は、「諸元素の化学的性質と物理的性質は原子量に周期的依存性をもつ」(メンデレーエフ)ことを明らかにしたもので、ドルトンの開始した元素と原子の統一を、その本質解明は20世紀を待たねばならなかったが、名実ともに完成したものである。

 原子論は他の分野でも成功を収めた。とりわけ、気体分子運動論は化学の一学科をつくりあげるとともに、統計熱力学の端緒となった(ボルツマン)。原子論に基づくブラウン運動の解明、ことにアインシュタインの拡散方程式の実験的検証は、原子論への懐疑を一掃した。

 19世紀末の電子および放射能の発見に始まる20世紀の原子科学は、不可分・不変と考えられた原子が内部構造をもち、他に転換しうることを明らかにして、原子論を歴史的概念に変える一方、自然の一階層としての原子の存在を証明した。中世ヨーロッパで流行した「錬金術」すなわち、高価な金を化学的反応でつくりだそうという試みは、原理的に不可能であることが明らかになった。元素を変換する錬金術は現在では、採算は合わないとしても原子核反応を用いて行うことは可能である。原子力発電の使用済み燃料の放射能処理への応用も検討されている。それ以上分割できない微粒子、あるいは自然の最小粒子という概念は、原子を構成する電子と原子核へ、さらに原子核を構成する陽子と中性子や湯川の中間子などの素粒子の発見への原動力となった。現在では、さらに素粒子を構成する最小単位としてクォークquarkの存在が確立している。

[肱岡義人・阿部恭久]

インドの原子論

インドでは古くからさまざまな要素(元素)説が展開されてきたが、紀元前後以降、論理的反省が加えられ、原子論が形成された。原子論は、とくに仏教のアビダルマ学者、ジャイナ教徒、ニヤーヤ、バイシェーシカ両学派によって主張された。ニヤーヤ、バイシェーシカ両学派によれば、すべての物質は地水火風という要素から構成されているが、それぞれの要素は無限に分割できるわけではない。もしも無限に分割できるならば、巨大な山も、微小なケシ粒も、ともに無限の部分からなることになり、大小の比較の根拠がなくなってしまうからである。そこで、もはやそれ以上分割ができない基礎単位があることが要請される。この基礎単位が原子である。したがって、原子は部分を有しない、つまり他のものによって構成されないから永遠に不滅である。原子が2個で二原子体、二原子体が3個で三原子体というようにして、世界のあらゆる物が構成されるのであるが、われわれの肉眼で見ることができる最小のものは三原子体であるという。

[宮元啓一]

『B・スコーンランド著、広重徹他訳『原子の歴史』(1971・みすず書房)』『江沢洋著『だれが原子を見たか』(1976・岩波書店)』『古川千代男著『物質の原子論――生徒と創造する科学の授業』(1989・コロナ社)』『化学史学会編『原子論・分子論の原典』1~3(1989~1993・学会出版センター)』『西川亮著『古代ギリシアの原子論』(1995・渓水社)』『板倉聖宣著『原子論の歴史 上――誕生・勝利・追放』『原子論の歴史 下――復活・確立』(2004・仮説社)』

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精選版 日本国語大辞典

げんし‐ろん【原子論】
〘名〙 古代ギリシアのレウキッポス、デモクリトスらの説いた、世界は空虚な空間と、それ以上分割できない極微小な物質、すなわちアトムからなるとする哲学説。原子説。アトミズム。〔生物学語彙(1884)〕

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