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勝海舟【かつ かいしゅう】

美術人名辞典

勝海舟
幕末・明治の幕臣・政治家。江戸生。旗本勝左衛門太郎の長男。名は初め義邦、のち麟太郎、維新後は安芳、通称に安房守、海舟は号。島田見山剣道を学び、さらに永井青崖について蘭学修業、のち私塾を開く。軍艦奉行大政奉還尽力。維新後、新政府の海軍大輔・参議海軍卿枢密顧問官となる。幕末三舟の一人。明治32年(1899)歿、77才。

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デジタル大辞泉

かつ‐かいしゅう〔‐カイシウ〕【勝海舟】
[1823~1899]幕末・明治時代の政治家。江戸の人。名は義邦、のち安芳(やすよし)。通称、麟太郎。安房守(あわのかみ)。蘭学兵学を学び、万延元年(1860)幕府使節とともに、咸臨丸(かんりんまる)を指揮して米。幕府海軍育成に尽力。幕府側代表として西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を実現。明治維新後、海軍卿・枢密顧問官などを歴任吹塵録」「海軍歴史」、自伝「氷川清話」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

勝海舟 かつ-かいしゅう
1823-1899 幕末-明治時代の武士,政治家。
文政6年1月30日生まれ。勝惟寅(これとら)の長男。幕臣。嘉永(かえい)3年江戸に蘭学塾をひらく。長崎の海軍伝習所で航海術を習得。安政7年遣米使節の随行艦咸臨(かんりん)丸の艦長として太平洋を横断。帰国後,軍艦奉行にすすみ,神戸海軍操練所をひらき坂本竜馬らを育成した。慶応4年陸軍総裁となり,西郷隆盛と会見し,江戸無血開城を実現。明治6年海軍卿兼参議となるが8年免官。下野ののちは徳川家の後見と旧幕臣の生活救済につとめるとともに,旧幕府史料を編修し「開国起原」「吹塵録」などをあらわした。21年枢密顧問官。伯爵。明治32年1月19日死去。77歳。江戸出身。名は義邦,安芳(やすよし)。通称は麟太郎。
格言など】事を遂げるものは愚直でなければならぬ,才走ってはいかぬ

出典:講談社
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江戸・東京人物辞典

勝海舟
1823〜1899(文政6〜明治32)【幕臣】坂本竜馬など、幕末の志士を教育。 無血開城で江戸を戦禍から救う。幕臣。政治家。名は義邦、のち安芳と改名、海舟は号。江戸出身で旗本の子。従兄弟の男谷精一郎からは直新影流を学んだ。蘭学と軍艦操術を修め、海軍伝習のため長崎へ。1860年咸臨丸を指揮、太平洋を横断して渡米。海軍操練所では広く人材育成に努め、幕臣だけでなく坂本竜馬ら脱藩志士も門人として教育した。戊辰戦争では、幕府側代表として徳川家存続を条件に西郷隆盛と会見するなど、江戸無血開城に尽力した。伯爵。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
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デジタル大辞泉プラス

勝海舟
1974年放映のNHKの大河ドラマ原作は、子母澤寛の同名小説。江戸城を無血開城に導いた幕臣・勝海舟の豪快な人物像を描く。脚本:倉本聡、中沢昭二。音楽:冨田勲。出演:渡哲也松方弘樹ほか。主演の渡が病気のため途中降板し、松方に交代

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世界大百科事典 第2版

かつかいしゅう【勝海舟】
1823‐99(文政6‐明治32)
幕末・明治の政治家。下級幕臣勝小吉の長男で通称麟太郎,名は義邦,海舟は号。幼少のころ将軍徳川家斉の孫初之丞の相手をつとめたが,その死によって微禄御家人の生活に戻り,島田虎之助について剣術をきわめ,ついで島田のすすめで蘭学により西洋兵学を身につけた。蘭学の師は永井青崖。本所に育ったが,蘭学修学の便のため赤坂に移り,1850年(嘉永3)赤坂田町に兵学塾を開いた。ペリー来航後しばしば上書してその識見を幕府有司に知られ,55年(安政2)初頭の海防掛視察団に加わって伊勢および大坂湾一帯の防備体制を調査,ついで同年から長崎ではじまる海軍伝習に幹部学生として派遣された。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

かつかいしゅう【勝海舟】
1823~1899 江戸末期・明治の幕臣・政治家。名は義邦よしくに、のち安芳やすよし。通称、麟太郎。海舟は号。江戸の人。蘭学・兵学に通じ、蕃書翻訳所に出仕。1860年咸臨かんりん丸を指揮して太平洋を横断。64年海軍奉行。西郷隆盛と会見して江戸城明け渡しに尽力。維新後海軍大輔・枢密院顧問。著「海軍歴史」「吹塵録」「氷川清話」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

勝海舟
かつかいしゅう
[生]文政6(1823).1.30. 江戸
[没]1899.1.21. 東京
江戸時代末期の幕臣。明治の政治家。通称は麟太郎,名は義邦,のち安芳と改名。海舟はその号。旗本小普請組勝小吉の長男。蘭学を学び,砲術,航海,測量に一家をなし,蕃書調所の創設準備委員,次いで長崎の海軍伝習所に入る。安政7 (1860) 年『咸臨丸 (かんりんまる) 』艦長として,遣米特派使節に随行。軍艦奉行を経て,慶応4 (68) 年陸軍総裁,若年寄となり,西郷隆盛と江戸開城を協定。新政府の海軍大輔,参議兼海軍卿,元老院議員を歴任。 1887年伯爵,89年枢密顧問官。著作『まがきのいばら』『亡友帖』『断腸の記』『幕府始末』『外交余勢』『海軍歴史』『陸軍歴史』『吹塵録』など。談話の筆記に『氷川清話』がある。山岡鉄舟高橋泥舟とともに「幕末三舟」といわれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

勝海舟
かつかいしゅう
(1823―1899)
幕末期の開明的な幕臣。文政(ぶんせい)6年1月30日、石高41石余の貧乏旗本勝家に生まれる。通称麟太郎(りんたろう)、名は義邦(よしくに)、のち安芳(やすよし)と改名。海舟と号し、安房守(あわのかみ)と名のった。勝家は、父小吉(こきち)が婿養子になる形で同家の旗本株を買ったもの。小吉の生家である旗本男谷(おたに)家も、金貸しを営んでいた小吉の祖父男谷検校(けんぎょう)が、小吉の父のために買ったものであった。しかも父小吉が無役であり、市井(しせい)のなかで無頼の生活を送っていた関係で、周辺には庶民の雰囲気があった。剣は島田虎之助(とらのすけ)(直心影流(じきしんかげりゅう))に学び、その代稽古(だいげいこ)を勤めるほどになったが、島田の勧めで西洋兵学に志した。その勉強ぶりは有名で、入手しにくい蘭書(らんしょ)をその所有者の家に毎夜、半年間通って書写したという。こうして1850年(嘉永3)から自宅で蘭学塾を開くようになり、1855年(安政2)には大久保忠寛(ただひろ)(一翁(いちおう))に推挙されて蕃書(ばんしょ)翻訳所に出仕した。同年さらに海軍伝習生頭役(とうやく)として長崎の海軍伝習所に赴き、オランダ士官より航海術の訓練を受けた。3年後江戸に帰り軍艦操練所教師方頭取となり、1860年(万延1)には日米修好通商条約批准使節の新見正興(しんみまさおき)に随従して、咸臨丸(かんりんまる)で太平洋を横断することとなった。
 日本人だけの太平洋横断を指揮し、アメリカで近代を見聞してきた海舟が、倒れかかった幕府で近代海軍を建設する仕事にとりかかる。帰国後各職を歴任し、1862年(文久2)軍艦奉行並(ぶぎょうなみ)として神戸に海軍操練所を設け、幕臣だけでなく、坂本龍馬(りょうま)や龍馬に誘われた志士たちなどを含めて広く人材を集めた。2年後、海舟は免職になり操練所は閉鎖されるが、この間木戸孝允(たかよし)や西郷隆盛(たかもり)らと接触があり、彼らに影響を与えている。ところが1866年(慶応2)敗北した第二次幕長戦争(長州征伐)の跡始末のために登用されるが、フランスと手を組む幕府中心の主戦的な流れから孤立していく。海舟には、幕府よりも日本の国家統一を重視する考え方があったからであろう。戊辰(ぼしん)戦争で江戸が新政府軍に囲まれたとき、主戦派の幕臣をなだめ、新政府側の西郷隆盛と会談して江戸の無血開城を実現させたことは、こうした海舟の見識の結果であって、日本を外国の干渉から救うことをも意味した。
 維新後は、しばらく新政府の誘いを断って静岡(駿府(すんぷ))に退いていたが、1869年(明治2)兵部大丞(ひょうぶだいじょう)に就任してから、海軍大輔(たいふ)、参議兼海軍卿(きょう)を歴任し、のち元老院議官、枢密院顧問官となり、伯爵になっている。旧幕臣で新政府に出仕したのが珍しかったためか、福沢諭吉に「痩我慢(やせがまん)の説」で非難された。しかし余生は、旧幕府の歴史の著述に使っており、『海軍歴史』『陸軍歴史』『吹塵録(すいじんろく)』などが知られている。また海舟の談話筆記である『氷川清話(ひかわせいわ)』と『海舟座談』は、海舟の生い立ちや考え方を知るにはよい材料である。明治32年1月19日没。墓所は、別邸「洗足軒(せんぞくけん)」のあった東京都大田区洗足池畔。[池田敬正]
『松浦玲著『勝海舟』(中公新書) ▽石井孝著『勝海舟』(1974・吉川弘文館)』

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精選版 日本国語大辞典

かつ‐かいしゅう【勝海舟】
幕末、明治の政治家。名は義邦。のち安芳。通称、麟太郎(りんたろう)。安房守(あわのかみ)。幕府の海軍伝習生としてオランダ人から海軍諸術を学ぶ。遣米使節を送るため咸臨丸(かんりんまる)の艦長として日本人による初の太平洋横断に成功。海軍創設に尽力し軍艦奉行に就任。王政復古の際、幕軍代表として西郷隆盛と会見し、江戸無血開城を果たす。以後、参議、海軍卿などを歴任。著に「海軍歴史」「吹塵録(すいじんろく)」、自伝「氷川清話」など。文政六~明治三二年(一八二三‐九九

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旺文社日本史事典 三訂版

勝海舟
かつかいしゅう
1823〜99
幕末・維新期の政治家
名は安芳 (やすよし) ,海舟は号。江戸の人で,蘭学を修め,佐久間象山に砲術を学ぶ。長崎の海軍伝習所に入り,1860年幕府の遣米使節を乗せた咸臨丸 (かんりんまる) の艦長として太平洋横断に成功。軍艦奉行・陸軍総裁を歴任し,戊辰 (ぼしん) 戦争では旧幕府側を恭順 (きようじゆん) に導き,西郷隆盛と交渉して江戸無血開城を実現した。明治新政府では,参議・海軍卿・枢密院顧問官などを歴任。著書に財政経済資料を集めた『吹塵 (すいじん) 録』など多数。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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