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加納藩【かのうはん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

加納藩
かのうはん
江戸時代,美濃国 (岐阜県) 厚見郡加納地方を領有した藩。慶長6 (1601) 年奥平信昌が 10万石で入封して子忠隆除封以後,大久保氏5万石,松平 (戸田) 氏7万石,安藤氏6万石を経て,宝暦6 (1756) 年永井直陳が武蔵岩槻より3万 2000石で入封,6代を経て廃藩置県にいたる。永井氏は譜代,江戸城雁間詰。

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藩名・旧国名がわかる事典

かのうはん【加納藩】
江戸時代美濃(みの)国厚見(あつみ)郡加納(現、岐阜県岐阜市加納)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は憲章館、文武館。関ヶ原の戦いの翌1601年(慶長(けいちょう)6)、徳川家康(とくがわいえやす)が娘婿の奥平信昌(おくだいらのぶまさ)に10万石を与えて加納城を築かせ立藩した。奥平氏3代のあと、大久保忠職(ただもと)(5万石)、松平(戸田)氏3代(7万石)、安藤氏3代(6万5000石→5万石)と続いた。次いで1756年(宝暦6)に、武蔵(むさし)国岩槻(いわつき)藩から永井直陳(なおのぶ)が3万2000石で入り、以後明治維新まで永井氏6代が続いた。永井氏は、若年寄など幕府の要職についた藩主もいたが、幕末の戊辰(ぼしん)戦争では新政府側についた。1871年(明治4)の廃藩置県で加納県となり、その後岐阜県に編入された。

出典:講談社
(C)Kodansha 2011.
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世界大百科事典 第2版

かのうはん【加納藩】
美濃国加納に藩庁を置いた譜代中小藩。現在の岐阜市を中心にした地域に所在。関ヶ原の戦直後の1601年(慶長6)徳川家康の女婿奥平信昌が10万石で封ぜられたのがはじまり。奥平氏断絶後,武蔵国騎西から大久保忠職が32年(寛永9)入部。39年大久保氏と交替で播磨国明石から戸田氏が入部して7万石をはむ。1711年(正徳1)戸田氏は山城国淀へ移封され,備中国松山から安藤氏が入部。初代信友は将軍吉宗のもとで老中を務めたが,2代信尹の時代に家中騒動がおこり,1万5000石没収されて5万石となる。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

加納藩
かのうはん
江戸時代、美濃(みの)国厚見(あつみ)郡加納(岐阜市)に置かれた譜代(ふだい)藩。領地は藩主家の交代のたびに移動したが、その中心は厚見郡であった。1601年(慶長6)10万石で奥平信昌(おくだいらのぶまさ)が入封。2代続いたが無嗣(むし)絶家となる。そのあと大久保忠職(ただもと)が5万石。以後、戸田氏3代が7万石(分与して6万石に減少)、安藤氏3代が6万5000石(減封され5万石に減少)、永井氏6代が3万2000石。1871年(明治4)加納県を経て岐阜県となる。[渡辺和敏]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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