●前田寛治【まえだかんじ】
前田寛治
まえたかんじ
[生]1896.10.1. 鳥取,中
北条[没]1930.4.16. 東京
洋画家。1921年東京美術学校卒業,翌 1922年フランスに留学。
エコール・ド・パリの自由な雰囲気にふれ,一方ジャン・オーギュスト・ドミニク・
アングル,ギュスターブ・
クールベにひかれ,知的な新しい写実を目指した。1925年帰国,同年帝国美術展覧会(
帝展)特選(→
官展)。1929年『海』(東京,タイ大使館)で帝国美術院賞を受けた。一方,1926年
佐伯祐三,
里見勝蔵らと
一九三〇年協会を設立して滞欧作 40点を出品。また本郷湯島に前田写実研究所を開設して,
唯物史観に基づく知的で新しい
写実主義を主張した。主要作品『二人の労働者』(1923,大原美術館),『赤い帽子の少女』(1926,兵庫県立近代美術館),『裸婦』(1925,
東京国立近代美術館),『裸体』(1928,東京国立近代美術館)。(→
フォービスム)
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まえた‐かんじ〔まへたクワンヂ〕【前田寛治】
[1896~1930]
洋画家。鳥取の生まれ。フランスに留学し、
クールベや
アングルに
傾倒。独自の
写実主義を目ざしたが、しだいに主観表現に向かった。
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前田寛治 まえた-かんじ
1896-1930 大正-昭和時代前期の洋画家。
明治29年
10月1日生まれ。
大正11年フランスへ留学。クールベに傾倒し,また倉吉中学時代の同級生福本和夫の唯物史観の影響をうけ,独自の写実主義を提唱した。15年「一九三○年協会」創立にくわわり,のち前田写実研究所を開設。昭和5年4月16日死去。35歳。鳥取県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。代表作に「海」(帝国美術院賞),「J・C嬢の像」「棟梁の家族」。
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まえたかんじ【前田寛治】
1896‐1930(明治29‐昭和5)
洋画家。鳥取県北条町に生まれた。1921年(大正10)東京美術学校卒業。在学中は
藤島武二の指導をうけ,また
内村鑑三に傾倒。翌22年渡仏して
エコール・ド・パリの自由な雰囲気にふれ,また旧友
福本和夫と交遊し彼のマルクス主義思想の影響を受ける。アングル,クールベにひかれ,古典主義,写実主義を研究し,25年帰国した。同年の帝展で特選となって
画壇に
地歩を築き,翌年には里見勝蔵,佐伯祐三,小島善太郎らと
一九三〇年協会を結成して滞欧作40点を出品,また帝展にも出品を続けて若きホープとみなされ,29年《海》(タイ国大使館)で帝国美術院賞を受けた。
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まえだかんじ【前田寛治】
(1896~1930) 洋画家。鳥取県生まれ。東京美術学校卒。渡仏してクールベに傾倒。帰国後「1930年協会」を創立。独自の写実主義を目指した。
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前田寛治
まえたかんじ
(1896―1930)
洋画家。明治29年10月1日鳥取県に生まれる。倉吉中学校を卒業後、上京して葵橋
(あおいばし)洋画研究所に入り、黒田清輝
(せいき)の指導を受ける。1921年(大正10)東京美術学校西洋画科を卒業、帝展に出品し、翌年フランスへ留学した。クールベのレアリスムに傾倒し、また福本和夫
(かずお)から唯物史観の感化を受けて、社会意識の強い独自の写実主義を目ざした。1925年帰国して第6回帝展に『J・C嬢の像』を出品し、特選となる。翌年同志とともに「一九三〇年協会」を創立、また本郷・湯島の自由画室に写実研究所を開設した。質感、量感、実在感を絵画の写実的要件としたが、彼自身の作風はしだいにフォーブ的な主観表現へと向かった。帝展で特選、無鑑査ののち、1929年(昭和4)に審査員として出品した『海』は帝国美術院賞を受ける。翌昭和5年4月16日没。ほかに代表作として『二人の労働者』『裸体』『棟梁
(とうりょう)の家族』がある。
[小倉忠夫]『瀧悌三著『前田寛治』(1977・日動出版部)』
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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まえた‐かんじ【前田寛治】
洋画家。鳥取県出身。東京美術学校卒業後渡仏。独自の写実主義をめざしたが、作風はしだいに主観表現に傾いた。代表作「海」「裸体」「二人の労働者」。明治二九~昭和五年(一八九六‐一九三〇)
出典:精選版 日本国語大辞典
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