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則天武后【そくてんぶこう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

則天武后
そくてんぶこう
Ze-tian Wu-hou; Tsê-t`ien Wu-hou
[生]徳7(624)? 并州文水
[没]神竜1(705).12.26. 洛陽
中国,唐の第3代皇帝高宗皇后で,のちみずから国号を改め女帝となった (在位 690~705) 。名は武しょう () 。官僚の家に生れ,初め太宗後宮に入り,帝の死後尼になっていたところを高に見出され,皇后王氏を陥れ,みずから皇后となった。高宗が健康を害すると政務に口を出し,有能な人材を登用しつつ独裁権を握った。高宗の死後,実子中宗,さらにその睿宗 (えいそう) を帝位につけ,反抗する皇族らに大弾圧を加え,天授1 (690) 年国号を周と改め,みずから帝位に上った。約 15年間天下を支配したが,晩年は張易之兄弟ら寵臣が政を乱し,神竜1 (705) 年張柬之 (かんし) らの挙兵により,中宗が復位し唐を再興するとまもなく病没した。彼女が実権を握った半世紀間に,唐初の律令体制は大きな変質をきたした。門閥によらずに人材を登用し,そのため新興の地主,商人,文人が官界に大量に進出した。さらに則天文字をつくり,仏教を保護し堂塔の造営を行うなどした。また書にすぐれ,その撰になる『昇仙太子碑』がある。題目は飛白体,本文は草体で書かれ,飛白体,草体の書は日本の空海の書風の源流をなしたといわれる。

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デジタル大辞泉

そくてん‐ぶこう【則天武后】
[624~705]中国、高宗の皇后。中国史上唯一の女帝。在位690~705。姓は武。名は(しょう)。高宗の没後、子の中宗、弟の睿宗(えいそう)を廃立。唐の皇族・功臣らを滅ぼし、同族重用、自ら帝位に就き、国号を周とした。クーデターで中宗が復位し、唐が再興したのち、病死

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デジタル大辞泉プラス

則天武后
深瀬サキによる戯曲。1977年、第21回「新劇岸田戯曲賞(のちの岸田国士戯曲賞)の候補作品となる。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

そくてんぶこう【則天武后 Zé tiān Wǔ hòu】
624‐705
中国,唐の高宗の皇后であったが,高宗の死後,唐に代わって朝(武周)を建てた。在位690‐705年。姓は武氏,諱(いみな)は曌(曌は武后が作った照の新字)。武則天ともいう。幷州文水(山西省汾陽県)の人。父の武士彠(ぶしかく)は木材業でをきずき,隋末に府兵の隊正を務め,李淵(唐高祖)の挙兵に参加した功績で利州(四川省広元県)都督を授けられた。今の広元県にある皇沢寺が武照の生地であるとされる。美貌の誉れ高く,14歳のとき太宗の後宮に入り,太宗の没後,感業寺でとなっていたのを高宗が見つけ出して後宮に入れた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

そくてんぶこう【則天武后】
624~705 中国、唐の高宗の皇后。姓は武。諡おくりなは則天大聖皇后。高宗の死後、中宗・睿宗えいそうを廃位させ、690年、国号を周(武周690~705)と改め帝位につく。独裁政治を行なったが、人材を登用し治政に努めた。武后。武則天。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

則天武后
そくてんぶこう
(624ころ―705)
中国、唐朝第3代高宗の皇后で、のち自ら周朝を建てる(在位690~705)。生年は一説に630年ころともいう。本名照、山西省の大材木商で唐朝の創業に貢献し栄進した武士(ぶしかく)の娘。美貌(びぼう)で14歳のとき太宗の後宮に入り、帝の死後尼となっていたところを高宗(李治(りち))にみいだされ、寵(ちょう)を得たと伝えられる。姦計(かんけい)を用いて皇后王氏らを陥れ、655年自ら皇后に成り上がる。この立后には元勲長孫無忌(ちょうそんむき)一派とそれに対抗する官僚グループの対立が絡んでいたが、彼女は文芸と吏務に長じた新興官僚を巧みに登用操縦して旧貴族層を排斥した。数年ののちに高宗が健康を害すると、自ら政務を親裁し独裁権力を振るうに至った。683年高宗が病没すると、自分の子中宗・睿宗(えいそう)を次々と帝位につけ、彼女に反抗して挙兵した李敬業や唐の皇族らを武力で打倒し、同族を重用した。さらに御史や隠密(おんみつ)を使って大規模な弾圧を行い、政権強化に努めた。一方、女徳をたたえる仏経を偽作し、また符瑞(ふずい)を利用して武氏の天下を宣伝し、ついに690年国号を周と改め、自ら皇帝を称し、中国史上唯一の女帝となり約15年全国を支配した。
 周の伝統に従って暦法、官名などを改正し、また十数個の新字(則天文字。圀=国、=日、○=星、=人、=照など)を使わせるなど人心一新を図った。治世には、北門学士らに命じ、『臣軌(しんき)』『百寮新誡(ひゃくりょうしんかい)』以下多数の修撰(しゅうせん)を行い、また臨時の使者を各地に派遣して人材の吸収に努め、さらに人気取りに官爵をばらまき、また明堂、天枢、大仏のような大建築をおこし、国威宣揚に努めた。狄仁傑(てきじんけつ)、魏元忠(ぎげんちゅう)ら名臣をよく用いたが、末期には張易之(えきし)兄弟ら寵臣が政治を乱し、ついに705年張柬之(かんし)らのクーデターにより、中宗の復位と唐の再興をみた。のちまもなく高齢で病死した。
 彼女は悪辣(あくらつ)な策略や残酷な弾圧に加えて、陽道壮偉(巨根)の男を求め、妖僧(ようそう)薛懐義(せつかいぎ)や張易之兄弟との醜聞を残すなど、非難の的となる反面、自ら書をよくし、学芸を庇護(ひご)するとともに、有能な人材を抜擢(ばってき)して新興階層を受け入れ、政治、社会、文化の各方面にわたり新機運をもたらした点は、高く評価される。死後、夫高宗と長安の北西乾(けん)県にある梁(りょう)山の乾陵に合葬された。ここにはみごとな石彫天馬や夷酋(いしゅう)列像(首を欠く)など当代文物をとどめ、周辺に壁画で名高い永泰公主墓など陪冢(ばいちょう)も多く、文物保管所ができている。彼女をテーマとする林語堂(りんごどう)の小説や郭沫若(かくまつじゃく)、田漢の戯曲など作品も多く、その希代の女傑ぶりはいまなお語りぐさとなっている。[池田 温]
『原百代著『武則天』全8巻(講談社文庫) ▽外山軍治著『則天武后』(中公新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

そくてん‐ぶこう【則天武后】
中国、唐の高宗の皇后。姓は武、名は。高宗にかわって実権をにぎり、高宗の死後、わが子中宗・睿(えい)宗を次々に帝位につけたが、六九〇年、国号を周と改め、みずから聖神皇帝と称した。中国史上唯一人の女帝。悪辣非道な策略をとった反面、学芸を庇護し、文化を興隆させた。七〇五年、張柬之(ちょうかんし)らが中宗を復位させ、国号は再び唐となった。「臣軌」を撰す。則天皇后。(六二四頃‐七〇五

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旺文社世界史事典 三訂版

則天武后
そくてんぶこう
624〜705
唐の第3代皇帝高宗の皇后で中国史上唯一の女帝
姓は武。太宗(李世民)の後宮にはいり,その死後尼寺にはいった。653年高宗に召され,後宮の争いに乗じ他の妃たちを暗殺して皇后となり,高宗が病むと,政治の実権を握った。高宗の没後,子の中宗・睿宗 (えいそう) を廃して帝位につき,一族の者を用いて権力をほしいままにした。周の復興をはかって690年国号を周(〜705,通称は武周)と改め,則天文字をつくり,仏教を保護した。死の直前,中宗が復位して隠退させられた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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