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写経【しゃきょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

写経
しゃきょう
仏教の経典の文を書写すること。経典は初め暗唱によって伝えられたようであるが,次第に書写されるようになった。インドでは主としてターラ樹 (しゅろの木) の葉を材料として用い,ときには樹皮や紙なども用いた。『法華経』では写経を重要なものとしてあげており,当時この風習が盛んに流行したことがうかがえる。仏教典籍が中国に移入され,翻訳されると,経典の書写はきわめて盛んとなり,いわゆる一切経の書写も行われたが,印刷術の発達とともに減少した。日本でも奈良時代に始り,きわめて盛んであった。その後写経の習慣は衰微したが,なお写経の功徳に対する信仰のもとに,祖先の供養,自己の福利などを願って行われ,今日も行われている。

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デジタル大辞泉

しゃ‐きょう〔‐キヤウ〕【写経】
[名](スル)経文を書写すること。また、書写した経文。仏典の保存や仏典書写による功徳(くどく)などを目的とする。

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世界大百科事典 第2版

しゃきょう【写経】
供養などの目的で経典を書写すること。また,書写した経典のこと。初期の仏教では,経典は口承で伝えられたために書写は行われなかった。前3世紀に上座部(じようざぶ)系の仏教が伝えられたスリランカでは,前1世紀に初めて経典が文字で記されたが,その後も経典の伝承は口承を中心に行われ,写経ということが関心を集めることはなかった。このことは他の部派においても同様であったと考えられる。一方,紀元前後に興った大乗仏教,とくに《般若経》や《法華経》などでは経典の受持(じゆじ),読誦(どくじゆ)と並んで書写の功徳が強調されており,実際にこのころから写経も行われていたと考えられる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

しゃきょう【写経】
( 名 ) スル
経文を書写すること。また、書写された経文。そもそもは経典を広めるために行われたが、のちには功徳のある行為とされ、供養や祈願のために行われるようになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

写経
しゃきょう
仏教経典を書写すること、また書写された経典のこと。さらに広くは高僧の著作の書写までをいう。インドで、釈尊の残したことばを仏弟子たちが口承(暗誦(あんしょう))によって伝えた。当時は筆録する風習がなかったことによるが、やがて文字によって写されるようになる。スリランカの伝承では、紀元前1世紀ごろに書写が始まったという。おそらく西暦紀元前後のころの、『道行般若経(どうぎょうはんにゃきょう)』『般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)』『法華経(ほけきょう)』などの初期大乗経典には、経典の書写は功徳(くどく)ありと強調されていて、そのころより行われたようである。写経の素材は木の葉や樹皮、布などが用いられ、とくにシュロに似たターラ樹の葉(貝多羅(ばいたら))が使われ、貝葉経(ばいようきょう)とよんだ。インドではイスラム教のインド侵入(12世紀)以前は紙の伝統がなかったので、貝葉が写経の中心であったが、紙が使われるようになっても、形式は貝葉と同一方法で書写された。現存する最古の写経は、中央アジアのコータン(ホータン)で発見された、ガーンダーリー語『法句経(ほっくきょう)』で、樺(かば)皮に書かれ、1、2世紀ごろのものと推定されている。文字はカローシュティー文字である。その後、ブラフミー文字が増加し、やがては各地域の文字で書写された経典が現れた。ネパール文字で書写されたサンスクリット語の写本が12、13世紀を中心に多数残っている。パーリ語系のものはスリランカではシンハラ文字で、また、ビルマ文字、シャム文字、カンボジア文字など各国に多くの写本が残っている。サンスクリット語系は中央アジアに写本の断片が広く発見されており、集大成のものとしてはチベット、モンゴル、その他各国の文字で広く伝わっている。[石上善應]

中国

中国で仏典が漢訳されたのは後漢(ごかん)時代の2世紀中ごろのようで、この時代に蔡倫(さいりん)が製紙法を発明し、文房具類の発達によって拍車がかけられ、仏典の書写に影響を与えた。また大乗仏典の書写による功徳が強調され、その時期が中国の仏教伝来と同時であったことにもより、写経はしだいに盛んとなる。六朝(りくちょう)時代には魏(ぎ)の道武帝が一切経(いっさいきょう)を書写させたと伝えており、集成仏典の写経が盛んになった。5世紀から、写経は1行17字という後世の写経の定型が成立した。隋(ずい)から唐代に至ると写経の隆盛期を迎え、写経の装飾もりっぱとなり、料紙を紺に染めた紺紙金字経などが生まれた。北宋(ほくそう)に入ると、内乱と印刷技術による版本の普及とによって、写経はやや減少した。古くは文字は隷書(れいしょ)体であったが、隋・唐にかけては楷書(かいしょ)体となり、巻子本(かんすぼん)の形式が定着した。版本の影響で折り本や冊子本も現れた。特色あるのは、廃仏などの迫害のため、何代もかけて岩に刻んだ石刻経が生まれたことである。また近年になって敦煌(とんこう)から発見された多数の写経は、仏教研究を大いに促進させたものとして貴重である。[石上善應]

日本

日本では中国で散逸した貝葉の断片がわずかであるが発見され、明治期に海外に紹介されている。『日本書紀』には欽明(きんめい)天皇13年(552)条に百済(くだら)国王が経論を献じたとあり、それは写経に間違いない。聖徳太子の自筆といわれる『法華義疏(ほっけぎしょ)』は『法華経』の注釈書で、わが国の最古の紙本墨書である。672年(天武天皇1)に書生(しょしょう)を川原寺(かわらでら)に集めて一切経を書写させたと伝えているが、686年(朱鳥1、丙戌年)に書写された『金剛場陀羅尼経(こんごうじょうだらにきょう)』が現存する最古のものである。奈良時代には官立の写経所が設けられ、おびただしい写経がなされた。それには、写経の功徳が、祖先の追善や滅罪生善となり、鎮護国家の祈願に及ぶと考えられたからである。写経の発達は、紺紙金泥・銀泥、金銀泥や紫紙など豪華な経本を生じ、『平家納経』(国宝、厳島(いつくしま)神社蔵)のような装飾経が現れた。また死者の追福のため、多数の写経が行われ、木簡写経の一種である(こけらきょう)が庶民の信仰として現れた。平瓦(ひらがわら)の両面に経文を刻み、地中に埋めて祈願する瓦経(かわらきょう)も現れた。『絵入過去現在因果経(えいりかこげんざいいんがきょう)』のような絵入り経、一字のわきに一仏を描く一字一仏経、蓮台(れんだい)の上に文字を記す一字蓮台経、経典の一章を独立して尊ぶ一品経(いっぽんきょう)、定められた法のとおりに写経する如法経(にょほうきょう)、扇面を料紙にして写経する扇面経、死者への供養のため、故人の消息をつないで、その紙の裏に写経する消息経(しょうそくきょう)など、実に多様な形で発展した。とくに歴史的には『法華経』が写経の中心であったが、最近は『般若心経(はんにゃしんぎょう)』がその代表として流行している。[石上善應]
『水野弘元著『経典――その成立と展開』(1980・佼成出版社) ▽大山仁快編『日本の美術156 写経』(1979・至文堂)』

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精選版 日本国語大辞典

しゃ‐きょう ‥キャウ【写経】
〘名〙 経文を書き写すこと。また、書き写した経文。本来、経文を広く世に伝えるために行なわれたが、その功徳が高く評価されたので、後には国家の安寧、祖先の冥福、自己の得脱など、種々の目的から行なわれるようになった。
※正倉院文書‐天平一五年(743)七月二九日・写官一切経所解「奉写経二百六十三巻

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