Rakuten infoseek

辞書

兵農分離【へいのうぶんり】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

兵農分離
へいのうぶんり
室町時代後期~江戸時代初期にみられた武士農民との身分的,地域的分離政策。鎌倉時代以降,多くの武士は地侍 (じざむらい) として村落内に住み,直接農業経営にたずさわるとともに戦士としての役割を果していた。しかしやがて自営農民の成長,封建支配の強化と相まって,武士の都市集住が行われるようになり,農民の刀狩による武器所持,検地による転職と移住の禁止が普及し,農民と武士の分化が進められた。この政策は商農分離とともに織豊政権により推進され,幕藩体制の基本的階級関係となった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

へいのう‐ぶんり【兵農分離】
戦国時代から江戸初期にかけて行われた、武士と農民の身分的分離政策。戦国大名は武士の城下町集住や検地による農民身分の確定で両者の分離に努めたが、豊臣秀吉は天正16年(1588)刀狩り令によって兵と農の身分的差別を明確にした。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

へいのうぶんり【兵農分離】
中世末期の下剋上戦乱のなかで,経済的には支配階級に属しながら被支配身分である地侍名主(みようしゆ)百姓などが分解を遂げ,領主農奴という近世封建社会の基本的階級関係が確定づけられていくが,支配身分としての武士と,被支配身分としての百姓町人などが截然と区別され,武士が他のすべての者を支配し,その原則に基づいて秩序づけられる体制が形成されていく過程を指す。百姓はもちろん,武士も古くから存在していた。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

へいのうぶんり【兵農分離】
一六世紀末に織豊政権によって開始され、一七世紀前半、徳川政権によって完成された武士と農民との階層分化・身分固定化。それまでの兵農雑居の形態から、検地・刀狩りを通じて、武士の都市集住と農民の武装および転職・移住の禁が確立した。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

兵農分離
へいのうぶんり
太閤(たいこう)検地によって推進された近世における身分制度と階級支配の基本政策。太閤検地以前、武士は農村に根拠地を置き、個々の農民を直接支配し、農業生産にも関与していた。また、農民も下剋上(げこくじょう)を通じて武士化することもあり、兵農は未分離であった。太閤検地はこの関係を断ち、武士と農民の関係を次のように整理した。第一に、武士は農業生産そのものに直接かかわることなく、個々の武士が個々の農民を個別的に支配することはしない。第二に、武士は農村から離れて城下町に集住し、支配階級としてまとまり、農民から連帯責任制などの経済外強制を通じて、米を中心とした生産物地代を搾取する(米納(べいのう)年貢制)。第三に、年貢米(生産物地代)を取り立てた大名は商人を通じてそれを換金し、必需物資を購入したり、家臣団の維持費を捻出(ねんしゅつ)する。以上の体制全体を兵農分離という。
 次に兵農分離が貫徹される過程をみると、兵農分離は畿内(きない)・近国における惣村(そうむら)や在地領主制の解体によって体制化された。畿内・近国では、生産諸力の先進性を基礎とし、長百姓(おとなびゃくしょう)、有力名主(みょうしゅ)、地侍(じざむらい)などとよばれる小領主層の手作(てづくり)経営地が縮小し、それにかわって、平(ひら)百姓の自立化に基づく請作経営地が広まった。これにより、小領主層は、事実上生産過程から遊離し、小農生産に寄生するようになる(加地子(かじし)領主化)。豊臣(とよとみ)秀吉はこれら小領主層の農民支配権を奪い、彼らを家臣団に組み入れ、武士身分として確定した。この方式を秀吉は太閤検地の全国的施行のなかで推し進めた。これに対し、九州や東北では、在地領主層が農民支配の特権を奪われることに反対し、配下の農民まで率いて一揆(いっき)を起こすこともあった。秀吉はこれを鎮圧するとともに、1588年(天正16)刀狩(かたながり)令を出し、農民の武器所持を禁じ、農民は農業に専念すべきものとした。かくて武士と農工商身分は分離され、身分間の移動は禁止されることとなった。それとともに秀吉は、国内統一戦争と朝鮮侵略を通じ、長期長途の戦いに耐えうる兵農分離した武士団の創出を諸大名の領国に強制した。[北島万次]
『山口啓二著『幕藩制成立史の研究』(1974・校倉書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

へいのう‐ぶんり【兵農分離】
〘名〙 中世末から近世初期にかけて行なわれた武士と農民の身分差別を明瞭にし、前者による後者の支配をめざした政策。特に天正一六年(一五八八)の豊臣秀吉の刀狩令による農民に対する規制は、その後の幕藩体制の基本となる強い影響を持った。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

兵農分離」の用語解説はコトバンクが提供しています。

兵農分離の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.