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【かぶと】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典


かぶと
helmet
頭部を防御する武具。とも書く。古くは前 2400年頃バビロニアのナラム・シン王戦勝碑浮彫,前7世紀のアッシリアの浮彫に円錐形の兜がみられるが,古代オリエントのものは不明。ギリシアには,金属や革製で鼻や頬までおおうものもある。中国では殷代に青銅の兜がある。日本では古墳時代のものが最も古く,船の舳先に似た衝角形 (付) 冑,三角形や長方形などのに透かし彫のある眉庇付 (まびさしつけ) 冑がみられる。平安時代末期には大鎧 (おおよろい) に付属する星兜の頭部を保護する鉢に,頸部を矢から防ぐためのしころが取付けられた。また,鍬形,獅噛 (しがみ) ,据文 (すえもん) 金物などの装飾金具が加わり華麗なものとなる。南北朝時代には筋兜が盛行し,室町時代末期になると,戦場における威嚇と自己宣伝の意味から,種々の変り型兜が考案された。西洋の兜には,頭にかぶって目,鼻,口だけを露出するサレット (ヘルメット) ,首から頭部までをおおいつくし,目のすきまと鼻の空気穴だけをあけたクローズ・ヘルメット,前庇付き帽子型に耳おおいがついたブルゴーネット,キャップのまわりに庇のついた帽子型のモリオンや槍兵用鉢兜,儀仗用の羽毛装飾などのついた儀仗兜などがある。 (→甲冑 )  

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

かぶと【×兜/×冑/甲】
武将が頭部を防護するためにかぶった武具。頭を入れるところを鉢(はち)、その下に垂れて頸部(けいぶ)を覆う部分を錏(しころ)といい、鉄や革などで作る。
舞楽で用いる、鳥兜(とりかぶと)
端午の節句の、1を模した飾り物。また、「兜人形」の略。 夏》

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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と【兜】[漢字項目]
人名用漢字] [音]ト() トウ) []かぶと
〈ト〉
かぶり物。「兜巾(ときん)
梵語の音訳字。「兜率(とそつ)
〈トウ〉かぶと。

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とう【兜】[漢字項目]

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日本大百科全書(ニッポニカ)


かぶと

頭部から頸部(けいぶ)を保護するためにかぶる防具で、鉢(はち)と(錣)(しころ)とからなり、胴・袖(そで)とともに甲冑(かっちゅう)の主要部を構成する。冑とも書き、また中世以降の軍記物語では甲(よろい)を「かぶと」と読ませる例もある。兜の発達は古く古墳時代にさかのぼり、当時の古墳から製作の精巧な大陸様式の兜が出土し、武装埴輪(はにわ)の表現にも認められるが、本項では、平安中期に勃興(ぼっこう)し中世・近世にわたり政権をとった武士の着用した兜について述べる。

 武士の兜は10世紀ごろの発生と考えられる。この兜は大鎧(おおよろい)に具すもので、遺物、文献などにより、源平争覇の戦いの行われた平安後期にはいちおうの形式的成立をみたものと推定される。武家時代の兜は星(ほし)兜、筋(すじ)兜、当世(とうせい)兜とに分類して考えるのが便利である。

 星兜は平安後期から南北朝時代ころまでもっぱら大鎧に具して用いられた。鉢は数枚から数十枚の板金(いたがね)を鋲(びょう)で重ね矧(は)ぎ(一枚張筋伏(すじふせ)鉢、革鉢もまれにある)、黒漆を塗り、正面に眉庇(まびさし)をつけ、腰巻(こしまき)にを設ける。鋲の頭は整形して星とよび、補強と装飾を兼ねた。頂部に天辺(てへん)の穴をあけ、鎌倉中期ごろまでは、着用の際に髻(もとどり)の先を烏帽子(えぼし)とともに出して兜の安定を計った。初期の鉢は板金の枚数が少なく、星の大きい雄壮な感覚の素朴な作りであるが、時代の推移に従い形状は豊かな膨らみを示し、板金はしだいに細かくなり、星も小形化して数を増加するに至った。天辺に葵葉座(あおいばざ)や菊重(きくがさ)ねの八幡(はちまん)座という飾り金物を据え、前後あるいは四方に鍍金(ときん)の板を伏せ、篠垂(しのだれ)という装飾的な筋金物を据え(二方白、四方白)、鍍金の星(白星)を打つなど、加飾が進み、作技の進歩と相まって製作は漸次精巧の度を加え、将帥は鍬形(くわがた)を打って身分を示した。は小札板(こざねいた)を威(おど)し下げ通常五段に構成し、鉢付鋲(はちつけびょう)をもって鉢の腰巻に取り付ける。両端は左右に緩く返し、画韋(えがわ)で包み、据文金具(すえもんかなぐ)を打って吹返(ふきかえし)とよび、装飾と顔面保護の機能を有した。鎌倉末期ごろより激しい太刀(たち)打ち戦や攻城戦を反映して裾(すそ)を大きく斜めに開いた笠となり、吹返は強く折り返された。

 筋兜は、鉢の板金を平鋲留めにした星のない兜である。南北朝時代ごろより星兜にかわって漸次普及し、大鎧をはじめ胴丸(どうまる)、腹巻(はらまき)に添えられ、室町時代に全盛を極めた。上級武士は、鉢の筋に鍍金の覆輪(ふくりん)をかけ腰に檜垣(ひがき)を打ち巡らすなどの装飾を施し、さらに威容を加えるために鍬形を打って賞用した。総覆輪(そうふくりん)筋兜という一形式で、あまたの遺物が当時の好尚をうかがわせる。室町後期には、鉢の前後頂部が膨らみ各筋の間に漆を盛り上げた阿古陀形(あこだなり)とよばれる独特の形が好まれた。戦乱が永続した室町末期、甲冑形式に変革がおこり、42間、62間などの新形式の筋兜や小星の兜、あるいは頭形(ずなり)の兜などが発生した。戦闘法や武器の変化に対応するものであるが、このころより甲冑鍛冶(かじ)の名や年紀を鉢裏などに刻むことが始まった。

 近世に入ると、当世具足(とうせいぐそく)の兜として中世とは異なる種々の兜を生じた。いわゆる当世兜と称すべきもので、これには南蛮の兜や文物の影響がある。張貫(はりぬき)でさまざまの物をかたどった奇抜な意匠の張懸(はりかけ)兜、鉄板を打ち出した桃形(ももなり)、置手拭形(おきてぬぐいなり)、唐冠形(とうかんなり)などの形(なり)兜、日根野頭形(ひねのずなり)、越中頭形(えっちゅうずなり)などが流行した。前代の末に生じた筋兜と小星の兜は継続して用いられたが、鉢の表面は漆塗りにかわる金錆地(かなさびじ)が多くなった。は小札(こざね)製が廃れて板物(いたもの)製が普及し、優れた機能性が認められて日根野(ひねのじころ)が流行した。当世兜の形式、構造、外観は千差万別で多種にわたり、前立(まえだて)、脇立(わきだて)などの立物にも斬新(ざんしん)な感覚が表現された。これは自我に目覚めた当時の式士の自己顕揚の一手段でもあった。江戸中期から後期には張懸兜のごとき奇抜なものは退化した。筋兜は作技を誇示するかのように120間、160間がつくられ、なかには200間に及ぶものもあった。また、中世の兜の形式を採用した星兜、筋兜がつくられ、太平の世情を反映して、豪華に装飾した工芸的なものが現れた。

[山岸素夫]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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