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元服【げんぷく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

元服
げんぷく
初冠,加冠烏帽子着ともいう。男子が成人し,髪形,服装を改め,初めて冠をつける儀式。元服の時期は一定しなかったが,11歳から 17歳の間に行われた。儀式は時代,身分などによって異なり,平安時代には髪を結い,冠をつけ,中世武家の間では冠の代りに烏帽子を用いた。加冠の人を烏帽子親,元服する人を烏帽子子と称し,幼名が改められ実名 (成人後の名前) が定められた。江戸時代になると,一般武家では烏帽子を用いず,月代 (さかやき) を剃って前髪を落すようになった。

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デジタル大辞泉

げん‐ぷく【元服】
[名](スル)《「げんぶく」とも》
奈良時代以降、男子が成人になったことを示す儀式。ふつう、11~16歳の間に行われ、髪を結い、服を改め、堂上家以上は地下(じげ)では冠の代わりに烏帽子(えぼし)を着用した。中世以降は混同されて烏帽子を用いても加冠といい、近世には烏帽子も省略されて月代(さかやき)をそるだけで済ませた。また、これを機に幼名を廃して実名を名のった。加冠。
江戸時代、結婚した女性が歯を黒く染め、丸まげを結い、眉をそったこと。

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世界大百科事典 第2版

げんぷく【元服】
男子が成人になったことを社会的に承認し祝う通過儀礼の儀式。〈げんぷく〉ともいい〈元〉は首,〈服〉は着用する意。首服,首飾冠礼,加冠,初冠(ういこうぶり∥ういかぶり),御冠(みこうぶり),冠ともいう。
[古代]
 冠礼としての成人式は,日本古代では682年(天武11)に規定された男子の結髪加冠の制以後,冠帽着用の風習が普及してからで,国史に見えるものとしては714年(和銅7)の聖武天皇(14歳で元服)の記事が初めとされる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

げんぶく【元服】
( 名 ) スル
〔現在では「げんぷく」が普通〕
男子が成人に達したことを示すための儀式。服を改め、髪を結い、冠をつけたり、幼名を廃し烏帽子えぼし名を付けたりした。一二歳前後に行われることが多かった。江戸時代には、貴族以外は簡略になり、前髪を切り落とすだけになった。首服。加冠。ういこうぶり。こうぶり。
江戸時代、女が結婚して眉を剃り、歯を染め、丸髷まるまげに結ったこと。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

元服
げんぷく
「げんぶく」とも読み、冠礼、首服、加冠、あるいは和風に初冠(ういこうぶり)、初元結(はつもとゆい)ともよぶ。中国古代の儀礼に倣った男子成人の儀式で、公家(くげ)、武家を通じて行われた。「元」とは首(こうべ)、「服」とは冠の意とされるように、儀式の中核は、元服以前には童(わらわ)とよばれて頭頂をあらわにしていた男児に、成年の象徴としての冠を加え、髪形、服装を改めることにあり、これを期に社会的に一人前の扱いを受ける。年齢は15、16歳から20歳ぐらいまで幅があって一定しないが、天皇、皇太子の例では11~17歳ぐらいが通例で、一般に元服の際に叙位、任官が行われることから年齢が下がる傾向もあった。天皇の元服は正月1日より5日の間の吉日を選ぶ定めであったが、一般でもこれに倣って正月に行うことが多い。また古くは夜に行われたが、江戸時代にはおおむね日中に行われるようになっていた。本来、通過儀礼としての成年式自体は民族誌的にも普遍性をもち、起源もきわめて古いと考えられるが、儀式としての元服はいちおうそれと区別すべきである。さかのぼっては聖徳太子元服の所伝もあるが、天武(てんむ)朝に結髪加冠の制が定められてのち、714年(和銅7)6月の皇太子(後の聖武(しょうむ)天皇)元服の記事が国史では初見(『続日本紀(しょくにほんぎ)』)で、貞観(じょうがん)(859~877)のころ大江音人(おおえのおとんど)が唐礼によって制した定式(じょうしき)が以後範とされたと伝えられる。
 その儀式は、身分によって作法、諸役奉仕の者に軽重があるが、天皇の場合がもっとも盛大で、以下の諸役を定める。すなわち、加冠は引入(ひきいれ)ともよばれ、冠を頭首に加える役で、太政(だいじょう)大臣など諸役中最上首の者を任ずる。理髪は加冠の前に黒(こくさく)(絹製で額に巻く。親王以下は用いない)を脱し、加冠のあとに髪を整える役で、加冠に次ぐ身分の者を任ずる。能冠は天皇の場合にのみ置くが、初め黒を加え、髪を結い改めて、その末を切る役である。元服に際して貴人には添臥(そいぶし)が定まり、服装も、腋(わき)を縫い合わせない闕腋(けってき)の袍(ほう)から縫腋(ほうえき)の袍に改まる。また、元服を期に童名を改めて実名を名のるが、その際に加冠や貴人の名の一字を授かることもあった。
 武家ではもっぱら冠のかわりに烏帽子(えぼし)が用いられ、元服する者を冠者(かんじゃ)、加冠にあたる者を烏帽子親と称する。冠者と烏帽子親の間柄は、これを親子関係に擬して重んじたため、これを有力者に依頼することが多かった。戦国時代以降、下層武士の間から露頂の風が広まるにつれて、元服は月代(さかやき)を剃(そ)り、袖止(そでとめ)(衣服の袖を短くつめる)を行うのみとなり、江戸中期には、この風は将軍をはじめ上層武士にまで及んだ。このように、元服の内容も時代によって大きく変化をみせるのである。なお民間でも類似の儀式が行われることがあった。[杉本一樹]

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精選版 日本国語大辞典

げん‐ぶく【元服】
〘名〙 (現代は多く「げんぷく」。「元」は頭(かしら)・首(こうべ)、「服」は身につけることの意)
① 古代中国の風習を模して行なわれた男子成人の儀式。年齢は一定しないが、平安時代以降では一二歳頃から一五、六歳までの間に行なわれる場合が多い。公家では、子どもの髪型である総角(あげまき)をやめて初めて冠(かんむり)をかぶり、児童の服の闕腋(けってき)から大人の服の縫腋(ほうえき)に変え、幼名を改め、貴人が理髪と加冠の役に当たった。武家では、冠の代わりに烏帽子(えぼし)が用いられ、「烏帽子始め」の儀を行ない、加冠役を「烏帽子親」、冠者を「烏帽子子」といい、その儀式は公家の場合に準ずる。室町中期以後、貴人の他は略式となり、前髪、月代(さかやき)をそり落とし、服の袖留めをするだけになった。のち、この風は庶民にも及んだ。初冠(ういこうぶり)。初元結(はつもとゆい)
※続日本紀‐和銅七年(714)六月庚辰「皇太子加元服
※太平記(14C後)一「御元服(ゲンブク)の義を改められ、梨本の門跡に御入室有りて」 〔儀礼‐士冠礼〕
② 女子成人の儀式。一二、三歳から一六歳頃までに行なわれ、初めは「髪上げ」の儀だけが行なわれたが、それに「裳着(もぎ)」が加わり、貴人や親戚の長者が裳(も)の腰紐を結ぶ役をつとめた。江戸時代では、服装の変化により、袖留めの式に変わった。
※柳橋新誌(1874)〈成島柳北〉二「笄(〈注〉ゲンプク)も亦随意(〈注〉かって)、嫁も亦随意」
③ 江戸時代、結婚した女性が、眉をそり、お歯黒をし、髪型を丸髷(まるまげ)にかえることをいう。お歯黒だけをつけるのを半元服、眉までそるのを本元服というが、本元服は、懐妊または分娩の後に行なうのをふつうとする。
※雑俳・柳多留‐八(1773)「げんぶくも二た剃刀は女なり」

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