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俘囚の乱【ふしゅうのらん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

俘囚の乱
ふしゅうのらん
朝廷に帰属した俘囚が,平安時代中期頃,地方官の強圧政策に対して起した反乱。弘仁5 (814) 年の出雲,嘉祥1 (848) 年の上総,斉衡2 (855) 年の陸奥,元慶2 (878) 年と天慶2 (939) 年の出羽の場合がそれである。なかでも元慶2年出羽国俘囚の反乱は大規模であった (いわゆる元慶の乱) 。この年3月俘囚が大挙して秋田城,郡院,城辺の民家を焼いたのが発端で,この事情は出羽守藤原興世からただちに政府に報告され,陸奥国ならびに上野,下野両国に対して派兵を命じた。藤原保則の出羽権守,小野春風の鎮守府将軍任命によってようやくこの乱は鎮定された。

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世界大百科事典 第2版

ふしゅうのらん【俘囚の乱】

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日本大百科全書(ニッポニカ)

俘囚の乱
ふしゅうのらん
古代末期、いったん政府統治下に入った蝦夷(えぞ)の起こした反乱。俘囚とは政府側に降伏した蝦夷のこと。彼らは、集団的に内国に移住させられる場合と、東北地方の現地に特定地域を指定されて、そこに定住させられる場合とがあった。どちらの場合にも、彼らは従来の組織を解かず、俘囚長の直接支配下に置かれたから、政府の地方政治が緩むにつれて、反乱を起こすようになった。その例として、814年(弘仁5)の出雲(いずも)、848年(嘉祥1)の上総(かずさ)、878年(元慶2)の下総(しもうさ)、883年の上総などの俘囚の乱があるが、そのなかでもっとも大規模なものとして、878年出羽(でわ)国秋田城下に起こった元慶(がんぎょう)の乱がある。秋田城や郡衙(ぐんが)を襲い、官舎や民家を焼き払い、秋田河(雄物(おもの)川)以北の地の独立さえ要求した。前九年・後三年の役はその最後の反乱といえる。[高橋富雄]

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