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佐藤忠信【さとうただのぶ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

佐藤忠信
さとうただのぶ
[生]応保1(1161).陸奥
[没]文治2(1186).9.20. 京都
鎌倉時代初期の武士。陸奥湯の荘司元治の子。継信の弟。藤原秀衡の命で,とともに源義経従者となり,終始義経を守護した。文治1 (1185) 年平家討伐にのあった義経が,兄頼朝と不和になり落したのち,京都で襲殺された。

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デジタル大辞泉

さとう‐ただのぶ【佐藤忠信】
[1161~1186]平安末期の武士源義経の四天王の一人。継信。義経が吉野山山僧に攻められたとき、身代わりとなって奮戦翌年、京都でに囲まれて自刃

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

佐藤忠信 さとう-ただのぶ
1161-1186 平安後期-鎌倉時代の武士。
応保元年生まれ。佐藤元治(もとはる)の子。佐藤継信(つぐのぶ)の弟。陸奥(むつ)信夫(しのぶ)郡(福島県)の人。藤原秀衡(ひでひら)の郎党であったが,兄継信とともに源義経(よしつね)の家臣となる。一ノ谷,屋島,壇ノ浦などでたたかい,義経四天王のひとりといわれた。文治(ぶんじ)2年9月20日,京都で糟屋有季(かすや-ありすえ)におそわれ自害。26歳。通称四郎兵衛尉(ひょうえのじょう)。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

さとうただのぶ【佐藤忠信】
1161‐86(応保1‐文治2)
鎌倉時代初めの武士。陸奥国の信夫荘(,福島市)司佐藤元治の子。継信(つぎのぶ)の弟。源義経の郎等となり,兄の継信とともに西日本各地を転戦し,1185年(文治1)には兵衛尉に任命された。同年源義経とともに吉野に逃れたが,山僧横川(よかわ)覚範来襲さいには義経の身代りとなり,ひとりのこって奮戦し,主人の危機を救った。その後は京都に潜伏していたが,86年9月糟屋有季に襲われ自殺した。【大石 直正】
伝承
 《平治物語》(九条家本)によれば佐藤兄弟の母の尼公は,二人を義経に託す際,忠信を〈実法の者〉と評したという。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

さとうただのぶ【佐藤忠信】
1161~1186 平安末期の武将。名は四郎。源義経が奥州平泉にあったとき、兄継信とともに主従関係を結び、以後義経四天王の一人として各地に転戦。義経が吉野山で僧兵に襲われたとき、身代わりとなって奮戦。京都潜伏中、糟屋有季に襲われて自刃した。浄瑠璃・歌舞伎の題材となっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

佐藤忠信
さとうただのぶ
(1161―1186)
鎌倉初期の武将。陸奥(むつ)国信夫庄司元治(しのぶのしょうじもとはる)の子で継信(つぐのぶ)の弟。源義経(よしつね)が奥州藤原秀衡(ひでひら)の下で保育を受けていた当初から義経に仕え、のち兄継信とともに平家追討の戦いで数々の軍功をあげ、功により兵衛尉(ひょうえのじょう)に任じられた。兄継信、鎌田盛政(もりまさ)・光政(みつまさ)とともに義経四天王の一人として名高い。1185年(文治1)義経が兄頼朝(よりとも)の勘気を受けて、刺客土佐房昌俊(とさぼうしょうしゅん)によってその京都堀川第(ほりかわだい)を襲われたときには、極力防戦、やがて義経に従って吉野山に潜伏、危機に際しては、自ら義経の名を名のって奮戦した。のち京都に潜入したが、86年9月、四条室町第(しじょうむろまちだい)にあるところを糟屋有季(かすやありすえ)に探知され、その襲撃を受けて自刃した。[鈴木国弘]

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精選版 日本国語大辞典

さとう‐ただのぶ【佐藤忠信】
平安末期の武将。源義経の四天王の一人。継信の弟。陸奥の人。義経が平泉の藤原秀衡のもとにあった頃から仕え、平氏討伐に戦功を立てた。のち義経に従って吉野山にかくれ、山僧の襲撃をうけたとき義経の身代わりとして戦い、翌年京都に潜伏中、糟屋有季に襲われ自殺。浄瑠璃歌舞伎などの題材にとりあげられている。応保元~文治二年(一一六一‐八六

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