Rakuten infoseek

辞書

佐藤信淵【さとうのぶひろ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

佐藤信淵
さとうのぶひろ
[生]明和6(1769).6.15. 出羽,西馬音内
[没]嘉永3(1850).1.6. 江戸
江戸時代後期の農政学者。通称百祐,字を元海,号は椿園,融斎,松庵。幼少から父信季と各地を旅行して見聞を広め,のち江戸に出て儒学,国学,神道を,また本草学,蘭学を宇田川玄随,大槻玄沢に学んだ。経歴には未詳の点が多い。農政,物産,海防,天文,兵学,暦算測量について多くの論説を発表した。 82歳で没するまでのその生涯は,明治以降に与えられた高い評価に反し,生前に積極的に世に迎えられたという証拠はない。その著作にあふれる自己顕示の強さは,彼の当代における不遇と,特定の門流に属さない一介の東北出身の経世家の世に受入れられることの困難さとのあかしといえよう。水野忠邦の下問に応じて『復古法概言』を著述筆禍によりしばしば江戸から追放された。『農政本論』『宇内混同秘策』『垂統秘録』『経済要録』など著書が多い。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

さとう‐のぶひろ【佐藤信淵】
[1769~1850]江戸後期の経済学者。出羽の人。字(あざな)は元海。宇田川玄随平田篤胤(ひらたあつたね)らに師事。その学問農政物産・海防・兵学・天文国学など広範に及んだ。経済要録」「農政本論」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

佐藤信淵 さとう-のぶひろ
1769-1850 江戸時代後期の経世家,農学者。
明和6年6月15日生まれ。佐藤信季(のぶすえ)の長男。宇田川玄随に蘭学,本草学を,吉川源十郎に神道を,平田篤胤(あつたね)に国学をまなぶ。著述は農政から統一国家経営論におよんだ。嘉永(かえい)3年1月6日死去。82歳。出羽(でわ)雄勝(おがち)郡(秋田県)出身。字(あざな)は元海。通称は百祐(ももすけ)。号は椿園,松庵など。著作に「経済要録」「農政本論」など。
格言など】小を積みて大となす(「経済要略」)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

江戸・東京人物辞典

佐藤信淵
1769〜1850(明和6年〜嘉永3年)【経世家】江戸の「東京」改称を提案した、幕末の経世学者。 江戸後期の経世家で農政学者。出羽国出身。父とともに奥羽、関東を遊学。江戸で蘭学、天文・測量術を学び、47歳のとき平田篤胤に師事。農政・物産・海防・兵学など多くの論説を著し、重商主義・絶対主義的な国家社会主義の構想を説く。江戸を「東京」と改称し都を置く、二都制を提唱したことでも知られる。著書に『経済要略』など。

出典:財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

さとうのぶひろ【佐藤信淵】
1769‐1850(明和6‐嘉永3)
江戸末期の経世家。字は元海,通称百祐,椿園・融斎・松庵等と号す。羽後雄勝郡の人。農政学者の父信季と13歳より諸国を巡歴,16歳で父を失い遺言により江戸に出て,蘭学・本草学を宇田川玄随,儒学を井上仲竜,天文地理を木村泰蔵に学ぶ。のち神道を吉川源十郎,国学を平田篤胤に師事,影響を受けた。彼の所説は,太宰春台・林子平・本多利明らの業績を継承し,当時の蘭学・国学の成果を吸収して,自己の家学(農政・経済・物産・兵学・天文地理等広範にわたる)を集大成したものである。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

日本大百科全書(ニッポニカ)

佐藤信淵
さとうのぶひろ
(1769―1850)
江戸後期の経世家。羽後(うご)の処士。字(あざな)は元海(げんかい)、通称は百祐(ももすけ)、号は融斎(ゆうさい)、万松斎(ばんしょうさい)、松庵(しょうあん)、椿園(ちんえん)。出羽(でわ)国雄勝(おがち)郡西馬音内(にしもない)村(秋田県羽後町)に生まれる。若くして江戸に出て、儒学、蘭学(らんがく)を学び、四方に遊歴して学を深め、さらに平田学をも学んだ。文化(ぶんか)期(1804~1818)以降、兵学・対外策に関する著作、『農政本論』をはじめとする農政、農学、諸産業学の著作、『宇内(うだい)混同秘策』『天柱記』(1822~1825間に成立)『経済要録』『垂統秘録』(1857成立)など、政治経済論から宇宙論に至るまで活発な著作活動を展開した。天保(てんぽう)期(1830~1844)には、天保の改革を意識し、『復古法概言』などの改革策を打ち出している。
 信淵の思想に対しては毀誉褒貶(きよほうへん)が甚だしい。佐藤家父祖4代の独創的家学を大成したと自称した点や、生涯には疑問が多い。彼の学問は広範な読書による他書からの影響が濃い。儒学は古学派の系統に属し、蘭学の知識を吸収し、さらに平田篤胤(ひらたあつたね)より形而上(けいじじょう)学を学び、これらを一丸として自己の家学を集大成したと考えられる。そこには復古的農本主義的傾向と重商主義的傾向、科学的知識と神道的形而上学とが習合された特異な思想がみられるが、中央集権的権力による生産力の開発、流通過程の掌握を軸とした統一国家の形成と富国強兵・海外経略を構想した点は近世経世論として注目される。[島崎隆夫]
『尾藤正英・島崎隆夫編『日本思想大系45 安藤昌益・佐藤信淵』(1977・岩波書店)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

367日誕生日大事典

佐藤信淵 (さとうのぶひろ)
生年月日:1769年6月15日
江戸時代中期;後期の経世家
1850年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

さとう‐のぶひろ【佐藤信淵】
江戸後期の経済学者、農学者。出羽国の人。号は椿園、万松斎など。通称百祐、字(あざな)は元海。宇田川玄随に師事、富国勧農、海防政策を諸藩に説いた。宮崎安貞・大蔵永常と並び「江戸時代の三大農学者」と称される。著書「草木六部耕種法」「農政本論」「経済要録」など。明和六~嘉永三年(一七六九‐一八五〇

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

佐藤信淵
さとうのぶひろ
1769〜1850
江戸後・末期の経世思想家
出羽(秋田県)雄勝郡の人。江戸に出て宇田川玄随に蘭学・本草学を学び,さらに天文・地理・国学・神道などを修めた。農政・物産・海防から兵学・哲学・社会改革論まで,その論説は多方面にわたる。諸国を巡歴して大名に所説を献じた。主著に『農政本論』『経済要録』『宇内 (うだい) 混同秘策』など。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

佐藤信淵」の用語解説はコトバンクが提供しています。

佐藤信淵の関連情報

関連キーワード

ヘルダーナポレオン[1世]オールドタウンクレメンス13世クレメンス14世馬鹿面有珠山県内の梨栽培アークライト青木昆陽

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.