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会津八一【あいづ やいち】

美術人名辞典

会津八一
歌人・書家・美術史家。新潟県生。号は秋艸道人・渾斎等。早大卒。中学時代から俳句・和歌を作る。奈良の古寺を巡遊し仏教美術への造詣を深め、美術学者としての地歩を築くかたわら作歌を本格化、万葉調の平がな書きによる荘重かつ芳醇な歌風で奈良古寺古仏を詠み、世の評価を得た。歌集に『南京新唱』『鹿鳴集』、歌論・歌話集に『渾斎随筆』等。また書にも独自の境地を開き、書跡集『遊神帖』等がある。文学博士・早大名誉教授。新潟市名誉市民。昭和31年(1956)歿、75才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

あいづ‐やいち〔あひづ‐〕【会津八一】
[1881~1956]美術史学者・歌人・書家。新潟の生まれ。号は秋艸道人(しゅうそうどうじん)・渾斎(こんさい)。早大教授。歌集に「鹿鳴集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

会津八一 あいづ-やいち
1881-1956 大正-昭和時代の歌人,美術史家,書家。
明治14年8月1日生まれ。大正13年第1歌集「南京(なんきょう)新唱」を出版。東洋美術史を研究し,昭和6年母校早大の教授。20年郷里新潟にかえり,「寒灯(かんとう)集」などを刊行,26年「会津八一全歌集」で読売文学賞。書は独自の風格をもつ。昭和31年11月21日死去。75歳。号は秋艸(しゅうそう)道人,渾斎。
【格言など】あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ(「鹿鳴集」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

あいづやいち【会津八一】
1881‐1956(明治14‐昭和31)
歌人,書家,美術史家。秋艸道人(しゆうそうどうじん),渾斎(こんさい)の号も用いた。新潟市に生まれ,早熟の天才ぶりを発揮し,中学時代すでに新聞俳壇の選者になったり,当時北陸旅行中の尾崎紅葉の話相手をつとめたり,まだ評価の定まっていなかった良寛和尚の芸術をいちはやく認めて正岡子規に知らせたりした。早稲田大学英文科では坪内逍遥の知遇を得,卒業後,早稲田中学の教師を経て,1926年以降,早稲田大学で東洋美術史を講じ,34年《法隆寺法起寺法輪寺建立年代の研究》(1933)で文学博士の学位を受けた。

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大辞林 第三版

あいづやいち【会津八一】
1881~1956) 歌人・書家・美術史家。新潟県生まれ。号は秋艸しゆうそう道人・渾斎。母校早大で東洋美術史を講じ、かたわら奈良の古寺・古仏を歌った。歌集「南京なんきよう新唱」「鹿鳴集」。論文「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」など。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

会津八一
あいづやいち
[生]1881.8.1. 新潟
[没]1956.11.21. 新潟
歌人,書家。別号,秋艸 (しゅうそう) 道人。 1906年早稲田大学英文科卒業。文学博士。 31年早大教授。美術史を講じた。万葉調を近代化した独自の歌風を歌集『鹿鳴集』 (1940) で樹立,人生詩人の評価を高めた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

会津八一
あいづやいち
(1881―1956)
歌人、書家、美術史家。明治14年8月1日新潟町(現新潟市)に生まれる。秋艸道人(しゅうそうどうじん)、八朔(はっさく)、渾斎(こんさい)などと号す。1906年(明治39)早稲田(わせだ)大学文学部を卒業、もっぱら坪内逍遙(しょうよう)に師事する。1908年、奈良の古寺を巡遊し、短歌を始める。1910年、新潟県下の有恒(ゆうこう)学舎を辞し早稲田中学に転任、1913年(大正2)早稲田大学英文科講師となる。奈良美術研究のかたわら南都に取材して盛んに短歌をつくる。1924年『南京新唱(なんきょうしんしょう)』を上梓(じょうし)、1931年(昭和6)早稲田大学文学部教授となり、仏教美術史に関する論文をしきりに発表する。1933年「法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究」をもって学位を受ける。1940年『鹿鳴集(ろくめいしゅう)』を出版、1942年『渾斎随筆』を刊行、このころから書の個展をしばしば催し、書名ようやく高くなる。1945年1月、早大教授を辞任、4月14日、米軍機の東京爆撃で罹災(りさい)、5月、新潟県中条町(現胎内(たいない)市)に寓居(ぐうきょ)、ついで新潟市に転居。1947年(昭和22)『寒燈(かんとう)集』、1952年『自註(じちゅう)鹿鳴集』、1955年『春日野(かすがの)の歌』などを上梓し、独自の歌風、書格をもって世に知られるようになる。昭和31年11月21日死去。[宮川寅雄]
『『会津八一全集』全12巻(1982・中央公論社) ▽宮川寅雄著『会津八一の世界』(1978・文一総合出版)』

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