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伊藤左千夫【いとう さちお】

美術人名辞典

伊藤左千夫
歌人・小説家。本名幸次郎。千葉県生。子規の門。子規の短歌革新の業は左千夫によって達成されたといわれる。門下赤彦茂吉、憲吉、千樫、文明らがある。作歌以外にも歌論写生文、小説を書き、小説『野菊の墓』が最も知られている。大正2年(1913)歿、50才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

いとう‐さちお〔‐さちを〕【伊藤左千夫】
[1864~1913]歌人・小説家。千葉の生まれ。本名、幸次郎。正岡子規師事し、師の没後は根岸派を継承、「馬酔木(あしび)」「アララギ」を主宰。門下に斎藤茂吉島木赤彦などがいる。歌集「左千夫歌集」、歌論「左千夫歌論集」、小説「野菊の墓」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

伊藤左千夫 いとう-さちお
1864-1913 明治時代の歌人,小説家。
元治元年8月18日生まれ。上京して搾乳業をいとなむ。明治33年から正岡子規に師事し,子規没後の36年長塚節(たかし)らと歌誌「馬酔木(あしび)」を創刊。のち「アララギ」を主宰した。歌論や小説も発表した。大正2年7月30日死去。50歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。明治法律学校(現明大)中退。本名は幸次郎。小説に「野菊の墓」。
【格言など】牛飼(うしかい)が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる(「左千夫歌集」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

いとうさちお【伊藤左千夫】
1864‐1913(元治1‐大正2)
歌人,小説家。千葉生れ。本名幸次郎。無一塵庵主人。1885年1円を懐に上京し牛乳屋で働き,89年本所茅場町に独立して牛乳搾取業を営む。98年から新聞《日本》に評論を投稿,1900年1月,子規選募集短歌に歌が選ばれたのを機に,正岡子規に師事,子規庵の歌会に出席して作歌に励んだ。子規没後,根岸短歌会の機関誌《馬酔木(あしび)》を03年に創刊し,根岸派の存在を世に問うた。そのころの歌風は《万葉集》を尊重し,写実的詠風を求めた。

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大辞林 第三版

いとうさちお【伊藤左千夫】
1864~1913) 歌人・小説家。千葉県生まれ。本名は幸次郎。正岡子規に師事。「馬酔木あしび」「アララギ」を刊行、短歌の生命を「叫び」にあると主張。小説に「野菊之墓」などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

伊藤左千夫
いとうさちお
[生]元治1(1864).8.18. 上総,殿台
[没]1913.7.30. 東京
歌人,小説家。本名,幸次郎。別号,春園,四壁道人,夾竹桃書屋主人など多数。 22歳のとき上京して諸所の牧場で働き,26歳で独立,本所で搾乳業を営んだ。 34歳頃から橘守部の流れをくむ桐の舎 (や) 桂子に旧派の歌を学んだが,1900年正岡子規の門に入り万葉調を信奉した。子規の死後,『馬酔木 (あしび) 』の指導者として歌の内容,趣味を主とする「写実」を強調。晩年には,刹那の感動の直接的な表現「叫び」こそ短歌の生命で,「叫び」から起る情緒の揺れが歌となると論じた。また短詩型の制約を破るための連作論を唱え,『九十九里に遊びて』7首 (1909) で頂点を示した。ほかに『冬のくもり』 11首 (11) ,『ほろびの光』5首 (12) がある。また写生文にもすぐれた。 10代の清純な恋物語『野菊の墓』 (06) 以後小説を書き,『隣の嫁』 (08) ,『胡頽子 (ぐみ) 』 (09) ,『分家』 (正編 11,続編 12) などがある。しかし生前には『野菊の墓』以外は歌集すら刊行しなかった。『左千夫歌集』 (4巻,20) がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

伊藤左千夫
いとうさちお
(1864―1913)
歌人、小説家。元治(げんじ)元年8月18日、千葉県武射郡殿台(とのだい)村(現山武(さんむ)市)の農家に生まれる。本名幸次郎(こうじろう)。別号無一塵庵主人(むいちじんあんしゅじん)など。明治法律学校(現明治大学)を眼病のために中退。ふたたび上京して諸方の牧場で働いたのち、独立して牛乳搾取業を営んだ。早く旧派の歌をつくったが、1900年(明治33)正岡子規(しき)に師事し、その没後は根岸短歌会の中心歌人として活躍。03年『馬酔木(あしび)』を、08年にはその後継誌『アララギ』を創刊した。子規入門時の作と伝えられる「牛飼(うしかい)が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる」のような歌柄(うたがら)に特色があり、独自の万葉的歌調を樹立した。「天地(あめつち)の四方(よも)の寄合(よりあい)を垣(かき)にせる九十九里の浜に玉拾ひ居り」「さびしさの極(きわ)みに堪へて天地に寄する命をつくづくと思ふ」。同門の長塚節(たかし)に比べて、その歌には主情性が著しい。早く短歌の「連作」を提唱し、晩年には、いわゆる「叫びの説」を唱えて、調べに表れる純粋な感動を重んじた。斎藤茂吉(もきち)、土屋文明(つちやぶんめい)らを育て、アララギ派興隆の基礎をつくった功績も大きい。万葉研究や歌論のほか、小説の筆もとり、好評を得た『野菊の墓』(1906)以下、『隣の嫁』(1908)、『分家』(1911~12)などの作がある。大正2年7月30日没。[本林勝夫]
『『左千夫全集』全9巻(1976~77・岩波書店) ▽土屋文明著『伊藤左千夫』(1962・白玉書房) ▽永塚功著『伊藤左千夫』(1981・桜楓社)』

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精選版 日本国語大辞典

いとう‐さちお【伊藤左千夫】
歌人。子規の門に入り、子規没後は根岸短歌会の機関誌「馬酔木(あしび)」や「アララギ」を主宰して写生主義を主張。万葉風の歌をよみ、門下から島木赤彦、斎藤茂吉らがでた。著に「左千夫歌集」、小説「野菊の墓」など。元治元~大正二年(一八六四‐一九一三

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