Rakuten infoseek

辞書

伊勢神宮【いせじんぐう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

伊勢神宮
いせじんぐう
三重県伊勢市所在の皇大神宮内宮。祭神アマテラスオオミカミ)と豊受大神宮外宮。祭神トユケノオオカミ)両社の総称伊勢大神宮,大神宮ともいうが,正式には単に神宮という。創立は 4世紀初頭。内宮は崇神天皇のときに,代々宮中にまつってきた八咫鏡を大和の笠縫邑(かさぬいむら)に移し,さらに垂仁天皇のときに,五十鈴川上流の現在地に社を造営したのが起源といわれる。外宮は古名を度会宮(わたらいのみや)ともいい,雄略天皇のときにトユケノオオカミを丹波国から移したことに始まるとされる。皇祖神の宗廟として皇室から最高の尊崇を受け,後醍醐天皇のときまでは代々皇女を斎宮として奉仕させた。神嘗祭(かんなめさい。外宮 10月16日,内宮 10月17日)をはじめとする諸例祭は,大宝律令延喜式以来の古儀をよく保存している。社殿を 20年ごとにつくり替える「式年造替」の制があり,それに伴って遷宮(→式年遷宮祭)が行なわれる。古制が完全に継承されており,2013年10月に第62回遷宮の儀式が行なわれた。正殿はヒノキの素木(しらき)を用い,規模の大きい唯一神明造(→神明造)で,切妻造の平入り,柱は掘立柱,屋根は茅ぶき,まわり縁で正面に階段がある。棟の両端に千木が高くそびえ,棟木の上に堅魚木を載せる。仏教渡来以前の古い日本建築の形式を示す。神宝,古文書などは付属の徴古館,神宮文庫に収納。このうち『玉篇巻第廿二』は国宝に指定されている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

朝日新聞掲載「キーワード」

伊勢神宮
天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる皇大(こうたい)神宮(内宮)、食事などをつかさどる豊受(とようけ)大神をまつる豊受大神宮(外宮)の両正宮と、別宮摂社末社、所管社の計125社の総称。正式名称は「神宮」。「日本書紀」は垂仁(すいにん)天皇の時代に天照大神が鎮座する土地を皇女が探し求め、伊勢にたどり着いたと記している。これが内宮の由来とされ、神宮司庁などは2千年前にさかのぼると説明する。
(2016-05-21 朝日新聞 朝刊 3社会)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

いせ‐じんぐう【伊勢神宮】
三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮(ないくう))と豊受(とようけ)大神宮(外宮(げくう))の総称。内宮は皇祖神である天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭り、神体三種の神器の一、八咫鏡(やたのかがみ)。外宮の祭神は農業などをつかさどる豊受大神白木造りで、20年ごとに遷宮を伴う改築がある。明治以後国家神道の中心として国により維持されたが、昭和21年(1946)宗教法人となった。社殿の様式は神明造り。伊勢大神宮。伊勢大廟。二所大神宮。神宮。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

防府市歴史用語集

伊勢神宮
 三重県伊勢市にある皇室の祖先をまつった宮です。神明造[しんめいづくり]という独特のつくりかたの建物で知られています。江戸時代には庶民による伊勢詣[いせもうで]がさかんに行われました。

出典:ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉プラス

伊勢神宮
三重県伊勢市にある神社。皇大神宮(内宮(ないくう))、豊受(とようけ)大神宮(外宮(げくう))と別宮など125社の総称。正称は「神宮」。内宮は五十鈴川の川上に位置し、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀り、三種の神器のひとつ、八咫鏡(やたのかがみ)を神体として奉斎する。外宮は市の中心部に位置し、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る。伊勢参りで知られ、「お伊勢さん」とも呼ばれる。玉篇(国宝)など数多くの文化財を有し、旧林崎文庫は国の史跡に指定されている。

出典:小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

いせじんぐう【伊勢神宮】
三重県伊勢市にある皇大神宮(図1)と豊受(とゆけ)大神宮(図2)の総称。前者を内宮(ないくう),後者を外宮(げくう)といい,両宮を併せて伊勢大神宮,大神宮,二所大神宮などとも呼ばれたが,現在では,神宮を正式の名とし,一般に伊勢神宮と呼ばれている。内宮は天照坐皇大御神,その神体として八咫(やた)鏡を祭り,天手力男(たぢからお)命と,瓊瓊杵(ににぎ)尊の母にあたる万幡(よろずはた)豊秋津姫命を合祀し,別宮10社,摂社27,末社16,所管社30などを併せている。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

いせじんぐう【伊勢神宮】
三重県伊勢市にある神社。皇大神宮(内宮ないくう)と豊受とようけ大神宮(外宮げくう)からなる。正式名称は神宮。皇居の祭祀する最高の存在として社格を超越するものとされた。古くは私幣は禁止されていたが、中世以降、伊勢講などによる民間の参宮が盛んになった。明治以後国家神道の中心となったが、1946年(昭和21)以降は一宗教法人。正殿は神明造りといわれる神社建築様式の代表的なもので、20年ごとの式年遷宮の制を伝える。伊勢大神宮。 → 神明造り

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

伊勢神宮
いせじんぐう
三重県伊勢市に鎮座。古くは伊勢太神宮(だいじんぐう)、二所皇太神宮(にしょこうたいじんぐう)などと記され、現在も伊勢神宮、また「お伊勢さん」と称されるが、正式にはただ神宮という。ほかに明治神宮、橿原(かしはら)神宮、熱田(あつた)神宮などと神宮号をつけた神社があるが、それらと社格が異なり、神宮は古来、最高の特別格の宮居とされている。神宮は、皇大(こうたい)神宮(内宮(ないくう))と豊受(とようけ)大神宮(外宮(げくう))の二所の正宮(しょうぐう)と、それに付属する宮社よりなっている。[鎌田純一]

鎮座由緒

皇大神宮は伊勢市宇治館(うじたち)町、五十鈴(いすず)川の川上にあり、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を祀(まつ)り、相殿(あいどの)に天手力男神(あめのたぢからおのかみ)、万幡豊秋津姫命(よろずはたとよあきつひめのみこと)を祀る。古くはただ太神宮、また伊須受能宮(いすずのみや)などともよばれた。この皇大神宮の鎮座由緒については、『古事記』『日本書紀』によると、天孫降臨にあたって、天照坐皇大御神が八咫鏡(やたのかがみ)を授け、「この宝鏡を視(み)まさんこと、まさに吾(われ)を視るがごとくすべし。ともに床を同じくし殿をともにして、斎鏡(いわいのかがみ)とすべし」といわれたことを受け、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の日向(ひゅうが)三代を経て、神武(じんむ)天皇より崇神(すじん)天皇の代まで同床共殿、すなわち皇居の中にともに祀っていた。しかし、崇神天皇はそれを畏(おそ)れ多いこととして別殿で祀ることとし、初め大和(やまと)(奈良県)の笠縫邑(かさぬいのむら)に祀り、さらによい宮処(みやどころ)を求めて伊賀(三重県中西部)、近江(おうみ)(滋賀県)、美濃(みの)(岐阜県南部)、尾張(おわり)国(愛知県)を経て、垂仁(すいにん)天皇25年(一説に26年、神宮では26年説をとる)現在地に奉斎したと伝承する。
 豊受大神宮は伊勢市豊川町、山田原(やまだがはら)にあり、天照坐皇大御神の御饌都神(みけつかみ)、つまり食物の神である豊受大神(とようけおおみかみ)を祀り、相殿に御伴神(みとものかみ)3座を祀る。豊受宮、度会宮(わたらいのみや)などともよばれた。この豊受大神宮の鎮座については記紀に記述はない。804年(延暦23)撰(せん)の『止由気宮(とゆけぐう)儀式帳』がそれを記す最古の書であるが、それによると、天照坐皇大御神の神託により、雄略(ゆうりゃく)天皇22年に丹波(たんば)国(京都府北部)比治(ひじ)の真奈井(まない)の原より現在地に迎え祀り、この宮に御饌殿(みけでん)をつくり、天照坐皇大御神に日別(ひごと)朝夕の大御饌(おおみけ)を奉ることとしたという。[鎌田純一]

社殿

神宮社殿に関する記録の最古のものは奈良時代の正倉院文書(もんじょ)にみられるが、形式、規模ともに現代と大差なく、古くから唯一神明造(ゆいつしんめいづくり)であったことが知られる。すなわち、切妻造(きりづまづくり)、平入(ひらいり)の萱葺(かやぶ)きで、柱は丸柱の掘立(ほった)て式、素木(しらき)造で、屋根に千木(ちぎ)、鰹木(かつおぎ)がある。『太神宮諸雑事記(しょぞうじき)』に、この社殿は、天武(てんむ)天皇のとき(7世紀)、20年ごとに建て替えられる式年遷宮(しきねんせんぐう)の制度が定められたとあり、以後690年(持統天皇4)に皇大神宮の遷宮、692年に豊受大神宮の遷宮が行われ、戦国時代に乱れたこともあったが、現代にその制度が伝えられている。両正宮の正殿は南面し、その両側に東宝殿、西宝殿(内宮は正殿の後方、外宮は前方)がある。それを囲んで瑞垣(みずがき)、内玉垣(うちたまがき)、外玉垣(とのたまがき)、板垣(いたがき)の四重の御垣(みかき)を巡らす。外宮には板垣内、東北隅に御饌殿がある。[鎌田純一]

付属社・神域

皇大神宮、豊受大神宮のそれぞれに付属する宮社には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)がある。別宮は付属の宮社のなかでも重んじられており、皇大神宮に荒祭宮(あらまつりのみや)、月読(つきよみ)宮、月読荒御魂(あらみたま)宮、伊佐奈岐(いざなぎ)宮、伊佐奈弥(いざなみ)宮、滝原(たきはら)宮、滝原竝(ならび)宮、伊雑(いざわ)宮、風日祈(かざひのみ)宮、倭姫(やまとひめ)宮の10社があり、豊受大神宮に多賀(たか)宮、土(つち)宮、月夜見(つきよみ)宮、風(かぜ)宮の4社がある。摂社、末社は、延喜(えんぎ)の制で官社とされていた社を摂社、そうでない社を末社とした。皇大神宮には摂社27社・33座、末社16社・16座があり、豊受大神宮には摂社16社・17座、末社8社・8座がある。所管社は皇大神宮に30社、豊受大神宮に4社、別宮の滝原宮に3社、伊雑宮に5社ある。これらの付属社は伊勢、松阪、鳥羽(とば)、志摩(しま)の4市、三重県下の度会(わたらい)、多気(たき)の2郡にわたって鎮座している。
 神宮の神域は、現在、豊受大神宮が約89.4ヘクタール。皇大神宮は正殿周辺の約95ヘクタールのほかに、宮域林5400ヘクタールを有しているが、古くは度会、多気、飯野(いいの)郡を神三郡(じんさんぐん)と称して神領としていた。また、神饌(しんせん)として供える御料(ごりょう)も、古儀を重んじ清浄を期して、御料米(ごりょうまい)は神田(しんでん)(伊勢市楠部(くすべ)町)、塩は御塩浜(みしおはま)、御塩殿(伊勢市二見町)、野菜や果物は御園(みその)(伊勢市二見町)、アワビなど海産物は御料鰒(ごりょうあわび)調製所(鳥羽市国崎(くざき))のように、およそその生産地を限定している。[鎌田純一]

神職・祭儀

神宮の奉仕者として、もと斎王(さいおう)、祭主(さいしゅ)、宮司(ぐうじ)、禰宜(ねぎ)、内人(うちんど)、物忌(ものいみ)らの職制があった。斎王は、歴代天皇がその即位後、規定により皇女また女王を卜定(ぼくじょう)し奉仕させることとなっていて、その制は後醍醐(ごだいご)天皇の代まで続けられた。また律令(りつりょう)体制が崩れるとともに、祭主、宮司は中臣(なかとみ)氏の世襲となり、禰宜は、皇大神宮は荒木田(あらきだ)一族が、豊受大神宮は度会一族が古くから就任することとなっていたが、1871年(明治4)すべてその世襲制を廃した。その後、改めて祭主には皇族または公爵がつくことになり、以下、大宮司、少宮司、禰宜、権(ごん)禰宜などの職制が設けられた。1945年(昭和20)以後は国家管理を離れ宗教法人となったが、およそ同様の職制を踏襲している。
 祭儀には、20年ごとの式年遷宮祭のほか、恒例式として、10月17日を中心とする神嘗祭(かんなめさい)、6月と12月の各17日を中心に行われる月次祭(つきなみさい)(以上を三節祭(さんせつさい)という)、2月17日の祈年(きねん)祭、5月14日の風日祈(かざひのみ)祭、5月と10月の各14日の神御衣(かんみそ)祭などがあり、いずれも古式にのっとり行われている。内宮と外宮との祭祀(さいし)や参拝の順序は古来、外宮を先とするのが習わしである。
 神宮の事務全般をつかさどる機関に神宮司庁がある。なお神宮の付属施設として神宮文庫、神宮徴古館(ちょうこかん)、農業館があり、神宮関係の資料、神宝などを公開している。[鎌田純一]

伊勢神宮領

古代律令制下の伊勢神宮領として、神戸(かんべ)と神田(かみた)の2種があった。神戸は神社に献ぜられた封戸(ふこ)の意味で、伊勢神宮については、大和国、伊賀国、伊勢国、志摩国、尾張国、参河(みかわ)国、遠江(とおとうみ)国など伊勢国を中心として東海地方に展開し、大同(だいどう)元年(806)には1130戸が認められた。また、神田は祭祀料田・職掌人給田であって神宮近辺に集中し、延喜年間(901~923)に36町1段を数えた。律令制の解体とともに、これら神戸・神田などは、祭主・宮司一族大中臣(おおなかとみ)氏の所領としての性格を強めるに至った。なお、伊勢国13郡のうち、神宮膝下(しっか)の度会、多気2郡は早く神郡となっていたが、9世紀末から11世紀初頭にかけて、飯野(いいの)、員弁(いなべ)、三重(みえ)、安濃(あの)、朝明(あさけ)の5郡が神郡となり、さらに1185年(文治1)には飯高(いいたか)郡が加わって、ここに神宮直轄の「神八郡(じんはちぐん)」が形成された。11~12世紀にかけて、内宮・外宮の禰宜・権禰宜たる荒木田氏、度会氏一族を中心に、御厨(みくりや)・御園(みその)が形成され、中世伊勢神宮領の中核となった。御厨は魚貝類の貢進、御園は畠地(はたち)生産物の貢進が本来の役割であったが、中世的土地領有として同質化していった。地域的には、伊勢、志摩両国にもっとも濃密に分布し、海上交通を通じて尾張、参河、遠江の3国、さらに東海道・東山道諸国の海岸部および河川流域に設置され、のち御師(おし)の活動に伴って全国に広がった。中世の職掌人給田として前記の神田のほか戸田があり、さらに祭祀料の直営田として常供田があった。鎌倉末・南北朝期には、在地諸勢力の台頭によって御厨・御園も徐々に衰退し、御師による神宮信仰と参詣(さんけい)の勧誘、これによる諸種の収入に経済基盤は転換していった。度会神道の大成も、この信仰勧誘という現実的必要を背景としたものであった。室町期には、伊勢国は北畠(きたばたけ)氏の分国となり、1583年(天正11)北畠信雄(のぶかつ)より2500貫、1594年(文禄3)のいわゆる文禄(ぶんろく)検地ののち豊臣(とよとみ)秀吉より4600余石を与えられ、江戸時代になって6200石が幕府朱印地として認定された。[棚橋光男]
『神宮司庁編・刊『大神宮叢書』全16巻(1932~1957) ▽大西源一著『大神宮史要』(1960・平凡社) ▽桜井勝之進著『伊勢神宮』(1969・学生社) ▽福山敏男他著『神宮』(1975・小学館) ▽倉田康夫著『条里制と荘園』(1976・東京堂出版) ▽棚橋光男著『中世成立期の法と国家』(1983・塙書房) ▽石川梵著『伊勢神宮――遷宮とその秘儀』(1993・朝日新聞社) ▽田村円澄著『伊勢神宮の成立』(1996・吉川弘文館) ▽林一馬著『伊勢神宮・大嘗宮建築史論』(2001・中央公論美術出版) ▽三好和義・岡野弘彦他著『本の古社 伊勢神宮』(2003・淡交社) ▽平泉隆房著『中世伊勢神宮史の研究』(2006・吉川弘文館) ▽川添登著『伊勢神宮――森と平和の神殿』(2007・筑摩書房)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

事典・日本の観光資源

伊勢神宮
(三重県伊勢市)
日本三大神宮」指定の観光名所。

出典:日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」
(C) Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

いせ‐じんぐう【伊勢神宮】
三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の総称。神体は八咫(やたの)鏡。明治以後国家神道の中心として国により維持されてきたが、昭和二一年(一九四六)宗教法人。伊勢大廟。伊勢大神宮。大神宮。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

伊勢神宮」の用語解説はコトバンクが提供しています。

伊勢神宮の関連情報

他サービスで検索

「伊勢神宮」のスポンサー検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE GROUP, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.