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仏師【ぶっし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

仏師
ぶっし
仏像,仏画の制作に従事する人。飛鳥時代には造仏工造仏師と称し,奈良時代には国家の管轄による造仏所が設けられ,ここに所属するものを造仏師,単に仏師と称し,仏画を担当するものは画工 (えだくみ) ,画 (絵) 師と呼ばれた。平安時代に入って官制組織の造仏所が崩壊すると,代って公家,貴族,寺社の保護のもとに私的な仏所が開設され,そこに所属するものを仏師と称し,木像彫刻が主流を占めるにつれて木仏師ともいった。治安2 (1022) 年に法成寺造仏の功により,定朝 (じょうちょう) が初めて法橋に叙され,仏師として僧位を受けてからは,仏師の社会的地位が高まり,法眼,法印にも叙されるようになった。また絵師で僧籍に入ったものを絵仏師と呼んで,仏師は彫刻家と画家の両方をさすようになった。平安時代中期以降には木仏師は公家,貴族の庇護を受け,絵仏師はおもに寺社に属した。鎌倉時代に入ると木仏師,絵仏師ともに寺社に所属して活躍するようになり,それに伴って世襲化が強化され,家系を重んじて流派を形成するようになった。

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デジタル大辞泉

ぶっ‐し【仏師】
仏像を作る工匠仏工

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ぶっし【仏師】[狂言]
狂言。偽仏師が仏像を求める田舎者をだまして吉祥天の製作を引き受け、自分が吉祥天の仏像になりすますが、いろいろ形を直すうちに正体がばれる。

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世界大百科事典 第2版

ぶっし【仏師】
仏像の製作に従事する工人のことで,本来は造仏師の略称。日本で仏師という語が最初に見られるのは623年(推古31)に製作された法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背銘で,〈司馬鞍作首(しばのくらつくりのおびと)止利仏師〉とある。その後,奈良時代には,こうした工人は官衙(かんが)に所属し,官営寺院の造仏所に派遣される形で仕事をしている。平安時代に入って官の造寺造仏が減少すると,各有力寺院が造仏所を持ち,工人を抱えることになった。

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大辞林 第三版

ぶっし【仏師】
仏像をつくる工匠。仏工。

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ぶっし【仏師】
狂言の一。仏師に化けた悪者が田舎者をだまそうとして、自作と称し吉祥天女像になりすますが、形が悪いと直されているうちに化けの皮がはがれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

仏師
ぶっし
仏像制作に従事する工人のことで、造仏師の略称。日本で仏師の呼称の初出は、623年(推古天皇31)制作の法隆寺金堂釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)の光背銘で、「司馬鞍作首(しばくらつくりのおびと)止利仏師(とりぶっし)」とある。その後奈良時代には、こうした工人たちは官衙(かんが)に属し、官営寺院の造仏所に派遣される形で仕事をした。平安時代に入って官の造寺造仏が減少すると、各有力寺院が造仏所をもち、工人を抱えることになった。またこのころ仏画を描く工匠が絵仏師とよばれたのに対し、木に彫刻する工人は木仏師(きぶっし)と称した。平安中期には仏師も職業化し、仏師の工房である仏所が定着すると、仏所の長を大仏師(だいぶっし)といい、その下で手足となって働く者を小仏師とよぶようになった。大仏師という語はすでに奈良時代に、東大寺の造立にあたった国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)の肩書としてみられるが、これは平安時代のそれとは意を異にし、工人の棟梁(とうりょう)に対する美称と考えられる。これに対して平安時代には、実際の仕事にあたる工人は「仏工」の名でよばれ、本来の大仏師の語は『小右記(しょうゆうき)』治安(じあん)3年(1023)12月23日の条に「大仏師法橋(ほっきょう)定朝(じょうちょう)」とあるのが初例で、これは法成寺(ほうじょうじ)造仏の最高責任仏師の意と解される。
 一方、小仏師は『左経記(さけいき)』寛仁(かんにん)4年(1020)の条に「少仏師」としてみえるのが最初で、主宰仏師は定朝の父康尚(こうしょう)である。これ以前には小仏師とよぶべき者にも「弟子」の語があてられ、康尚自身も単に「仏師」とのみよばれている。こうした例からみても、大仏師、小仏師の名称、組織などがはっきり定まったのは定朝の代からと思われる。定朝が等身仏像27体の造営に仏師120人ほどを動員した例では、定朝が別格の大仏師で、その下に大仏師20人、小仏師105人(つまり大仏師1人に小仏師5人)が従っている。これから推察すると、大仏師とは単に主宰仏師の意のみでなく、長上工、ベテラン、指揮権をもつなど、一定の資格のある仏師に与えられた肩書と思われる。
 奈良時代の仏工は官吏、私人たるを問わず俗人であったが、平安時代になると仏師はすべて僧侶(そうりょ)となった。これは寺に所属したという伝統と、神聖な仏体の制作という理由によるものと思われるが、定朝の活躍した平安中期以後は、僧のうちでも高い位の僧綱(そうごう)位を授けられている。しかしそれは形式上のことで、実際には俗人としての生活を送り、職人的性格を強めていったとみられる。さらに鎌倉時代になると、仏師の機構はいっそう整備され、大仏師の上に惣(そう)大仏師、下に権(ごん)大仏師などもつくられたが、僧としての性格はますます薄れてゆき、室町時代には宮大工、つまり寺院や神社を建てる工匠のなかから仏師となる者も出てくるようになり、平安時代以来、数百年絶えていた僧籍のない俗人仏師が出現し、江戸時代に入ると、そうした俗人仏師がほとんどとなる。[佐藤昭夫]

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精選版 日本国語大辞典

ぶ‐し【仏師】
〘名〙 (「ぶっし」の促音の無表記) =ぶっし(仏師)(一)

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ぶっ‐し【仏師】
[1] 〘名〙 仏像をつくる工匠。仏工。
※霊異記(810‐824)中「仏師を勧請して、仏の耳を造ら令め」
[2] 狂言。各流。都の詐欺師がいなか者をだまして仏像を作る約束をし、面をつけて仏像になりすます。しかし、いなか者が注文をつけいろいろ直すうちに、化けの皮がはがれる。

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