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仁明天皇【にんみょうてんのう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

仁明天皇
にんみょうてんのう
[生]弘仁1(810).京都
[没]嘉祥3(850).3.21. 京都
第 54代の天皇 (在位 833~850) 。名,正良。嵯峨天皇の皇子。母は橘嘉智子。弘仁 14 (823) 年淳和天皇の皇太子となり,天長 10 (833) 年3月6日即位,淳和天皇の皇子恒貞親王を皇太子に立てた。しかし承和9 (842) 年承和の変により藤原氏の出でない親王皇太子を廃され,藤原北家の政権独占の端を開くこととなった。経史のほか医書にも造詣が深く,また詩文,書法,管弦などをよくした。『経国集』に詩1首が入集。陵墓は京都市伏見区深草東伊達町の深草陵。

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デジタル大辞泉

にんみょう‐てんのう〔ニンミヤウテンワウ〕【仁明天皇】
[810~850]第54代天皇在位833~850。嵯峨天皇の第2皇子。名は正良(まさら)。深草帝とも称する。在位中に令義解(りょうのぎげ)の施行、日本後紀の編集などが行われた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

仁明天皇 にんみょうてんのう
810-850 平安時代前期,第54代天皇。在位833-850。
弘仁(こうにん)元年生まれ。嵯峨(さが)天皇の皇子。母は橘嘉智子(たちばなの-かちこ)(檀林皇后)。淳和(じゅんな)天皇の譲位で即位。淳和天皇の皇子恒貞(つねさだ)親王を皇太子としたが,伴健岑(ともの-こわみね),橘逸勢(たちばなの-はやなり)らが皇太子を奉じて謀反をくわだてた(承和(じょうわ)の変)として廃し,子の道康親王を皇太子とした。嘉祥(かしょう)3年3月21日死去。41歳。墓所は深草陵(ふかくさのみささぎ)(京都市伏見区)。別名は正良(まさら)親王,深草帝。
【格言など】いつのまに厭ふ心をかつ見つつ蓮(はちす)にをるは我が身なるらむ(「新拾遺和歌集」)

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

にんみょうてんのう【仁明天皇】
810‐850(弘仁1‐嘉祥3)
第54代に数えられる天皇。在位833‐850年。名は正良。嵯峨天皇と皇后橘嘉智子の間に生まれる。823年(弘仁14)叔父淳和天皇の皇太子となり,833年(天長10)淳和天皇の譲位によって位につく。父嵯峨上皇の家父長的権威のもとに,政情は安定を続け,弘仁・天長年間(810‐834)に発達した唐風儀礼や漢詩文の文化は,この天皇の承和年間(834‐848)に最盛期を迎えた。842年(承和9)7月,嵯峨上皇の死に際して承和の変が起こり,皇太子恒貞親王(淳和天皇の皇子)が廃され,天皇と藤原冬嗣の女順子との皇子,道康親王(のち文徳天皇)が立太子したが,その後政情はまた平穏で,天皇40歳の算賀行事は盛大をきわめた。

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大辞林 第三版

にんみょうてんのう【仁明天皇】
810~850 第五四代天皇(在位833~850)。名は正良まさら。嵯峨天皇第二皇子。深草帝とも。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

仁明天皇
にんみょうてんのう
(810―850)
第54代の天皇(在位833~850)。名は正良(まさなが)。父は嵯峨(さが)天皇。母は皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ)。823年(弘仁14)立太子。833年(天長10)即位。性聡明で経史に没頭、講誦して倦(う)まず、漢音に通じ、『群書治要』をはじめ多くの書を読み、文藻を愛し、書をよくし、淳和(じゅんな)天皇の草書を学んだ。『経国集』に詩一編が残る。弓をよく射、音楽にも優れ、医学に関心が深かった。内嬖(ないへい)が多く、ぜいたくを好んで、財を浪費した。嘉祥(かしょう)3年3月21日崩御。御陵は京都市伏見区深草にある深草陵。[横田健一]

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精選版 日本国語大辞典

にんみょう‐てんのう ニンミャウテンワウ【仁明天皇】
第五四代天皇。名は正良(まさら)。嵯峨天皇の第一皇子。母は皇后橘嘉智子。天長一〇年(八三三)即位。「令義解」の施行や「日本後紀」四〇巻の編修などはこの時代である。御陵を深草陵というので、深草帝ともいう。「経国集」に御製詩一首がある。弘仁元~嘉祥三年(八一〇‐八五〇

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