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井上準之助【いのうえ じゅんのすけ】

美術人名辞典

井上準之助
財政家・政治家大分県生。日本銀行総裁大蔵大臣等を歴任し、日本の金融界に重きをなした。昭和7年(1932)歿、64才。

出典:(株)思文閣

デジタル大辞泉

いのうえ‐じゅんのすけ〔ゐのうへ‐〕【井上準之助】
[1869~1932]銀行家・政治家。大分の生まれ。横浜正金銀行頭取・日本銀行総裁・大蔵大臣などを歴任。昭和5年(1930)金解禁断行民政党の筆頭総務として選挙戦中、血盟団団員に暗殺された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

井上準之助 いのうえ-じゅんのすけ
1869-1932 大正-昭和時代前期の財政家,政治家。
明治2年3月25日生まれ。29年日銀にはいり,横浜正金銀行頭取をへて,大正8年日銀総裁となる。12年蔵相。昭和2年日銀総裁に再任され,金融恐慌の収拾につとめる。4年浜口内閣の蔵相となり,緊縮財政を推進して金解禁を断行するが,解禁政策の破綻により下野。民政党総務として選挙運動中の昭和7年2月9日,血盟団員の小沼正(おぬま-しょう)に射殺された。64歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。帝国大学卒。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

いのうえじゅんのすけ【井上準之助】
1869‐1932(明治2‐昭和7)
財政家,政治家。大分県出身。東大英法科卒業。1896年日本銀行に入行。1913年横浜正金銀行頭取,19年日本銀行総裁となり第1次大戦中の国際金融および戦後不況期の財界救済にあたる。23年第2次山本権兵衛内閣の蔵相となり関東大震災後の経済界の復興策を行う。27年の金融恐慌時には再び日銀総裁となり,29年民政党浜口雄幸内閣では蔵相となって30年1月金解禁を断行。しかしこのための緊縮政策とおりからの世界恐慌のため経済は大混乱に陥り,ドル買事件おこり,政策は破綻した。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

いのうえじゅんのすけ【井上準之助】
1869~1932 銀行家・政治家。大分県生まれ。帝国大学法科大学卒。日銀総裁・蔵相となり財政問題に対処、1930年(昭和5)浜口内閣蔵相として金解禁を行う。血盟団員小沼正に暗殺された。

出典:三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

井上準之助
いのうえじゅんのすけ
[生]明治2(1869).3.25. 大分,日田
[没]1932.2.9. 東京
財政家。東京大学法科卒業,日本銀行に入った。 1919年日本銀行総裁,23年山本権兵衛内閣の大蔵大臣として,第1次世界大戦の戦後財政を経営し,関東大震災後のモラトリアムなどを実施。 27年再度日銀総裁,29年再び蔵相として浜口雄幸内閣に入り,満州事変勃発以後の財政膨張を金解禁のデフレ財政で対処した。血盟団員小沼正に射殺された。 (→血盟団事件 )  

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

井上準之助
いのうえじゅんのすけ
(1869―1932)
銀行家、政治家。明治2年3月25日日田県(大分県日田市)に生まれる。帝国大学法科大学卒業後、日本銀行に入る。営業局長、ニューヨーク代理店監督役などを経て、横浜正金銀行常務副頭取、ついで頭取、1919年(大正8)から日本銀行総裁。関東大震災直後、経済救済のため第二次山本権兵衛(やまもとごんべえ)内閣の蔵相となり在任4か月で辞任。のち貴族院議員に勅選され、在野で財界の世話役を務めたが、1927年(昭和2)金融恐慌後の財界救済のため、再度日銀総裁に就任。
 1929年浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣が成立すると、民政党の経済政策の要(かなめ)である金解禁を実施するため、首相に請われて蔵相に就任し、民政党に入党した。井上は緊縮財政とデフレーション政策を推し進め、金解禁の準備を整え、翌年1月、金本位制復帰を実現した。しかし、世界恐慌の深刻化と井上財政のデフレ政策が重なって、日本は大不況にみまわれ(昭和恐慌)、輸出は振るわず、金は流出し、日本経済は破綻(はたん)に瀕(ひん)した。大正以来財界のトップを歩んだ自信家の井上は、円を買い支え、金本位制維持に努めたが、1931年12月政変で井上が下野すると、日本の金本位制は終焉(しゅうえん)した。翌昭和7年2月9日、民政党総務として選挙運動中、右翼テロリスト血盟団員の小沼正(おぬましょう)に狙撃(そげき)されて没した。[大森とく子]
『中村政則著『昭和の歴史2 昭和の恐慌』(1982・小学館) ▽高橋義夫著『覚悟の経済政策──昭和恐慌 蔵相井上準之助の闘い』(1999・ダイヤモンド社) ▽中村隆英著『昭和恐慌と経済政策』(日経新書) ▽長幸男著『昭和恐慌』(岩波新書)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

いのうえ‐じゅんのすけ【井上準之助】
銀行家。政治家。大分県に生まれる。東京帝国大学卒。日本銀行総裁、蔵相、貴族院議員などを歴任。昭和五年(一九三〇)、金輸出解禁を行なう。昭和七年(一九三二)、血盟団の凶弾にたおれた。明治二~昭和七年(一八六九‐一九三二

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社日本史事典 三訂版

井上準之助
いのうえじゅんのすけ
1869〜1932
大正・昭和期の財政家
大分県の生まれ。横浜正金銀行頭取・日本銀行総裁を経て,第2次山本権兵衛内閣の蔵相となり,第一次世界大戦前後の金融界に指導的役割を果たし不況対策にあたる。1927年金融恐慌の際,再び日銀総裁,さらに浜口雄幸・若槻礼次郎両民政党内閣の蔵相として緊縮財政・産業合理化政策や金解禁を実施したが世界恐慌で不況が深刻化し,第2次若槻内閣は崩壊。'32年選挙活動中に血盟団員に暗殺された。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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