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久保田万太郎【くぼた】

美術人名辞典

久保田万太郎
劇作家・演出家小説家俳人。東京生。慶大卒。三田派の代表作家として、創作・戯曲に筆をふるった。小説に『末枯』『春泥』、戯曲に『心ごころ』等がある。文化勲章受章。昭和38年(1963)歿、73才。

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デジタル大辞泉

くぼた‐まんたろう〔‐マンタラウ〕【久保田万太郎】
[1889~1963]小説家・劇作家・俳人。東京の生まれ。俳号暮雨・傘雨。東京の下町を舞台に、市井の人々の生活と情緒を描いた。文化勲章受章。小説「末枯(うらがれ)」「寂しければ」「春泥」、戯曲「大寺学校」、句集流寓抄」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

久保田万太郎 くぼた-まんたろう
1889-1963 大正-昭和時代の小説家,劇作家,俳人。
明治22年11月7日生まれ。「三田文学」から出発。大正6年小説「末枯(うらがれ)」でみとめられる。昭和12年文学座創立に参加。戦後俳句誌「春灯」を主宰。32年文化勲章。下町情緒と市井の人々の哀歓をえがいた。昭和38年5月6日死去。73歳。東京出身。慶大卒。俳号は傘雨。作品に小説「春泥」,戯曲「大寺学校」など。
【格言など】湯豆腐やいのちのはてのうすあかり(妻の死後によんだ句)

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世界大百科事典 第2版

くぼたまんたろう【久保田万太郎】
1889‐1963(明治22‐昭和38)
小説家,劇作家,俳人,演出家。東京の生れ。慶大在学中の1911年《三田文学》に小説《朝顔》を発表し,《太陽》に戯曲《プロローグ》を懸賞応募して当選,17年に《末枯(うらがれ)》で文壇に認められ,26年には勤めていた母校を辞して放送局に入る。この間に戯曲《雨空》(1920),《短夜》(1925),《大寺学校》を執筆,劇作家として活躍したが,32年に友田恭助・田村秋子夫妻が結成した築地座の演出を引き受け,その解散後37年に岸田国士岩田豊雄と文学座を創立,他方で新派各劇団のために創作・脚色・演出で活動しつつ,句集《道芝》(1927)をはじめ,俳誌春灯》(1946年1月~)を大戦後主宰するなど俳句作家としても知られた。

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大辞林 第三版

くぼたまんたろう【久保田万太郎】
1889~1963 小説家・劇作家・俳人。東京、浅草生まれ。俳号、暮雨・傘雨。慶大卒。下町の情趣と人情の機微を描いて独特の世界をひらいた。小説「末枯」「春泥」、戯曲「雨空」「大寺学校」、句集「道芝」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

久保田万太郎
くぼたまんたろう
[生]1889.11.7. 東京
[没]1963.5.6. 東京
劇作家,小説家,演出家。慶應義塾大学文科卒業。 1911年小説『朝顔』と戯曲『プロローグ』を『三田文学』と『太陽』に発表して文壇に登場。以来,浅草に住む下町の人々の哀歓を,間 (ま) を生かした会話で描く独特の技法で,『短夜』 (1925) ,『大寺学校』 (27) など多くの戯曲を書いた。ほかに『花冷え』 (38) ,『市井人』 (49) ,『三の』 (56) などの小説や句集もある。新劇,新派,歌舞伎の演出と多方面に活躍したが,特に 37年,岸田国士,岩田豊雄らと文学座を結成,指導に力を尽した。日本演劇協会会長。日本芸術院会員。文化勲章受章 (57) 。『久保田万太郎全集』 (15巻,76) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

久保田万太郎
くぼたまんたろう
(1889―1963)
小説家、劇作家、俳人。明治22年11月7日、東京生まれ。生家は浅草で袋物製造販売業を営み、家業を継ぐべき立場にあったが、府立三中(現両国高校)から慶応義塾大学普通部へ転じたころから、文学を志すようになる。慶大在学中に、永井荷風によって創刊されたばかりの『三田文学』に小説『朝顔』(1911)を発表し、また戯曲『Prologue(プロロオグ)』が雑誌『太陽』の懸賞に当選(1911)したことから、三田派の新進作家として認められ、第一作品集『浅草』(1912)を刊行。東京下町に生きる人々の心情を下町ことばの駆使により哀愁を込めて歌い上げるという作風は、処女作以来終生変わることがなかった。1917年(大正6)、初期の代表的小説『末枯(うらがれ)』を書き、19年には大場京と結婚。また、『大寺(おおでら)学校』(1927)などの戯曲や、新派の演出などを手がけて劇壇にも接近した。26年以降東京中央放送局(現在のNHK)に勤め、小説『春泥(しゅんでい)』(1928)、『花冷(はなび)え』(1938)などの佳作や、第一句集『道芝』(1927)を刊行し、また築地(つきじ)座を経て文学座の創立に加わり、新派の舞台にも泉鏡花、永井荷風、樋口(ひぐち)一葉作品の脚本を提供するなど、多彩な活動を繰り広げる。35年(昭和10)妻を失い、46年に三田きみと再婚。戦後は日本芸術院会員となり、57年文化勲章を受け、日本演劇界を代表してノルウェーや中国にも赴いた。ほかに小説『市井人』(1949)、『うしろかげ』(1950)などを残す。俳句は学生時代から松根東洋城(まつねとうようじょう)らに学び、本人はつねに余技と称したが、独特な情緒と技巧をもつ秀句も多く、戦後、俳誌『春燈(しゅんとう)』を主宰した。昭和38年5月6日没。[柳沢孝子]
『『久保田万太郎全集』全15巻(1967~68・中央公論社) ▽戸板康二著『久保田万太郎』(1967・文芸春秋) ▽後藤杜三著『わが久保田万太郎』(1973・青蛙房)』

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精選版 日本国語大辞典

くぼた‐まんたろう【久保田万太郎】
小説家、劇作家、俳人。号暮雨、傘雨。東京出身。慶応義塾大学卒。三田派の代表的作家。東京下町に残る情趣を、写実的に描く。日本芸術院会員。文化勲章受章。小説「末枯」「春泥」「市井人」、戯曲「大寺学校」、句集「流寓抄以後」などがある。明治二二~昭和三八年(一八八九‐一九六三

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