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中浜万次郎【なかはままんじろう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

中浜万次郎
なかはままんじろう
[生]文政11(1828).土佐
[没]1898.11.12. 東京
江戸時代末期の幕臣。ジョン万次郎ともいい,John Munnとも書く。生年については文政 10年とする説もある。土佐国中ノ浜の漁師悦助の二男。天保 12 (1841) 年出漁中台風にあい,鳥島に漂着。アメリカ合衆国の捕鯨船に救助され,アメリカに渡り,勉学ののち捕鯨業に従事。嘉永4 (1851) 年8月琉球を経て薩摩に到着。長崎奉行所で取り調べを受けたのち,土佐藩に送致され,島津斉彬山内豊信に珍重された。マシュー・C.ペリー来航のときは幕府に出仕して通訳従事。安政4 (1857) 年軍艦操練所に勤務し,同7年『咸臨丸』の遣米使節随行。明治政府成立とともに徴士となり,開成学校教授,のち文部中博士となった。

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デジタル大辞泉

なかはま‐まんじろう〔‐マンジラウ〕【中浜万次郎】
[1827~1898]幕末幕臣土佐漁師息子。天保12年(1841)出漁中に遭難して米船に救われ、米国教育を受けた。嘉永4年(1851)帰国し、幕府に用いられて翻訳や軍艦操練・英語教授にあたった。維新後、開成学校教授。ジョン万次郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

中浜万次郎 なかはま-まんじろう
1827-1898 江戸後期-明治時代の漂流民,教育者。
文政10年1月1日生まれ。15歳のとき,土佐(高知県)宇佐港から出漁して遭難。アメリカの捕鯨船にすくわれ,同国でジョン=マンの名で教育をうける。嘉永(かえい)4年帰国,6年幕臣となり,万延元年通訳として咸臨(かんりん)丸で再渡米。維新後は開成学校の英語教授。明治31年11月12日死去。72歳。著作に「漂客(ひょうかく)語録」「英米対話捷径(しょうけい)」。

出典:講談社
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世界大百科事典 第2版

なかはままんじろう【中浜万次郎】
1827‐98(文政10‐明治31)
幕末の土佐の漁師,のち英語学者。ジョン万次郎ともいう。幡多郡中浜(なかのはま)浦(現,高知県土佐清水市)の漁師の子に生まれる。1841年(天保12)出漁中に遭難し無人島の鳥島に漂着,アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に助けられ,ニューベドフォードに伴われた。船長の好意で学校教育を受け,卒業後職に就いたことが,帰国後の活躍を支えた。50年(嘉永3)メキシコを出発し,琉球,鹿児島を経て土佐に帰着したのは52年7月であった。

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大辞林 第三版

なかはままんじろう【中浜万次郎】
1827~1898 江戸末期の幕臣。もと土佐の漁師。一四歳のとき出漁中に遭難したが米船に救われ、アメリカで教育を受けた。帰国後の1853年、幕府に登用され、外交文書の翻訳、軍艦操練所教授などを務めた。維新後は開成学校教授。ジョン万次郎。著「英米対話捷径」

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日本大百科全書(ニッポニカ)

中浜万次郎
なかはままんじろう
(1827―1898)
幕末明治期の英学者。別名ジョン万次郎。土佐国中浜(なかのはま)村(高知県土佐清水(しみず)市)の漁夫の家に生まれる。1841年(天保12)、出漁中遭難漂流し無人島(ぶにんとう)(鳥(とり)島)に漂着し、アメリカの捕鯨船ホーラント号に救助され、同国に渡り教育を受けた。50年(嘉永3)ボイド号でホノルルから帰国の途につき、翌年8月鹿児島に上陸、長崎で取調べを受けたのち故郷に帰された。52年12月藩庁に召され、徒士(かち)格に登用されて藩士に列し、53年幕府に招聘(しょうへい)されて普請役(ふしんやく)格に列し韮山(にらやま)代官江川英龍(ひでたつ)の手付(てつき)を命じられた。ペリー来航時には重用され、外国使臣の書翰(しょかん)の翻訳や軍艦操練所教授、鯨漁(くじらりょう)御用を勤め、60年(万延1)新見正興(しんみまさおき)の遣米使節には通弁主務として随行した。61年(文久1)小笠原(おがさわら)島の調査、64年(元治1)薩摩(さつま)藩に聘せられ軍艦操練・英語教授を委任された。68年(明治1)土佐藩に召され、翌年徴士として開成(かいせい)学校二等教授として英学を教授した。70年、プロイセン・フランス戦争観戦のため品川弥二郎(やじろう)、大山巌(いわお)らとともに渡欧を命ぜられたが、翌年病を得て帰国した。以後悠々自適の生活を送った。[加藤榮一]
『中浜明著『中浜万次郎の生涯』(1970・冨山房)』

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精選版 日本国語大辞典

なかはま‐まんじろう【中浜万次郎】
江戸末期の幕臣、英学者。ジョン万次郎とも。土佐国中浜村(高知県土佐清水市)の漁師の家の生まれ。天保一二年(一八四一)漂流中をアメリカの捕鯨船に救出され、アメリカに渡った。嘉永四年(一八五一)に帰国し、のち、幕府に召されてアメリカ文化の紹介や外国使臣の書信の翻訳に従事。文政一〇~明治三一年(一八二七‐九八

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旺文社日本史事典 三訂版

中浜万次郎
なかはままんじろう
1827〜98
江戸末期の幕臣・開成学校教授
ジョン万次郎ともいう。土佐(高知県)中浜村の漁師の子。1841年出漁中遭難しアメリカ船に救われ,アメリカで教育をうけ,'51年帰国。長崎で尋問を受けたのち,土佐藩の召しかかえとなる。ペリー来航に際し幕府に仕え,通訳・翻訳・軍艦操練所教授・鯨漁御用などをつとめ,新知識の移入に貢献した。'60年幕府遣米使節に随行。明治維新後は開成学校(開成所後身)の教授となった。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
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