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中央公論【ちゅうおうこうろん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

中央公論
ちゅうおうこうろん
日本の代表的な総合雑誌。 1887年8月京都西本願寺に学ぶ学生たちの修養団体「反省会」が創刊した機関紙『反省会雑誌』が発展したもので,92年5月『反省雑誌』と改題,96年 12月に東京に移転し,99年1月から『中央公論』と改題した (発行所は反省社) 。その後次第に衰微したが,1904年に滝田樗陰が入社,その黄金時代を築いた。滝田は文芸面を重視して,同誌を文壇への登竜門にすると同時に,時事評論では吉野作造や大山郁夫らを重用して大正デモクラシーの旗手をつとめた。 25年の樗陰の死後は嶋中雄作が編集主幹となり,28年社長となった。昭和になると,『改造』と並ぶ総合雑誌の双璧として,自由主義的,反軍国主義的方針を貫こうとしたが,軍部からきびしく弾圧され,特に 44年1月からのいわゆる横浜事件にからみ,7月ついに内閣情報局から「自発的廃業」をするよう申渡され,廃刊。第2次世界大戦後は 46年新年号から復刊,『改造』の解散後は『世界』とともに総合雑誌界を2分した。 60年 12月号の深沢七郎の小説『風流夢譚』がきっかけで嶋中事件が起り,社会に大きな衝撃を与えた。

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デジタル大辞泉

ちゅうおうこうろん〔チユウアウコウロン〕【中央公論】
総合雑誌。明治20年(1887)創刊の「反省会雑誌」を明治32年(1899)に改題して発足。大正期、滝田樗陰(たきたちょいん)を編集主幹におき、代表的総合誌として発展。昭和19年(1944)軍部の圧力により休刊、昭和21年(1946)復刊。

出典:小学館
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デジタル大辞泉プラス

中央公論
株式会社中央公論社が発行する総合月刊誌。毎月10日発売。

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世界大百科事典 第2版

ちゅうおうこうろん【中央公論】
中央公論社発行の総合雑誌。1887年京都の西本願寺から創刊された《反省会雑誌》という団体〈反省会〉の機関紙が前身である。この雑誌は92年《反省雑誌》となり,99年《中央公論》と改題され,発行所は反省社,1914年中央公論社となった。《中央公論》の地位を確立した功労者は滝田樗陰(ちよいん)(1882‐1925)である。樗陰はまず文芸欄を拡充し,明治末期から大正期にかけて谷崎潤一郎,志賀直哉,芥川竜之介ら新進作家を数多く登場させ,〈文壇の登竜門〉としての権威を築いた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ちゅうおうこうろん【中央公論】
中央公論社発行の総合雑誌。浄土真宗の「反省会雑誌」を1899年(明治32)に改題して発足。滝田樗陰ちよいんが主幹となった大正期には総合雑誌の代表に成長。第二次大戦中一時休刊し、戦後復刊。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

中央公論
ちゅうおうこうろん
中央公論新社(旧中央公論社)発行の総合雑誌。西本願寺の若い僧侶(そうりょ)の間におこった修養・禁酒運動の機関誌『反省会雑誌』(1887創刊)として出発し、のち『反省雑誌』(1892)、『中央公論』(1899)と改題され、現在も発行され続けている、もっとも古い伝統をもつ月刊総合雑誌である。1904年(明治37)滝田樗陰(ちょいん)が編集者となり、やがて主幹として活躍した10年代から20年代にかけて同誌は、吉野作造の民本主義論や大山郁夫(いくお)、美濃部(みのべ)達吉などの進歩的言論を相次いで世に問い、新たに文芸欄を設けて夏目漱石(そうせき)、島崎藤村(とうそん)、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)、志賀直哉(なおや)、永井荷風(かふう)の名作を掲載するなどして文壇、論壇の主流を形成していた。
 1925年(大正14)名編集者樗陰が世を去り、28年(昭和3)西本願寺系の社長麻田駒之助(こまのすけ)は、入社以来すでに16年のキャリアをもち、自らの発案で『婦人公論』を創刊(1916)するなど意欲的な活動をしていた嶋中(しまなか)雄作に社業を譲り、以降中央公論社は嶋中によって運営されることになった。編集、経営両面に才能をもつ嶋中は、社業を単行本や全集にまで拡大させたが、太平洋戦争下、『中央公論』の編集傾向が軍の忌避するところとなり、横浜事件で編集者が次々と検挙されるなかで、44年7月東条内閣から自発的閉社を命ぜられた。敗戦後、同社はただちに再建され、『中央公論』も復刊、49年(昭和24)雄作没後は次男鵬二(ほうじ)が社業を継いだ。同社は、雑誌のほか各種の図書、全集類、『中公新書』『中公文庫』などを刊行し、その規模を一段と拡大したが、97年(平成9)に鵬二が死去、経営危機が表面化し99年2月、読売新聞社に譲渡され読売の100%子会社である中央公論新社に出版活動が引き継がれた。『中央公論』60年12月号は、深沢七郎の小説『風流夢譚(むたん)』を掲載して右翼の暴力的攻撃を受け、大きな問題となったが、この事件は、日本社会の体質の不変と言論・表現の自由の問題を改めて考えさせるものであった。[海老原光義]
『中央公論社編・刊『中央公論の八十年』(1965) ▽畑中繁雄著『覚書 昭和出版弾圧小史』(1965・図書新聞)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ちゅうおうこうろん チュウアウ‥【中央公論】
総合雑誌。明治二〇年(一八八七)京都西本願寺普通教校内の修養団体反省会から、禁酒運動のため創刊された「反省会雑誌」を前身とし、同二五年「反省雑誌」と改題、同三二年「中央公論」と改題された。大正三年(一九一四)従来の反省社発行から中央公論社発行となり、滝田樗陰(ちょいん)を主幹として自由主義的な代表的総合誌として発展。昭和一九年(一九四四)軍部の圧力で一時廃刊。同二一年復刊。

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