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三木武夫【みきたけお】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

三木武夫
みきたけお
[生]1907.3.17. 徳島
[没]1988.11.14. 東京
政治家。内閣総理大臣首相。在任 1974~76)。1937年,明治大学卒業後に衆議院議員総選挙で初当選。以来第2次世界大戦前・後を通じ連続当選 19回,議員歴 51年7ヵ月。1942年の翼賛選挙に非推薦で当選,戦後は協同民主党を経て 1947年国民協同党を結成,書記長委員長となる。片山哲連立内閣で逓信大臣を務めた。民主党と合同し,その後身の改進党の幹事長となり,保守第2党にあって反吉田茂を貫いた。1955年の保守合同後,1956年石橋湛山首相,1964年池田勇人首相のもとで自由民主党幹事長を務めた。岸信介内閣,池田内閣,佐藤栄作内閣に入閣したが,岸政権には批判的で,六十年安保(→安保改定問題)でも批判的行動をとった。佐藤政権では沖縄返還の方式で対立,外務大臣を辞任。佐藤とは 2回自民党総裁の座を争い敗れた。1972年7月,三たび総裁選挙に出馬し,田中角栄福田赳夫と争い敗れたが田中政権に入閣,のち副総理に任命された。しかし 1974年7月,田中と対立して閣外に去った。同 1974年11月その批判の対象であった田中が金権政治攻撃により失脚し,12月に自民党副総裁椎名悦三郎により総裁に推され,首相の座についた。政権 2年,政治資金規正法の改正,ロッキード事件の徹底究明など,政治浄化には成果を上げたが,党内では少数派で非力であった。1976年防衛費を国民総生産 GNPの 1%以内に抑える方針を閣議決定。1976年末の総選挙敗北の責任を負い退陣した。1983年国際軍縮促進議員連盟会長。

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デジタル大辞泉

みき‐たけお〔‐たけを〕【三木武夫】
[1907~1988]政治家。徳島の生まれ。昭和12年(1937)以来衆議院議員に連続当選。保守傍流ながら、金脈問題で退陣した田中角栄首相のあとを受けて同49年組閣、ロッキード事件の真相糾明を掲げたが、自民党内右派の反発で退陣。→福田赳夫

出典:小学館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

三木武夫 みき-たけお
1907-1988 昭和時代の政治家。
明治40年3月17日生まれ。昭和12年衆議院議員(当選19回)。日米戦回避を主張,翼賛選挙では非推薦で当選。戦後は自民党で小派閥をひきい,2度党幹事長をつとめる。運輸相,通産相,外相などを歴任。49年田中角栄内閣の総辞職後,「椎名裁定」で首相となった。昭和63年11月14日死去。81歳。徳島県出身。明大卒。
【格言など】信無くんば立たず(信条)

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

みきたけお【三木武夫】
1907‐88(明治40‐昭和63)
昭和期の政治家。徳島県生れ。明治大学卒業直後の1937年(昭和12)4月総選挙に初当選。以来連続19回当選し,みずから“議会の子”と称した。42年の翼賛選挙では非推薦で当選している。第2次大戦後,協同民主党を経て47年3月国民協同党を結成し,書記長,委員長となる。同年,社会・民主・国協3党連立の片山哲内閣の逓信相。以後国民民主党,改進党,日本民主党と,保守第2党幹部の道を歩み,55年の自由民主党結成に至る。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

みきたけお【三木武夫】
1907~1988 政治家。徳島県生まれ。逓信・運輸・通産・外務各省大臣などを歴任。1974年(昭和49)首相となりロッキード事件究明をはかるが、76年退陣。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

三木武夫
みきたけお
(1907―1988)
政治家。明治40年3月17日徳島県御所(ごしょ)村吉田(よしだ)(現、阿波(あわ)市)生まれ。明治大学法学部、南カリフォルニア大学卒業。1937年(昭和12)総選挙で当選、以後連続当選。第二次世界大戦中は非推薦議員。戦後協同民主党を経て、1947年(昭和22)国民協同党書記長として片山哲(かたやまてつ)内閣の逓信(ていしん)相に就任。1951年国民民主党幹事長、1952年改進党幹事長、1954年鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣の運輸相を歴任。保守合同後も1956年、1964年と自民党幹事長を務めたほか、岸信介(のぶすけ)、佐藤栄作、田中角栄の各内閣に入閣し、つねに権力中枢にいた。1974年12月田中退陣後、首相に就任。革新保守的路線を歩もうとしたが、党内基盤が脆弱(ぜいじゃく)でわずか2年で退陣。三木は警職法・安保条約強行批判、1962年の「三木答申」、独占禁止法改正にみられる理想主義と、保守傍流でありながらつねに権力中枢にあったしたたかな現実主義とをあわせもつ政治家で、「理想をもったバルカン政治家」を自任。昭和63年11月14日没。[伊藤 悟]
『富森叡児著『戦後保守党史』(1977・日本評論社) ▽中村慶一郎著『三木政権・747日――戦後保守政治の曲がり角』(1981・行政問題研究所) ▽鯨岡兵輔・土井たか子・田英夫・国弘正雄著『三木「政治改革」試案とは何か』(1993・岩波ブックレット) ▽明治大学史資料センター監修、小西徳應編『三木武夫研究』(2011・日本経済評論社)』

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精選版 日本国語大辞典

みき‐たけお【三木武夫】
政治家。徳島県出身。昭和一二年(一九三七)衆議院議員に初当選以来連続当選。同四九年田中内閣総辞職の後を受けて首相に就任、ロッキード事件の真相究明を掲げたが、自民党内の反発を受け「三木おろし」によって五一年に退陣した。明治四〇~昭和六三年(一九〇七‐八八

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