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三宅観瀾【みやけ かんらん】

美術人名辞典

三宅観瀾
水戸藩儒臣。名は緝明、字は用晦、通称九十郎、号は観瀾・端山三宅石庵の弟。京都の人。木下順庵に師事。程朱学派。享保3年(1718)歿、45才。

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デジタル大辞泉

みやけ‐かんらん〔‐クワンラン〕【三宅観瀾】
[1674~1718]江戸中期の儒学者。京都の人。名は緝明(しゅうめい)。浅見絅斎(あさみけいさい)木下順庵に学び、徳川光圀に招かれて「大日本史」の編纂に協力した。のち、幕臣として活躍。著「中興鑑言」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

三宅観瀾 みやけ-かんらん
1674-1718 江戸時代中期の儒者。
延宝2年生まれ。三宅石庵の弟。浅見絅斎(けいさい),木下順庵にまなぶ。徳川光圀(みつくに)の招きで彰考館にはいり,「大日本史」の編修にくわわり,南朝武将列伝を担当。宝永7年(1710)総裁となり,翌年幕府儒官に登用された。享保(きょうほう)3年8月26日死去。45歳。京都出身。名は緝明。字(あざな)は用晦。通称は九十郎。著作に「中興鑑言」「観瀾文集」など。

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世界大百科事典 第2版

みやけかんらん【三宅観瀾】
1674‐1718(延宝2‐享保3)
江戸中期の史学者。名は緝明(つぐあき),通称は九十郎,観瀾は号。京都の町人儒者三宅道悦の子で三宅石庵の弟。浅見絅斎(けいさい)の門に入ったが,のち破門された。1699年(元禄12)水戸藩に仕え彰考館編修。南朝の史実に詳しく《中興鑑言》を著し,また楠木氏,新田氏などの《大日本史》列伝を執筆した。1710年(宝永7)彰考館総裁となったが,翌年幕府の儒臣に登用された。著書はほかに《論賛駁語》《観瀾文集》などがある。

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大辞林 第三版

みやけかんらん【三宅観瀾】
1674~1718) 江戸中期の儒学者。京都の人、一説に美濃の人。名は緝明、字あざなは用晦。浅見絅斎けいさい・木下順庵に学ぶ。彰考館に入り「大日本史」編纂に携わり、のち彰考館総裁。新井白石の推薦により幕臣となり、朝鮮使節接待役を務めた。著「中興鑑言」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

三宅観瀾
みやけかんらん
[生]延宝2(1674).京都
[没]享保3(1718).8.26.
江戸時代中期の朱子学派の儒学者。名は緝明,字は用晦,通称は九十郎。儒学者三宅石庵の弟。初め浅見絅斎に,のち江戸に出て木下順庵に朱子学を学んだ。元禄 12 (1699) 年水戸光圀に招かれ,彰考館総裁となり,『大日本史』の編纂に従事。正徳1 (1711) 年新井白石の推挙により儒官として江戸幕府に出仕。主著『中興鑑言』。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

三宅観瀾
みやけかんらん
(1674―1718)
江戸中期の儒学者、歴史学者。諱(いみな)は緝明(しゅうめい)、字(あざな)は用晦(ようかい)、通称九十郎、号は観瀾また端山(たんざん)。町人儒者三宅道悦(どうえつ)(正清)の子として京都に生まれる。懐徳堂(かいとくどう)学主三宅石庵(せきあん)(1665―1730)の弟。初め崎門(きもん)学者浅見絅斎(あさみけいさい)に学び、のち江戸に出て木下順庵(きのしたじゅんあん)の門に入る。1697年(元禄10)水戸藩の彰考館(しょうこうかん)に入り、1710年(宝永7)その総裁となったが、翌1711年去って幕府に仕えた。主著は建武(けんむ)の新政(中興)の得失を論じた『中興鑑言(かんげん)』。享保(きょうほう)3年8月26日没。[瀬谷義彦]

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精選版 日本国語大辞典

みやけ‐かんらん【三宅観瀾】
江戸中期の儒者。京都の人。名は緝明、字は用晦、通称九十郎。三宅石庵の弟。浅見絅斎、木下順庵に学び、程朱学を修める。水戸光圀に招聘されて大日本史の編修に当たり、新田義貞・楠木正成らの諸伝を執筆し、また、源頼朝・足利尊氏らを将軍伝として別置し、彰考館総裁となる。のち新井白石の推挙により幕府の儒官となる。著「中興鑑言」「観瀾文集」など。延宝二~享保三年(一六七四‐一七一八

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