Rakuten infoseek

辞書

三善清行【みよしきよゆき】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

三善清行
みよしきよゆき
[生]承和14(847)
[没]延喜18(918).12.7. 京都
平安時代中期の学者。「きよつら」とも読む。字,三耀。号,居逸。氏吉の3男。母は佐伯氏。巨勢文雄の弟子。貞観 16 (874) 年文章得業生となり,大学少允,少内記を経て仁和3 (887) 年従五位下,次いで大内記に転じ,同4年藤原佐世らと連署して阿衡の勘文を奉った (→阿衡事件 ) 。昌泰3 (900) 年刑部大輔,文章博士となり,『史記』を講述した。また辛酉革命を奉り,いれられて延喜と改元された。延喜1 (901) 年大学頭を兼ね,式部少輔,式部権大輔を経て同 14年式部大輔。この年醍醐天皇に応じて律令制崩壊の現状を具体的に述べた意見封事 12ヵ条を奉った。同 16年善法寺を建立,翌年参議に任じられ,次いで宮内卿を兼ね,朔旦冬至 (さくたんとうじ) の賀表をつくり,また深紅の衣服の禁止を奏請した。応永 11 (1404) 年贈正二位大納言。詩,易に長じ,また明法に明るく,延喜5 (905) 年以来『延喜格式』の編集にあたった。『円珍和尚伝』 (902) ,『藤原保則伝』 (907) ,説話『善家秘記』などの書がある。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

みよし‐きよゆき【三善清行】
[847~919]平安前期の漢学者文章博士(もんじょうはかせ)大学頭(だいがくのかみ)経史詩文に通じ、上奏文の「革命勘文」「意見封事十二箇条」は有名。また、「延喜式」の編集に参加。著「藤原保則伝」など。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plus

三善清行 みよし-きよゆき
847-919* 平安時代前期-中期の公卿(くぎょう),学者。
承和(じょうわ)14年生まれ。文章博士(もんじょうはかせ)兼大学頭(かみ),式部大輔などをへて,参議兼宮内卿,従四位上。善相公と称された。右大臣菅原道真への辞職勧告文,辛酉(しんゆう)の改元を上申した「革命勘文(かんもん)」,政策案「意見十二箇条」で知られる。「延喜(えんぎ)格式」の編集にもくわわった。延喜18年12月7日死去。72歳。字(あざな)は三耀。著作に「智証大師伝」「藤原保則伝」。
【格言など】老いたる人の心は違失すべからず(「藤原保則伝」)

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

みよしきよゆき【三善清行】
847‐918(承和14‐延喜18)
平安前期の文人官吏。淡路守氏吉の三男。大学で巨勢文雄に師事し,37歳で対策及第して官途についた。893年(寛平5)備中介に赴任した以外は京で大内記,文章博士,大学頭,式部大輔など儒職を歴任し,晩年の71歳でようやく参議兼宮内卿に栄進した。詩文に優れ,《円珍和尚伝》《藤原保則伝》《善家秘記》などを著す。辛酉の年の901年(延喜1)に《革命勘文》を,また914年には《意見十二箇条》を上奏する警世家でもあった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

みよしきよゆき【三善清行】
847~918 平安前期の学者。「きよつら」とも。善相公と称される。文章博士・大学頭・参議。901年革命改元の議が入れられて延喜と改められ、914年「意見封事十二箇条」を呈上。経史・詩文・算道に通じ「円珍伝」「藤原保則伝」などを著した。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

三善清行
みよしきよゆき
(847―918)
平安前期の文人官僚。三善氏吉(うじよし)の子で、善相(ぜんしょう)公とも称される。また「きよつら」という訓もあるが、正しくは「きよゆき」。873年(貞観15)に文章生(もんじょうしょう)となり、翌年得業生となり、881年(元慶5)に方略試を受けるが不合格となる。このときの問者が菅原道真(すがわらのみちざね)で、以後清行が道真と立場を異にすることが多いのは、これに起因するとみる説もあるが明らかではない。2年後に37歳で対策に及第し、大学少允(しょうじょう)となる。886年(仁和2)少内記、翌年には従(じゅ)五位下(げ)大内記となる。この年に始まる阿衡(あこう)紛議では藤原佐世(すけよ)らの意見にくみし、橘広相(たちばなのひろみ)を弁ずる菅原道真に対する。893年(寛平5)に備中介(びっちゅうのすけ)となり、初めて地方社会の実情を知り、また政治の生きた理念を学ぶ。この経験はのち914年(延喜14)の意見封事十二箇条に強く反映される。
 900年(昌泰3)に刑部大輔(ぎょうぶたいふ)、文章博士となり、右大臣菅原道真に辞職を勧め、ついで明年辛酉(しんゆう)革命の議を上奏し、翌901年に道真左遷後、辛酉革命の勘文(かんもん)を上奏し、延喜(えんぎ)と改元された。ついで大学頭(だいがくのかみ)となり、延喜格式(きゃくしき)の編纂(へんさん)にも参画したが、晩年はとくに目だった活動はなく、917年に71歳で参議・宮内卿(くないきょう)となった。著作には『円珍和尚(えんちんかしょう)伝』『藤原保則(やすのり)伝』『善家秘記』などがあり、歌集として『善家集』(一巻・佚(いつ))があった。[佐藤宗諄]
『所功著『三善清行』(1962・吉川弘文館)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

みよし‐きよゆき【三善清行】
平安初期の漢学者。文章博士。名は「きよつら」とも。字は三耀、号は居逸。文章博士から参議に進んだので、善相公といわれる。讖緯(しんい)説に基づき辛酉革命、甲子革令を提唱し、これにより年号が延喜と改められた。経史に通じ詩文にも長じ、延喜一四年(九一四)に天皇に呈した「意見十二箇条」は識見高邁、時弊をよく指摘したと評価されている。著に「円珍和尚伝」「藤原保則伝」など。承和一四~延喜一八年(八四七‐九一八

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

旺文社日本史事典 三訂版

三善清行
みよしきよゆき
847〜918
平安前期の漢学者・公卿
名は「きよつら」とも読む。文章博士から参議・宮内卿に昇進した。914年醍醐 (だいご) 天皇の命により『意見封事十二箇条』を提出した。詩文に長じ,明法・算道にも明るく,『延喜格式』の編集に参加。ほかに『智証大師(円珍)伝』『藤原保則伝』などの著もある。

出典:旺文社日本史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
金澤利明 竹内秀一 藤野雅己 牧内利之 真中幹夫
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

三善清行」の用語解説はコトバンクが提供しています。

三善清行の関連情報

関連キーワード

株主代表訴訟セルギウス2世レオ4世三門三峡ダム円仁インド洋での給油活動有智子内親王黄檗希運牛僧孺

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.