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三位一体【さんみいったい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

三位一体
さんみいったい
Trinitas; Trinity
キリスト教の教理で,一つの格にある三位格 (→ペルソナ ) としてのと子と聖霊のまとまりをさす。三位一体という言葉も,この教理を明記した個所も新約聖書の中には出てこない。また,イエスもその弟子たちにも以下のように旧約聖書の中で記されている神の唯一性を否定しようという意図は見られなかった。「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである」 (申命記6・4) 。しかし,初代キリスト教会はキリストの再臨と想定されていた霊が来ることと神の力とのかかわりあいについて対処しなければならなかった。つまり,聖霊にかかわる問題であり,聖霊が来ることは,ペンテコステ (→五旬節 ) の祝いと関係している。父と子と聖霊の関係は,大宣教命令として知られる次の新約聖書の個所でも関連づけられている。「それゆえ,あなたがたは行って,あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして,父,子,聖霊の御名によってバプテスマを授け (なさい) 」 (マタイ 28・19) ,そしてパウロによる祝祷である「主イエス・キリストの恵み,神の愛,聖霊の交わりが,あなたがたすべてとともにありますように」 (IIコリント 13・13) 。このように,新約聖書は三位一体の教理の基礎を確立している。
この教理は何世紀にもわたり,多くの論争を引起しながら徐々に形づくられていった。当初,旧約聖書から受け継いだ一神教的要求と聖書の教えをギリシア=ローマ的宗教に解釈する必要性からロゴス (言葉) としてのキリストの神性は頂点に立つ神の下に位置するものと解釈されていた。また一方,父,子,聖霊は一つの神のうちにある三つの位格をそれぞれ啓示しているが,神そのものが分れて存在するものではないとする別の解釈もあった。前者には父,子,聖霊にはっきりとした区別を認め,それぞれが同等ではなく,したがって神の単一性も否定 (聖子従属説) し,後者には神の単一性を認めるが,それぞれの位格が異なる (様態説) という特徴がある。父,子,聖霊の違いと単一性の論争が,一つの実体において三つの位格が存在するという教理にまとめられ,一般に認められるようになったのは4世紀になってからである。
325年のニカイア公会議は,聖霊についてはほとんど言及されなかったが,子は父とは本質において同一である (ホモウシオス) という,教理解釈にとって重要な信条を発表した。その後の半世紀の間,アタナシウスはこのニカイア信条を擁護し,さらに教理を掘り下げたが,4世紀の終りになり,カエサレアバシレイオス,ニュッサのグレゴリオス,およびナジアンゾスのグレゴリオス (→カッパドキアの3教父 ) の指導の下,三位一体の教理は本質的に現在と同じ枠組みをとるようになった。

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デジタル大辞泉

さんみ‐いったい〔サンヰ‐〕【三位一体】
キリスト教で、父()・子(キリスト)・聖霊の三位は、唯一の神が三つの姿となって現れたもので、元来は一体であるとする教理。
三者が本質的に全く同一であるということ。
三つのものが一つになること。また、三者が心を合わせること。

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世界大百科事典 第2版

さんみいったい【三位一体 Trinity】
キリスト教の根幹的教義の一つ。キリスト教においては,神はたんなる超越者でも内在者でもなく,超越者にして同時に内在者,見えざるものにして同時に見えるもの,人格以上であると同時に人格存在としてとらえられている。さらに歴史を超えると同時に歴史の中に働くものとして,神が人間となり(受肉),この人間が神のもとに帰ってのちに聖霊をつかわし,これによって受肉にはじまる救いの(わざ)を継続し完成させることがいわれる。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

さんみいったい【三位一体】
キリスト教の根本教義の一つで、三位はすべて本質(ウーシア)において同一であり、唯一神はこの三つをもつ実体であるという考え方。三位一体論。三一論。
三つのものが、一つの物の三つの側面であること。また、三者が心を合わせること。 親と学校と地域が-となって子供を守る は上海美華書館英華初学(一八七二)に英語 trinity の訳語として載る。哲学字彙(1881年)にも受け継がれる

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日本大百科全書(ニッポニカ)

三位一体
さんみいったい
trinitasラテン語
trinity英語
キリスト教のもっとも重要な教義。聖書において啓示される神について、信仰経験に基づいて展開された思索の成果であるといえる。三位一体とは簡潔に表現すると、聖書の神は、父と子と聖霊であることにおいては三つのペルソナ(位格)をもつが、神であること(本質)においては一つの実体として存在するということである。つまり、一なる神が父と子と聖霊という三つのペルソナにおいて啓示されたことを、人間言語の制約下で示すものである。キリスト教会では、この教義は理性の明るみにおいて把握できぬ至高の秘義(玄義)であると考えられるが、かならずしも理性と対立するものではない。「三位一体」という語は、最初にテオフィルスTheophilus Antiochenus(180ころ)によってギリシア語の三つtriasで表されたが、聖書にはみいだされない。キリスト教神学ではこの教義の予表を、アブラハムの家に「三人の人」が訪れた話(「創世記」18章)やイザヤの幻の三つの聖なるものなどのように、『旧約聖書』のテキストにみられると考えた。また『新約聖書』のある箇所、とくに「マタイ伝福音(ふくいん)書」(28章19)の「父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施せ」というバプテスマ(洗礼)の定式において、明らかに三位一体を示唆しているとも考えた。
 この教義は初期キリスト教の教父によってしだいに形成されていったが、父と子と聖霊のそれぞれの特性を認めつつ、「一なる神である」という言語的表現の微妙さと難解さのために、この問題をめぐって正統と異端の論争が相当長く続く。ニカイア公会議(325)とコンスタンティノープル第1回公会議で、この教義はきわめて単純な形で定義された。サベリア派に対しては父と子と聖霊の区別を、アリウス派に対しては父と子と聖霊の等しさと共なる永遠性が主張された。三つのペルソナは、父は生まれず、子は父によって生まれ、聖霊は父から子を通して発出するという点で、その起源においてだけ相違する。教父時代にいくつかの三位一体論が論述されたが、もっとも徹底的で壮大な力作はアウグスティヌスのものであり、後世に大きな影響を与えることになった。人間の自己知と自己愛という現象を、神の三位一体を説明するのに類比的に用いているという点に、彼の三位一体論の特徴がみられる。[中沢宣夫]

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精選版 日本国語大辞典

さんみ‐いったい サンヰ‥【三位一体】
〘名〙
① キリスト教で、創造主としての父である神と、贖罪(しょくざい)者として世にあらわれた神の子キリストと、両者の一致と交わりとしての聖霊とが、唯一の神の三つの位格(ペルソナ)として現われたものであるとする説。三位はすべて神の現われで、元来一体のものであるとする考え。
※自由之理(1872)〈中村正直訳〉一「ペーピスト 羅馬教の人 ユニタリアン 独一上帝を信じて、三位一体の説を信ぜざる人 を容ること能はず」
② (比喩的に) 三つのものがひとつになること。三者が心を合わせること。
※ろまんの残党(1947)〈石川達三〉二「エロティシズムと、グロテスクと、ナンセンス〈略〉その三位一体(サンミイッタイ)が作り出す都市の風俗は」

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