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一揆【いっき】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

一揆
いっき
もとは一致協力する意味の言葉であるが,鎌倉幕府の滅亡後,うちつづく政治,社会の混乱に対処しようと,中小武士層が一味同心して集団行動をとり,一揆と称した。一揆は鎌倉時代のが血縁的集団であったのと異なり,地縁的結合の要素が強かった。室町時代には,一揆は農村の地侍や都市の細民の暴動を意味するようになり,国一揆一向一揆徳政一揆などの別がある。江戸時代には幕藩領主権力への反抗としての百姓一揆が,さまざまの形態や要求をもって展開し,都市細民の反抗は,主として打毀の形をとった。明治初年の一揆は普通,農民騒擾の名で呼ばれる。

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デジタル大辞泉

いっ‐き【一×揆】
中世、小領主たちの同志的な集団。また、その集団行動。特に、幕府・守護・領主などに反抗して、地侍・農民・信徒らが団結して起こした暴動。土一揆国一揆一向一揆など。
江戸時代の百姓一揆
心を一つにすること。一致団結。
「引きては一人も帰らじと是も五手に―して四方六里に引(ひか)へたり」〈太平記・三一〉
程度・方法などが同じであること。一致すること。
「議奏の趣―せざりければ」〈盛衰記・一五〉

出典:小学館
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とっさの日本語便利帳

一揆
本来は広く「揆を一にする」一定の集団の盟約行為、連帯行動全般を指す。農民の一揆は土一揆(どいっき)と呼ばれ、室町時代から戦国時代にかけては、徳政を要求する土一揆が頻繁に起こった。

出典:(株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」

防府市歴史用語集

一揆
 支配者に抵抗するために、農民が起こした反乱です。

出典:ほうふWeb歴史館
Copyright 2002,Hofu Virtual Site Museum,Japan
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世界大百科事典 第2版

いっき【一揆】
一味同心という連帯の心性を共有する人々で構成された集団。日常性をこえた問題,通常の手段では解決が不可能であると考えられた問題を解決することを目的にして結成された,現実をこえた非日常的な集団が一揆である。一揆は,現実には個々ばらばらの利害の対立を示す社会的存在としての個人を,ある共通の目的達成のためにその関係を止揚して,一体化(一味同心)した。そのために一揆に参加する個々のメンバーが現実をこえた存在となることを目的とした誓約の儀式が必要であり,それが一味神水であった。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

いっき【一揆】
室町中期以降、支配者の圧政に反抗した農民や一向宗信徒などが徒党を組んで起こした武装蜂起ほうき。「土一揆」「一向一揆」「百姓一揆」など。
鎌倉・室町時代、同族の武士などが共通の利害関係に基づいて政治的・軍事的に団結して進退をともにすること。また、その組織。「白旗一揆」など。
心を同じにすること。一致団結。 「坂東・坂西・藤・橘・伴の者共五百騎づつ-を結んで/太平記 25

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

一揆
いっき
日本中・近世社会に固有な武士・農民の結合および行動様式。「揆(き)を一(いつ)にする」意から、一致団結することを意味するようになり、一致した集団行動に対して用いられるようになる。
 鎌倉時代には、武家が一揆して党をつくるなどに用いられているが、南北朝の内乱期以降、14世紀から16世紀には、「一揆の世」といわれているほど多様な形態の一揆が頻発し、政治に大きな影響を与えるようになる。まず、南北朝期に武家らの党や集団を一揆というようになり、土着の武士である「国人(こくじん)」の地域的結合である国人一揆が生まれた。しかしこのころ畿内(きない)近国の農村では、不法な代官の罷免や年貢減免を求める名主(みょうしゅ)を中心とする「庄家(しょうけ)の一揆」が組織されるようになり、これがその後、争乱、そして収奪強化、高利貸支配による生活不安などが増大すると、年貢減免や新税賦課反対を領主に求めたり、徳政を求めて結集し実力でかちとる土(つち)一揆へ発展し、1428年(正長1)の大一揆以降、主流となる。土一揆は「土民」の一揆ということであるが、一揆を組織し指導したのは国人で、名主・地侍らの農民が主体となり、それに馬借(ばしゃく)・都市貧民などが加わる場合が多い。しかし、15世紀末土一揆を主導してきた国人が農民支配を強化し、山城(やましろ)(京都府)でみられたように国一揆を組織するようになると、土一揆はしだいに減少し、戦国時代には一向(いっこう)一揆など宗教的色彩を帯びるようになる。ただこれも信仰的結合というより、大名に抵抗するために農民を巻き込んだ国人らの一揆の性格が強い。
 織豊(しょくほう)政権による全国統一は、こうした一揆勢力の一掃によって初めて確立したので、彼らは徹底的な弾圧に出たが、検地反対一揆が組織されるなど在地の小領主から最後まで抵抗された。ただし兵農分離が貫徹し、武士の反乱が否定された江戸時代には、武士にかわって農民が幕藩領主の圧政に抵抗する百姓一揆が組織されるようになった。百姓一揆は江戸時代を通して約3200件起こっているが、江戸初期には村役人による越訴(おっそ)(代表越訴型)、中期には全領民参加の惣百姓(そうびゃくしょう)一揆、そして幕藩制が動揺し商人や地主が勢力を台頭させるころには、おもに彼らと領主とを相手とする世直し一揆(騒動ともいう)へと発展し、幕末期には数多く起こり、政局に少なからず影響を与えた。こうした百姓一揆は、いずれも持続性がなく要求実現後すぐ解散するものであったが、明治維新後も新政府の政策に対して各地で組織され、地租改正反対一揆などを起こしている。しかし自由民権運動などの高揚のなかで、新たな運動方法がみいだされ消滅する。[青木美智男]
『青木美智男他編『一揆』全5巻(1980~82・東京大学出版会) ▽勝俣鎮夫著『一揆』(岩波新書)』

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