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ワイマール共和国【ワイマールきょうわこく】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ワイマール共和国
ワイマールきょうわこく
Weimarer Republik
第1次世界大戦後のドイツ革命を経て成立した共和国(1919~33)。ドイツ共和国とも呼ばれる。1919年国民議会ワイマールで開かれ,ワイマール憲法を制定したため,この名がある。初代大統領は社会民主党のフリードリヒ・エーベルト。ワイマール憲法は,生存権的基本権を織り込んだもので,自由主義的・民主主義的共和国の建設を目標としていたが,その第48条の大統領の非常権力に関する規定は,のちのナチスの出現に大きな役割を果たした。共和国がまず直面した最大の困難は賠償問題で,1923年にはルール占領や天文学的インフレーションが起こり,社会不安も強まったが,ドーズ案の成立やレンテンマルクの成功によって経済はしだいに安定し,1926年には戦前の水準をこえることができた。それとともにドイツはグスタフ・シュトレーゼマン外務大臣の努力によってロカルノ条約を締結,1926年国際連盟に加盟し,国際的地位も高まった。しかし経済の再建が進むにつれ,国内では保守派の勢力が進出し,1925年には保守派の推すパウル・フォン・ヒンデンブルクが大統領に当選。1929年に起こった世界恐慌はドイツに深刻な社会不安を引き起こし,左右両勢力が著しく進出したが,特にナチスはこの情勢を利用して 1932年には第一党に躍進。1933年アドルフ・ヒトラーは内閣を組織し,1934年ヒンデンブルクの死を機として総統の地位につき独裁者の地位を確立,共和国は名実ともに崩壊した。

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デジタル大辞泉

ワイマール‐きょうわこく【ワイマール共和国】
第一次大戦後成立したドイツ共和国の通称。十一月革命ドイツ革命)を指導した社会民主主義勢力が、1919年にワイマールで国民議会を開き、ワイマール憲法を制定して、18の連邦からなる共和国として成立。1933年、ナチス政権の樹立によって消滅。

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

ワイマールきょうわこく【ワイマール共和国 Weimarer Republik】
1919‐33年に存続したドイツの共和国。
[成立]
 第1次大戦末期,キールの水兵反乱に端を発したドイツ革命は,1918年12月の第1回全国労兵レーテ大会において,(1)国民議会の召集,(2)軍隊の民主化,(3)鉱山の社会化,を決議した。これは,さしあたり議会制民主主義の導入に賛成しつつも,第二帝政の主柱であった反民主的な軍部・重工業を解体しようとしたものであったが,しかし,多数派社会民主党首脳の支配する人民委員政府は,(1)国防軍首脳と多数派社会民主党首脳のいわゆるヒンデンブルク=エーベルト同盟,(2)資本家団体首脳と自由労組首脳のいわゆるシュティンネス=レギーン協定(中央労働共同体協定)をてこに,一方において,直ちに社会主義共和国を樹立しようとするスパルタクス団=共産党らの蜂起を鎮圧するとともに,他方,労働者・兵士大衆の要求する重工業社会化・軍隊民主化をも封殺し,こうしてワイマール共和国の基礎を作ったのである。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ワイマールきょうわこく【ワイマール共和国】
ドイツ革命に伴い成立したドイツ共和国(1919~1933)の通称。社会民主党・中央党・民主党が連立内閣を結成、ワイマール憲法を制定。政局は常に不安定で保守勢力が根強く残り、世界恐慌の直撃をうけ、ナチスの政権獲得で消滅した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ワイマール共和国
わいまーるきょうわこく
Weimarer Republik
1918年11月のドイツ革命によって生まれ、33年1月のナチス党の政権掌握によって終わりを告げたドイツ最初の共和国。[松 俊夫]

発足

革命によって政権を委譲された社会民主党は、革命派の動きを抑えるために軍部と結び、議会制民主主義の導入に全力をあげた。1919年1月ベルリンで革命派の蜂起(ほうき)が鎮圧されたあと、国民議会の選挙で多数を占めたワイマール連合(社会民主党、中央党、民主党)は、2月にエーベルトを大統領に選び、7月ワイマール憲法を制定して共和国を発足させた。同年6月ベルサイユ条約が調印されると、右派勢力は国民の憤激を利用し、第一次世界大戦の敗北は「背後から、あいくちによって刺された」結果であると宣伝、20年3月には一部の軍人、右翼政治家がカップ一揆(いっき)を引き起こす事態を招いた。一揆は労働者のゼネストによって失敗したが、その影響を受けて同年6月の総選挙では、ワイマール連合が大きく後退し、かわって左右両派が進出した。ナチス党が25か条の綱領を定めたのもこの年である。一方、連合国は21年5月、最後通牒(つうちょう)をもって総額1320億金マルクに上る賠償をドイツに要求した。ドイツはやむなくこれを受諾し、支払いを開始したが、まもなく行き詰まったため、22年4月ソビエト・ロシアとラパロ条約を結び、国際的孤立からの脱却と市場の開拓を図ろうとした。しかしこれは連合国に衝撃を与え、フランスは賠償支払いの遅れを理由に、23年1月ベルギーとともにルール地方を占領、一方、ドイツもゼネストによる「受身の抵抗」で応じたため、ドイツ経済は麻痺(まひ)し、破局的なインフレを招いて深刻な社会不安を引き起こした。そこで同年8月、首相に就任したシュトレーゼマンはただちに抵抗を打ち切り、レンテンマルクを発行してインフレの収拾に努め、左翼勢力の動きやナチス党のミュンヘン一揆を失敗させて危機を克服した。[松 俊夫]

安定

シュトレーゼマンはまもなく辞任したが、引き続き外相にとどまり、「履行政策」を推進した。その結果、1924年8月ドーズ案が成立して賠償支払いの基準が定まり、25年10月にはロカルノ条約が成立し、翌年ドイツは国際連盟に加入して常任理事国となったが、一方、26年4月には独ソ間にベルリン条約も成立し、ドイツの国際的地位は著しく向上した。またドーズ案の成立後、アメリカ資本の導入と合理化によってドイツ経済は再建され、まもなく戦前の水準に達した。それに伴い24年12月の総選挙では、ワイマール連合が議席を回復し、文化も「黄金の20年代」にふさわしい活況をみせ始めた。しかしインフレと合理化によって地位を固めた大資本の影響力は強く、25年エーベルトの死後に行われた大統領選挙では、保守派の推す大戦中の「英雄」ヒンデンブルクが当選、政府もしだいに保守色を強めた。その後、28年5月の総選挙では社会民主党と共産党が進出したが、ワイマール連合はなお過半数を制することができなかったため、社会民主党のヘルマン・ミュラーは人民党をも含む不安定な内閣を組織しなければならなかった。[松 俊夫]

解体

1929年6月、ドーズ案にかわってヤング案が提出されると、右翼は一斉に激しい反対運動を展開し、なかでもヒトラーの活動は一躍国民の注目をひいた。この間、同年10月、アメリカで恐慌が起こると、アメリカ資本に依存してきたドイツ経済は大きな影響を受け、財政難に陥ったミュラー内閣は30年3月辞職した。そのあとブリューニング、パーペン、シュライヒャーの各内閣が成立したが、いずれも議会に基礎をもたない「大統領内閣」で、もっぱら大統領の緊急令に依存して局面の打開を図ろうとした。しかし恐慌の様相はますます深刻化し、32年には失業者数が600万を超える状況に達した。すでに30年9月の総選挙で、ナチス党は恐慌に悩む中間層の支持を受けて大幅に躍進していたが、一方、共産党も著しく進出したため、これを警戒した大資本や大地主はしだいにナチス党の支持に傾いた。その結果、32年4月の大統領選挙では、ヒトラーはヒンデンブルクに迫る票数を獲得、さらに同年7月の総選挙でもナチス党が圧勝した。これに対して社会民主党と共産党は相互の不信感から統一戦線を組みえず、また同年11月の総選挙でナチス党が一時後退した機会をとらえることもできなかった。このような情勢のなかで、33年1月、大統領ヒンデンブルクはヒトラーを首相に任命し、ここに共和国はその短い歴史を閉じたのである。[松 俊夫]
『ローゼンベルク著、吉田輝夫訳『ヴァイマル共和国史』(1970・東邦出版社) ▽村瀬興雄著『ドイツ現代史』(1954・東京大学出版会) ▽林健太郎著『ワイマル共和国』(中公新書) ▽脇圭平著『知識人と政治』(岩波新書) ▽栗原優著『ナチズム体制の成立』(1981・ミネルヴァ書房)』

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精選版 日本国語大辞典

ワイマール‐きょうわこく【ワイマール共和国】
第一次世界大戦後成立したドイツ共和国(一九一九‐三三)の通称。一九一八年、一一月革命を指導した社会主義勢力が連合国と休戦して第一次世界大戦を終結させたのち、一九一九年ワイマールで国民議会を開き、社会民主党・中央党・民主党の連合政府を結成、ベルサイユ条約を承認、ワイマール憲法を制定して、一八の連邦からなる共和国を樹立した。しかし、一九二九年の大恐慌による混乱を収拾できず、一九三三年のヒットラーの政権掌握によって消滅した。

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