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ロシア

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ロシア
Russia
正式名称 ロシア連邦 Rossiiskaya Federatsiya。
面積 1709万8200km2
人口 1億4330万4000(2013推計)。
首都 モスクワ

ユーラシア北部を占める連邦共和国。西はバルト海から東は太平洋まで広がり,11の時間帯をもつ,国土面積世界第1位の広大な国。1991年12月,ソビエト社会主義共和国連邦の崩壊をうけて現国名に改称,ソビエト連邦を構成していた国々からなる独立国家共同体 CISを創設して盟主となった。地形的にはエニセイ川を境に西の平原,東の山地・高原地帯に大別できる。西部はさらにウラル山脈により東ヨーロッパ平原西シベリア低地に分かれる。エニセイ川以東では西部に中央シベリア台地,南部に東サヤン山脈西サヤン山脈ザバイカリエの山地があり,北東部とオホーツク海沿岸にも山脈,高原が連続する。最東部のカムチャツカ半島千島列島には火山が多い。ドン川ボルガ川北ドビナ川ペチョラ川オビ川,エニセイ川,レナ川アムール川の各河川が流れている。気候は西から東へ大陸性気候がしだいに厳しくなり,南東部に季節風気候がみられる。また南から北へ,黒海沿岸の亜熱帯気候から北極海の島々の極地気候まで変化が著しい。黒海沿岸を除いて 1月の平均気温は 0℃以下で,-50℃から-1℃まで,7月は 1℃から 25℃まで変化する。年降水量は西部の 600~700mmから,東部の 100~150mm(南東部は 700~1000mm)まで変化する。包蔵水力,石炭,鉄鉱,森林資源などの天然資源が豊富で,石油,天然ガス,金,銀,ダイヤモンド,カリウム塩などにも恵まれている。そのほか銅,ニッケル,雲母,バナジウム,コバルトなどの世界的な生産国。住民の約 80%がロシア人であるが,ほかに 120以上の民族(主要民族は約 20)が住んでいる。都市人口は全体の 73.9%(2012)。公用語のロシア語のほか,各共和国では民族語が話される。宗教はキリスト教徒が約 60%を占めるが,そのほとんどはロシア正教会の信者である。また,イスラム教徒が約 8%を占める。鉱工業では石油,石炭,電力,鉄鋼,機械,自動車,紙,繊維の生産が多く,農業ではおもにコムギやオオムギなどの穀物が生産されるほか,アマサトウダイコン,ジャガイモなどの栽培,牧畜が盛ん。国内交通の中心は鉄道であるが,国土が広大で未開発地が多いため空運も発達しており,大都市間を中心に道路網も整備されている。水運ではボルガ川の水運が発達している。また石油や天然ガスのパイプラインの敷設も進んでいる。(→ロシア史

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世界大百科事典 第2版

ロシア【Rossiya】
ロシヤと表記することもある。漢字では江戸時代から明治初年まで魯西亜,明治中期以後は露西亜の文字をあてる。ソ連時代には,国名としてはソ連邦の一構成要素であるロシア連邦社会主義共和国にその名をとどめていたにすぎないが,ソ連邦崩壊後はこの共和国がロシア連邦(あるいはロシア)を正称とするに至った。1917年の革命以前の国名であるロシア帝国の領域には旧ソ連のほとんどすべての領土のほかに,ポーランドフィンランドが含まれていた。

出典:株式会社平凡社
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旺文社世界史事典 三訂版

ロシア
Russia (イギリス)
ユーラシア大陸の北部を東西にわたって占める広大な地域にある共和国。首都モスクワ
9世紀中ごろ,ノルマン人の一派ルーシがこの地に侵入し,スラヴ人を征服して,862年ごろノヴゴロド国を建国。9世紀末,その一族はさらにキエフを占領してキエフ公国を建て,キエフ公国がロシアの中心国家となった。988年にはウラディミル1世がギリシア正教を公認宗教とし,これに伴ってビザンツ文化が流入した。11〜12世紀は諸侯が割拠して国土が分裂していたが,13世紀にモンゴル人が侵入してキプチャク−ハン国を建て,以後2世紀間,ロシアを支配した。1480年にはモスクワ大公イヴァン3世がその支配を脱して専制君主制を確立し,ギリシア正教会の首長の後継者を自認,その孫のイヴァン4世は国内を統一して対外発展につとめた。1613年,ロマノフ朝が成立。ピョートル1世(在位1682〜1725)の時代には,西欧の文物を取り入れたのをはじめ,北方戦争(1700〜21)によってバルト海に進出し,絶対主義体制を固めた。エカチェリーナ2世(在位1762〜96)は啓蒙絶対君主として知られるが,この時代にポーランド分割など領土の拡張が進められるとともに,農奴制が固定化されていった。この農奴制の強化に対して,1660年代末にステンカ=ラージンの乱,1773年にはプガチョフの乱が起こったが,いずれも皇帝によって鎮圧された。こうして,ロシアの社会・経済の発達は著しく遅れることになった。しかし,1825年12月,ナポレオン戦争に出征して西欧の自由思想に接した貴族出身の青年将校たちがデカブリストの乱を起こし,憲法制定・農奴解放などを要求した。この乱はニコライ1世によって鎮圧されたが,社会改革の気運を促し,その後の革命運動に大きな影響を与えた。1853年,トルコへの南下を求めてクリミア戦争が起こったが,これに敗れたアレクサンドル2世は,ロシアの近代化を痛感し,61年農奴解放令を発したのをはじめ,ゼムストヴォ(地方自治体の機関)や裁判機構の改革を行った。しかし,これらの改革は,本質的には地主・貴族本位のものであり,必ずしも農民の不満を解消するものではなかったため,1870年代に都市の知識人階級によってナロードニキ(人民主義者)運動が起こった。この運動が農民の支持を獲得できず,さらに皇帝が弾圧を加えたため,彼らはニヒリズムにおちいり,過激なアナーキズムやテロリズムに走った。20世紀初めになると,極東への関心が高まり,満州や朝鮮に手をのばそうとしたが,日本と衝突し,1904年の日露戦争となった。これは翌年ロシアの敗北に終わったが,民衆は大きな衝撃を受け,1月22日に起こった血の日曜日事件を契機にロシア第1次革命へと発展した。1914年に第一次世界大戦が起こると,戦局が不利に展開するとともに革命運動が急速に拡大し,ついに17年の三月革命でニコライ2世は退位して,300年続いたロマノフ朝は倒れた。つづいて十一月革命でレーニンの指導するボリシェヴィキが政権を握り,世界で初めての社会主義政権が成立した。以後ロシア共和国はソ連の中核となっていたが,1991年のソ連消滅に伴ってロシア連邦が成立。エリツィンが大統領となっていたが,2000年よりプーチンが引き継いだ。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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