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ヨハネス8世【ヨハネスはっせい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ヨハネス8世
ヨハネスはっせい
Johannes VIII
[生]? ローマ
[没]882.12.16. ローマ
教皇 (在位 872~882) 。スラブ人のキリスト教化の問題でメトディオスを支持し,典礼でのスラブ語使用を認めた (→キュリロスとメトディオス ) 。 879年フォチオスをコンスタンチノープル総大司教として容認し,ギリシア教会との対立収拾。サラセン人の侵略に対しては皇帝と協力して対処し,875年カルル2世 (禿頭王) ,881年カルル3世 (肥満王) に加冠して帝位継承権裁治者としての教皇の力を強化した。

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ヨハネス8世
ヨハネスはっせい
Johannes VIII Palaeologus
[生]1390
[没]1448.10.31. コンスタンチノープル
ビザンチン皇帝 (在位 1425~48) 。ヨハンネス (ヨアンネス) 8世とも呼ばれる。マヌエル2世の息子で 1421年以来副帝をつとめ,父の死後即位バルカン半島におけるオスマン・トルコの勢力伸長 (1422年の首都コンスタンチノープルの一時占領,30年のテッサロニカ占領) に対し,37年みずからイタリアにおもむき,西ヨーロッパの援助を求めた。 39年にはフェララ・フロレンスの公会議でローマ・カトリックの首位権を認め,東西両教会の統一宣言に署名するなどしたが,実効はなかった。帝位継承問題で心を痛め,さらに 48年コソボの戦いでトルコ軍勝利の悲報に接し,心労のあまりした。

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