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メソポタミア

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

メソポタミア
Mesopotamia
アルゼンチン北東部,パラナ川とウルグアイ川にはさまれた地域。名称はギリシア語で「川の間の土地」を意味する。南北約 1000km,東西 200~400kmにわたって広がる細長い地域で,面積約 20万 km2。南からエントレリオス,コリエンテス,ミシオネスの3州から成り,北から東にかけてパラグアイ,ブラジル,ウルグアイと国境を接する。パラナ高原に属する北東部のミシオネス州以外は低湿地帯で,ところどころに草におおわれた低い丘陵がある。 16世紀末スペイン人が入植して以来,イエズス会の宣教師などにより開拓が進められ,第2次世界大戦後はブラジル,パラグアイなどのほかヨーロッパや日本などからの移住者が入植。現在同国の重要な農牧地帯となっており,羊毛,牛肉,アマ,米,柑橘類,綿花,タバコなどを産する。パラナ川とウルグアイ川は急流部や砂州が多く,流路もしばしば変るため交通の大動脈としての役割より,むしろこの地域を他地域から孤立させる働きをしてきた。パラグアイの首都アスンシオンとブエノスアイレスを結ぶ鉄道が東部を縦断し,道路網もかなり発達しているが,道路状態は悪い。 1980年代初めにウルグアイ川下流のサルトグランデ,パラナ川上流のアピペヤシレタ両発電所が完成,地域のエネルギー源となっている。

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メソポタミア
Mesopotamia
世界最古の文明発祥地の一つ。メソポタミアとは「二つの川 (チグリス川ユーフラテス川 ) の間の土地」を意味するギリシア語。広義のメソポタミアは,北西はトルコの山岳地帯から南東はペルシア湾までを包含し,狭義のメソポタミアは両河川が最も近づく現イラクの首都バグダードを境に北をアッシリア,南をバビロニアと呼んだ地域をさすが,時代によって広義にも狭義にも用いる。前 4500年頃から南部ではエリドゥ,ウバイドの各文化が発展し,北部ではハッスーナ,サーマッラー,ハラフの文化が栄えた。ウルク期にいたって大神殿が建造され,文字が発明された。シュメール人が築いた初期王朝時代には各村落は城壁のある都市国家へと発展し,抗争が激しくなった。ジッグラトをもつ大神殿造営はこの頃から始まった。ウルクのルーガル=ザグギシやアッカドサルゴンは帝国を築いたものの,その後周辺のアモリ人やグティ人の侵入が相次いだ。アッシリアでシャムシ=アダド1世が王国を確立した頃,バビロニアではハンムラビが版図を拡大し始め,一時はメソポタミア全土を支配下に置いた。バビロニアは前 1600年頃ヒッタイトに敗れ,すべてバビロン第2王朝に吸収されたが,まもなく再興したアッシリアのシャルマネゼル1世以降,全地域がアッシリア領となった。その後アラム人ナボポラッサルにより新バビロニア帝国が築かれて,アッシリアを征服したが,前 539年アケメネス朝ペルシアのキュロス2世により敗北。さらにアレクサンドロス3世 (大王) によりヘレニズム文化がもたらされ,パルティア時代を経て,ササン朝ペルシアに支配されるにいたった。 634年アラブ軍に征服されて以来イスラム国家となり,750年アッバース朝創始とともに「アラビア文化」が開花した。その後 1258年のモンゴル軍侵入から 1534年オスマン帝国のスレイマン1世に征服されるまで,この地方の文化は停滞した。 18世紀に入るとヨーロッパ人が進出し,19世紀以降,特にイギリスとフランスがこの地域の近代化に一役買った。 1921年イラク王国が成立。 1958年革命により王制廃止,共和国となった。

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デジタル大辞泉

メソポタミア(Mesopotamia)
《二つの川の間の土地の意》西アジアのチグリス川ユーフラテス川の流域地方。大部分がイラクに属する。バグダッド付近を境に、北部の台地はアッシリア、南部の平野はバビロニアと呼ばれる。メソポタミア文明の発祥地。

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世界大百科事典 第2版

メソポタミア【Mesopotamia】
イラク,シリアのティグリス,ユーフラテス両河流域地方を指す歴史的呼称で,〈(両)河の間〉を表すギリシア語に由来する。この地域に人類最古の文明が繁栄した。
[地域と風土]
 メソポタミアは,本来的にはバグダード以北の両河流域地方(ほぼアッシリアに対応)を指し,以南を示すバビロニアと対立的に用いられたようである。アラブは狭義のメソポタミアをジャジーラal‐Jazīraと呼んだ。のちにはメソポタミアはザーグロス山脈以西,アラビア台地以東,トロス(タウルス)山脈よりペルシア湾岸に至るまでの両河流域を指すようになった。

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大辞林 第三版

メソポタミア【Mesopotamia】
〔ギリシャ語で「両河の間の土地」の意〕 チグリス川・ユーフラテス川の流域一帯。イラクを中心にシリア北東部・イラン南西部を含む。 〔「米所並大迷亜」とも当てた〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)

メソポタミア
めそぽたみあ
Mesopotamia
ギリシア語で「二つの川の間」を意味し、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域に対して古代ギリシア人がつけた地域名。今日ではより広義に、イラクおよびシリア北部を含む広範囲な地域の呼称としても用いられる。この地域には数万年前の太古にさかのぼる人類の居住址(し)があり、紀元前5000~前4000年には農耕を伴う定住民が現れた。そののちシュメール人が南部の川沿いにウル、ウルク、ニップールなどの都市を建設し、文字使用を含む高度の初期文明を発達させた。ついでセム人が南からきてシュメール人を圧倒し、南方にバビロニア、北方にアッシリアの二大帝国を樹立して強大な勢力を誇った。
 ペルシア人の来襲、ギリシアによるヘレニズム化を経て、後7世紀後半からアラブ人によるイスラム化が進み、言語もシュメール語、アッカド語、アラム語を経て今日では大多数がアラビア語を使用している。この地域は文明発祥の地として、また多様な文明の十字路として知られる。[矢島文夫]

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精選版 日本国語大辞典

メソポタミア
(Mesopotamia 二つの川にはさまれた土地の意) 西アジアのチグリス、ユーフラテス両川の流域地方。イラクとシリア東部・イラン南西部が含まれる。バグダード付近を境に北部はアッシリア、南部はバビロニアと呼ばれた。四大文明発祥地の一つ。

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