●マタチッチ
マタチッチ Matačić, Lovro von
1899-1985 ユーゴスラビアの指揮者。
1899年
2月14日生まれ。
ウィーン音楽院にまなび,ドレスデン国立歌劇場,フランクフルト歌劇場,モンテカルロ国立歌劇場などの音楽総監督をつとめる。昭和40年以来たびたび来日し,
NHK交響楽団の名誉
指揮者となる。1985年1月4日死去。85歳。リエーカ出身。
出典:講談社
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マタチッチ【Lovro von Matačić】
1899‐1985
ユーゴスラビアの指揮者。ウィーン音楽院に学び,1916年ケルン歌劇場の指揮者となる。
ザグレブなどユーゴ各地で指揮をした後,38年ベオグラード歌劇場の音楽総監督。ドレスデン国立歌劇場(1956‐58),モンテ・カルロ国立歌劇場(1970‐78)の音楽総監督などを務めたほか,バイロイト音楽祭はじめ各地に客演。66年以後,NHK交響楽団をしばしば指揮し,その名誉指揮者に選ばれた。
ブルックナーや
チャイコフスキーなどの
ロマン派の交響曲を主要レパートリーとし,力強い演奏には定評があったが,
レハールの《メリー・ウィドー》の演奏においては軽妙でしかも華麗な表現をみせた。
出典:株式会社平凡社
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マタチッチ
またちっち
Lovro von Mata
i
(1899―1985)
旧ユーゴスラビアの指揮者。クロアチア出身。ウィーン少年合唱団を経てウィーン音楽大学に学ぶ。1919年ドイツでデビューしたが、38年には故国に帰って活動、同国の代表的な指揮者となる。第二次世界大戦後、ウィーン、ミュンヘン、ミラノなど各地の歌劇場に客演して名をあげ、56~58年ドレスデン国立歌劇場、61~66年フランクフルト歌劇場の音楽総監督となる。その後ザグレブ・フィルハーモニーとモンテ・カルロ国立歌劇場の音楽監督を務めたが、78年以後は健康優れずフリーで活動、ザグレブに没した。65年(昭和40)スラブ歌劇団と初来日してNHK交響楽団と共演、その後もしばしば来日してN響に客演し、同団の名誉指揮者となった。重厚で説得力のある芸風で、ベートーベン、ワーグナー、ブルックナーに真価を発揮した。[岩井宏之]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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