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マケドニア問題【マケドニアもんだい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

マケドニア問題
マケドニアもんだい
Macedonian question
19世紀後半,民族覚醒の遅れたオスマン帝国支配下のマケドニア地方の帰属をめぐるセルビアブルガリアギリシア間の紛争。言語的にはブルガリア語に最も近いマケドニア語を話す人々の居住地域が交通の要衝にあたるため,中世以来近隣諸国の争いの的となり,ギリシア(ビザンチン帝国),ブルガリア(第1,2ブルガリア帝国),セルビア(ステファン・ドゥシャンの統一帝国),オスマン帝国と次々にその主を変えたが,19世紀にいたってこの紛争は南スラブ人の解放運動および列強の東方政策と結びつき,いわゆる東方問題の核心とみなされるようになった。バルカン戦争(1912~13)の結果,戦勝国のギリシアとセルビアがその大部分を分割占領。敗戦国ブルガリアは北東部の一部のみしか得られず,マケドニアに対する領土要求を満たせなかった。ブルガリアは第1次,第2次世界大戦間期に内政外交を展開する際に親ブルガリア的なマケドニア人の組織「マケドニア内部革命組織」を利用した。第2次世界大戦に枢軸国側で参戦したブルガリアはこの地域を占領したが,戦後ユーゴスラビア連邦内のマケドニアは構成共和国となり,ブルガリアもパリ平和条約(1947)によって領有権を放棄,マケドニア問題はいったんの解決をみた。しかし,1991年クロアチアスロベニアに続いてマケドニアが旧ユーゴスラビアからの独立を宣言すると,別のかたちで提起された。マケドニア地域の南半分を領有し,アレクサンドロス3世(大王)とマケドニア王国の栄光の歴史は自国にあると主張するギリシアが,ギリシア由来の「マケドニア」の名称をスラブ人国家が使うことに対して強く反対した。1993年マケドニアは「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」の名称で国際連合に加盟したが,ヨーロッパ連合 EUや北大西洋条約機構 NATOへの加盟はギリシアによって阻止された。長年にわたる交渉の末,2018年マケドニアが国名を北マケドニアに変更することで両国が合意し,国名をめぐる問題に決着がついた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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