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マカオ

朝日新聞掲載「キーワード」

マカオ
中国広東省の南端に延びる半島と、二つの島からなる。人口約50万人で、広さは東京都世田谷区の半分ほど。16世紀にポルトガルが貿易権や居住権を獲得し、19世紀に行政権を確立した。99年12月に中国に返還され、「1国2制度」下で特別行政区になった。
(2009-10-31 朝日新聞 朝刊 アジア)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

世界遺産情報

マカオ
2005年7月のユネスコ世界遺産委員会にてマカオの8つの広場と22ヶ所の歴史的、宗教的建造物が正式に世界文化遺産に登録されました。マカオのランドマーク的存在である「聖ポール天主堂跡」や敷きつめられたモザイクタイル周囲のポルトガル風建築が美しい「セナド広場」、マカオ最古の寺院「媽閣廟」など個々の建造物が持つ遺産的価値はもちろんのこと、約400年に渡る東洋と西洋の文明交流による文化遺産の融合も高く評価されています。

出典:KNT近畿日本ツーリスト(株)

世界大百科事典 第2版

マカオ【Macao】
中国,広東省南部珠海市につながる南北5kmの陸繫(りくけい)島。前面のタイパ,コロワン両島とともにポルトガル植民地となっている。面積16km2,人口約32万6500(1991),人口密度がきわめて高く,大部分中国人より成る。明代には濠鏡澳といい,清代になって澳門の名が用いられるようになった。南面の前記2島が門のような位置にあるところから生じた地名ともいい,また南部海辺に有名な媽祖廟のあるところから阿媽港,媽港といわれるようになったともいう。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

マカオ
まかお / 澳門
Macao
中国南部、珠江(しゅこう)の河口西岸にある旧ポルトガル植民地。1999年の中国返還後は同国の特別行政区。香港(ホンコン)特別行政区の西方64キロメートルに位置し、広東(カントン)省に続く狭長なマカオ半島と、南方海上のタイパ島、コロアン島からなる。マカオとは古くから伝わる媽祖閣廟(マーコーミャオ)という寺院をポルトガル人が「マカオ」とよんだことに由来する。面積はわずか30.5平方キロメートル、人口64万8500(2017)、人口密度は1平方キロメートル当り約2万1000人と過密である。住民の大部分は中国人の華僑(かきょう)からなる。
 半島部は小高い丘とわずかな低地からなり、西側は広東川を隔てて中国本土と対し、北端は狭い砂州によって大陸につながっている。タイパ、コロアン両島も平野は狭く山がちで、半島部とは橋や土堤によって連結している。気候は亜熱帯モンスーン気候で、夏は高温で蒸し暑く雨が多い。冬は温和で乾燥する。[横山昭市]

政治・経済

植民地時代はポルトガル政府が任命する総督が統治し、立法会議があった。1979年2月、ポルトガルと中国は外交関係を樹立し、マカオの主権が中国にあることを確認した。1987年には1999年12月のマカオ返還が合意された。返還後は「マカオ特別行政区基本法」に基づき、香港同様、一国二制度が摘要され、行政長官と立法会が置かれている。
 域内総生産は、1人当り7万4017ドル(2016)と世界トップクラスである。産業は観光関連事業が中心で歳入の40%以上を占め、外国からの観光客は1725万5000人(2017)に上る。観光はギャンブルが盛んで、多数のカジノがあり、歳出の3分の1以上をギャンブルの税金でまかなっている。ドッグレースも名物であったが、2018年に廃止された。工業は衣料品、花火、家具、マッチなどが生産され、とくに花火は伝統的な地場産業として知られ、アメリカなどに輸出される。貿易は、港が外航船の出入りに適さないことから、香港との中継貿易が中心となっている。漁業も盛んである。
 1995年にはマカオ国際空港が開港した。[横山昭市]

観光

アジアにおけるキリスト教布教の基地であったマカオは、セント・ポール教会跡、ペンニャ教会などの教会のほか、多くのキリスト教系の学校、病院などがある。セント・ポール教会は17世紀初めにつくられたもので、その建設にあたっては、島原(しまばら)の乱で日本から逃れた信徒も加わったと伝えられる。1835年の火災で焼け落ち、前面の壁だけが残っている。近くの丘には17世紀にポルトガルが建造したモンテの要塞(ようさい)があり、ここからはマカオ全市を一望できる。一方、マカオの名の起源となった航海の守護神を祀(まつ)る媽閣廟や観音(かんのん)堂、康公廟など中国寺院も多く、ヨーロッパと中国の文化が混在した風景がみられる。ほかに、ポルトガルの詩人カモンイスの滞在を記念する庭園と博物館、近代中国の父孫文(そんぶん)が医術を施した旧居にある孫文記念館、アジアで最古の灯台といわれるギア灯台などがある。[横山昭市]

世界遺産の登録

2005年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「マカオ歴史地区」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

歴史

マカオは元来、媽祖廟のある一小港にすぎなかったが、1557年ポルトガル人は明(みん)の官軍の海賊討伐に協力した代償としてここに居住を認められた。マカオはゴア、マラッカとともにアジアにおけるポルトガルの貿易基地として重要であった。詩人カモンイスも1558年から1559年にかけてここに住んだことがある。1623年ライエルセンの率いるオランダ東インド会社の艦隊の攻撃を受けたが、よくこれを撃退した。1636年(寛永13)の日本の鎖国令によってマカオは打撃を受け、以後は中国貿易の基地となった。1680年、初めて総督が任命され、また1717年からはヨーロッパ諸国の船に開放され、広東貿易の根拠地として重要な役割を果たした。香港の開港後その重要性は低下したが、ポルトガルは1887年に清(しん)朝にここを割譲させ、正式の植民地とした。もっともその経済的な役割は局地的なものであった。
 1976年新憲章の制定によりマカオは自治領的な性格を強め、1979年中国とポルトガルが国交を樹立してからは中国の発言権が増加し、1987年の両国の合意にしたがって1999年12月に中国に返還された。[生田 滋]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社世界史事典 三訂版

マカオ
Àomén 澳門
中国の珠江三角州南端にある海港都市。
明代から港として知られ,1557年ポルトガルが居住権を獲得,ゴアマラッカと並んで東洋貿易の基地となった。16〜17世紀が最盛期だが,その後,繁栄は香港 (ホンコン) および広東 (カントン) に奪われた。1887年に正式にポルトガル領となる。1999年12月20日,中国に返還され,一国家二制度のもとで特別行政区として50年間の現状維持が認められた。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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