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ポンペ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ポンペ
Pompe van Meerdervoort, Johannes Lidius Catharinus
[生]1829.5.5. ブルーヘ
[没]1908.10.7. ブリュッセル
オランダの医師。ユトレヒト軍医学校卒業。 1849年海軍軍医となり,安政4 (1857) 年江戸幕府が招いた最初の外人医学教官として長崎に到着。長崎海軍伝習所で医学を教え,同5年大流行したコレラの防疫にあたった。文久1 (61) 年に創設された長崎養生所はポンペの建言によるもので,日本最初の近代的な西洋式病院である。門下から松本良順佐藤尚中長与専斎佐々木東洋岩佐純ら明治医学界の指導者が輩出した。同2年帰国後もハーグの市参事委員や赤十字代表として活躍し,75~77年に駐ロシア公使榎本武揚の顧問として,ペテルブルグに随行した。回顧録に『日本における5年』 (67) がある。

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デジタル大辞泉

ポンペ(Johannes Lydius Catherinus Pompe van Meerdervoort)
[1829~1908]オランダの軍医。江戸幕府の海軍伝習所の医師として、安政4年(1857)来日。長崎養生所を設立し、医学教育を教授した。文久2年(1862)帰国。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

ポンペ Pompe van Meerdervoort, Johannes L.C.
1829-1908 オランダの医師。
1829年5月5日生まれ。安政4年(1857)第2次海軍伝習派遣隊の軍医として来日。長崎で松本順(良順)らに日本最初の西洋医学教育をおこなう。文久元年初の洋式病院,長崎養生所を設立。2年幕府留学生をともない帰国した。のち駐ロシア公使榎本武揚(たけあき)の外交顧問。1908年10月7日死去。79歳。ブリュージュ(現ベルギー領)出身。ユトレヒト陸軍医学校卒。

出典:講談社
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

ポンペ【Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort】
1829‐1908
幕末に来日したオランダの海軍軍医。日本が系統的な西洋医学を導入するのに大きな役割を果たした。ベルギー生れ。ユトレヒト大学卒,海軍軍医となり,1857年幕府から招かれ第2次海軍伝習所医官として着任。在日5年間,幕府医官松本良順を中心に全国から集まった医学生を中心に,人体解剖・臨床医学講義を含む幅広い教育を行い,これらの多くは講義録として残されている。コレラ予防,性病予防,種痘にも従事。61年彼の要請で長崎養生所を建てたが,これは,日本における近代病院の最初であるとともに,長崎大学医学部の原点ともなっている。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ポンペ【Johannes Lydius Catherinus Pompe van Meerdervoort】
1829~1908) オランダの軍医。1857年長崎海軍伝習所医学教師として来日。幕府に要請して61年西洋式病院長崎養生所を設立させた。62年に帰国。著「日本における五年」など。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ポンペ
ぽんぺ
Johannes Lydius Catherinus Pompe van Meerdervoort
(1829―1908)
オランダの軍医。1857年(安政4)11月、長崎奉行(ぶぎょう)所西役所で始まった西洋医学伝習のオランダ人教師。この日本における最初の近代医学教育が、海軍伝習という海防力強化の一環として、幕府直参ならびに諸藩伝習生を対象に官費で行われたことが注目される。
 ポンペは、1849年ユトレヒトの陸軍軍医学校を卒業、オランダ領東インドで軍隊勤務ののち、1857年9月陸軍外科二等軍医として長崎に到着、幕府の海軍伝習所閉鎖後も引き続き医学教育に従事した。1859年外国人による初めての人体解剖を行い、1861年(文久1)には長崎に日本最初の洋式病院である長崎養生所(120床)を建て、身分、貧富にかかわらず治療を行うとともに、伝習生の教育にあたった。この長崎医学伝習の日本側責任者は幕府奥医師の松本良順(まつもとりょうじゅん)で、伝習生のなかから佐藤尚中(さとうしょうちゅう)、関寛斎(せきかんさい)、岩佐純(いわさじゅん)(1836―1912)、池田謙斎(いけだけんさい)(1841―1918)、長与専斎(ながよせんさい)ら明治医学界の指導者たちが輩出した。ポンペは1862年長崎を去り、帰国したが、1867~1868年にライデンで『日本における五年間』を出版した。ブリュッセルで死去。[神谷昭典]

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367日誕生日大事典

ポンペ
生年月日:1829年5月5日
オランダの医師
1908年没

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精選版 日本国語大辞典

ポンペ
(Jonkeer Johannes Lydius Catherinus Pompe van Meerdervoort ヨンケール=ヨハンネス=リディウス=カテリヌス━ファン=メールデルフォールト) オランダの海軍医。安政四年(一八五七)来日、長崎養生所を建て、西洋医学を教授した。文久二年(一八六二)帰国。著「日本における五年」など。(一八二九‐一九〇八

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