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ポルトガル史【ポルトガルし】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ポルトガル史
ポルトガルし
ポルトガルは古くはルシタニアと呼ばれ,前1世紀ローマの属州となり,ラテン化が急速に進んだ。5世紀ゲルマン民族の侵入を受け,ブラガを首都にスエビ王国が生れたが,6世紀末西ゴート王国に併合された。8世紀からイスラムの支配下に入ったが,11世紀末,国土回復運動を進めてきたカスティリア王アルフォンソ6世 (勇猛王) は,ドーロ川,ミニョ川間地方を治めるポルトガル伯にブルゴーニュ出身の貴族アンリ (エンリケ) を任命した。その子アフォンソ・エンリケス (アフォンソ1世〈征服王〉 ) は,1139年オーリケの戦いにイスラムを破り,43年カスティリアから独立してポルトガル王国を建国した。 1249年アフォンソ3世はポルトガルの国土回復運動をスペインよりも約1世紀半早く完了した。以後,ポルトガルは積極的に海上交易に進出し,1385年ジョアン1世 (名王)は海商ブルジョアジーの支持を得てカスティリアから独立を守り,アビス朝を開いた。その子エンリケ (航海王子) は西アフリカ探検を推進して大航海時代を準備した。バスコ・ダ・ガマは海路インドに達して,海上の香料交易ルートを確立し,ポルトガルは黄金時代を迎えた。しかし,その繁栄は長く続かず,16世紀後半には没落の道をたどりはじめ,1580年ポルトガルはスペインに併合された。 1640年ジョアン4世 (再興王)は,スペインの勢力衰退に乗じて独立を回復し,ブラガンサ朝を開いた。以後,植民地ブラジルの砂糖産業,金鉱開発に努めたが,経済的,軍事的に対イギリス従属を強めていった。 18世紀後半ポンバル侯の改革によってポルトガル経済は若干立直りをみせたが,1807年ナポレオン軍の侵入を受けて王室はブラジルに亡命し,国土は半島戦争により荒廃した。 20年自由主義革命の勃発によりジョアン6世 (温厚王)は立憲王政を承認し,22年植民地ブラジルは独立した。彼の死後王位継承をめぐって国内はマリア2世を支持する自由主義派とドン・ミゲルを擁護する保守反動派に分れ,19世紀前半内乱が続いた。 51年サルダニャ公の内乱平定によりポルトガルは革新党,進歩党の二大政党による安定期を迎え,産業革命が進行した。 19世紀末には共和主義が台頭し,王政の財政危機,政局不安定から 1910年 10月共和国が樹立した。しかし,政局は一層混乱し,26年 G.コスタ将軍による軍事クーデター後,32年 A.サラザールが首相となって,組合主義体制を確立し,その独裁政治は 69年まで続いた。その間,1961年から植民地アンゴラ,ギニアビサオ,モザンビークにおいて植民地解放戦争が始った。 74年4月不毛の植民地戦争に反対する青年将校は「大尉たちの革命」を遂行,M.カエターノ政権を倒して,植民地をすべて解放した。 75年3月革命評議会は社会主義への道を歩み,76年7月マリオ・ソアレス社会党内閣が成立,民主体制が誕生した。 86年ヨーロッパ共同体 EC (現ヨーロッパ連合 EU) 加盟を実現。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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