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ホルバイン(父子)【ほるばいん】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ホルバイン(父子)
ほるばいん
Holbein
15、6世紀に活躍したドイツ(アウクスブルク)の画家一族だが、とくに同名の父と子が有名である。(1)父ハンス・ホルバインHans Holbein der ltere(1465ころ―1524)
 アウクスブルクで生まれ、アルザスのイーゼンハイムで死去した。彼は当代のネーデルラント絵画(ワイデン、メムリンク)およびイタリア・ルネサンスの影響を受けて1494年以降主として生地で活躍。1501年フランクフルト・アム・マイン、17~19年スイスのルツェルンに足跡を残している。大祭壇画、板絵、肖像画、銀筆によるデッサンおよびステンドグラスのための下絵が彼の制作分野であるが、新時代の影響を受けながらもドイツ後期ゴシックの伝統を守って、輪郭線の明瞭(めいりょう)な形象と、対象の細密描写、および落ち着いた色調による彩色を追求した。代表作に『カイスハイムの祭壇画』(1502・ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)、『セバスチャン祭壇画』(1516・同上)がある。理想主義を加味した彼の細密描写は息子ハンスの肖像芸術を先取している。助手をつとめたジークムントSigmund H.(1475ころ―1540)は弟。(2)子ハンス・ホルバインHans Holbein der Jngere(1497/98―1543) ハンス・ホルバイン(父)の次子。アウクスブルクに生まれる。父について絵を学び、のちハンス・ブルクマイアの感化を受けた。1515~26年バーゼルに滞在、この間にイタリア北部およびフランスを旅行し、またバーゼルの有力な出版者ヨハン・フローベンの紹介で人文学者エラスムスやその友人でイギリスの政治家トマス・モアを知り、2人の肖像画を描いた。その知遇を得て26年から2年間ロンドンで制作。28~32年ふたたびバーゼルに住んだが、その後ロンドンに渡り、36年以後はヘンリー8世の宮廷画家となって同地で生涯を終えた。
 彼はデューラーに次ぐルネサンス的な教養人で、画業ではとくに肖像画に優れた。初期の作品『死せるキリスト』(バーゼル美術館)でみせた透徹した写実の眼光と卓抜な性格描写の手腕とを発揮して、『市長マイアーのマドンナ』(ダルムシュタット王宮)、『ロッテルダムのエラスムス』(ルーブル美術館)、『使節たち』(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)、『ヘンリー8世』(ローマ国立美術館)などの傑作を生んだ。また58点の木版画『死の舞踏』も名高い。なお彼の夭折(ようせつ)した兄アンブロジウスAmbrosius H.(1494―1519ころ)も画家で、木版画の下絵、銀筆とペンのデッサンを多数残している。[野村太郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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