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ペッテンコーファー

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ペッテンコーファー
Pettenkofer, Max von
[生]1818.12.3. リヒテンハイム
[没]1901.2.10. ミュンヘン近郊
ドイツの衛生学者,化学者。衛生学に初めて実験科学の方法を取入れ,近代衛生学の基礎を築いた。 1843年ミュンヘン大学で学位を取得,47年同大学定員外教授で医化学担当,53年同正教授,65年衛生学教授。 R.コッホらの細菌病原説に反対し,腸チフスのような伝染病は地下水が低位にあるときに起り,その病原体は患者から健康人に直接侵入するのではなく,土中で繁殖してから地下水を通じて伝播されるという説を唱え,自説を立証するため,みずからコレラ菌培養肉汁を飲んでみせた。また,ミュンヘン市の下水道を完成させ,腸チフスを一掃した。生化学面でも胆汁蛋白質についての業績を残したが,「無用の者は去るべし」という平素信条を実践して自殺した。

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世界大百科事典 第2版

ペッテンコーファー【Max Joseph von Pettenkofer】
1818‐1901
ドイツの衛生学者。化学的方法を衛生学に導入した最初の一人で,環境衛生の改善が死亡率を低下させるという立場から,ミュンヘンの衛生行政を著しく発展させた。農民の子として生まれ,当初は俳優を志したが,後に薬剤師となり,さらに医学を学ぶ。ビュルツブルク大学とギーセン大学で,J.vonリービヒについて生理学的・化学的研究に従事し,1852年ミュンヘン大学生化学教授となる。弟子であり友人でもあるフォイトCarl von Voit(1831‐1908)とともに人体用呼吸計を開発し,人間の代謝と栄養に関する一連の重要な実験を行い,近代衛生学における実験化学的方法の基礎を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ペッテンコーファー
ぺってんこーふぁー
Max Josef von Pettenkofer
(1818―1901)
ドイツの衛生学者、化学者。バイエルン地方リヒテンハイム生まれ。1843年ミュンヘン大学を卒業。その後ウュルツブルク大学で医化学を研究、ギーセン大学ではリービヒに師事。この時期に生理化学に関する実験研究のなかから、胆汁酸、ヒトの尿中の馬尿酸、クレアチン、クレアチニンに関する報告を行った。1847年ミュンヘン大学医化学員外教授になり、1852年に同正教授に任ぜられた。衛生上の問題の決定に化学的知識が必要であることを認識し始め、しだいに衛生方面の諸問題、大気と水中の炭酸ガス、住居内の換気、衣服の理学的関係などに関して実験研究を行い、さらに都市の地下の換気、ミュンヘン市の上下水道の調査研究を試みるなど、化学・生理学の知識に裏づけられた実験方法を確立し、衛生学を実験科学にしていった。1865年ミュンヘン大学の初代衛生学教授に任ぜられ、この分野で他の大学に先鞭(せんべん)をつけた。他方、1855年から始めたコレラの伝染の研究では、コレラの病原を地下水に求め、コッホのコレラ菌説に反対、自説を証明するためにコレラ菌を飲んだ。自己の信条に従って83歳でピストル自殺した。日本の衛生学の創設者緒方正規(おがたまさのり)や軍医で作家の森鴎外(おうがい)は彼の下に留学、師事した。[大鳥蘭三郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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